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ブラインドタッチの技術は時代遅れになるか?

ブラインドタッチの技術って、もう少ししたら、モールス信号みたいに時代遅れになるんだろうか?

そんな疑問が、先日、ヨーヨーがタイピングの練習をはじめたということを書いた直後に頭に浮かんできました。

例えば日本では、ヨーヨーの同級生の子供達の間でタイピングやってる子はそんなにいなくて、それよりも直観的に操作できるマインクラフトなどのアプリが「プログラミング」の素養につながる習い事として人気でした。

それに、私も最近は、携帯で入力する時は、ちっちゃい画面のキーボードが苦痛なので、ショートメッセージやラインのやりとりは主に音声入力でやってます。この10年くらいでの音声認識の進化の目覚ましいですよね。

それから、2010年の初頭にGoogleがユビキスタスへの第一歩として発表したGlassも、拡張現実ウェアラブルコンピュータでしたよね。

当時インターネットの父、Vint Cerfが来日した時「エジソンが電気を発明する前は、人は暗い夜には手燭てしょくを持って足元を照らした」という話になぞらえ、Glassのもたらす解放の可能性を話してくれたのが印象に残っています。

だから、Glassが時代的に早すぎて商業的には不発に終わっても、DXの延長に、彼の思い描く未来がいつか来るのだと信じてます。

そんなわけで、たちもどって、「タイピングの技術」って未来を生きる子供たちに役に立つのかってお題なんですが、

2022年の今は、まだ学ぶ価値があるんじゃないかな。と思います。

それは読み書きに近い技術であるような気がします。

例えば、本が読めたら、そこから世界が広がるでしょう。言葉を喋れるだけでは到達できない遠くまで。

タイピングはデジタル時代の記述の基礎です。自分の思考に形を与える手段です。言葉にするというのもその点は同じなんだけど、タイピングは、そのコンマ何秒かの遅さの中に自動思考へのリフレクションが入る

根源的に、私の中にはゲームを使うのは、誰かが作った世界の中=他人の頭の中で遊ぶものだという感覚があるのですが(私もポケモンとか好きだし、それはそれでとても楽しいけど)、直感的に、我が子には、やはり誰も考えたことのない世界を生み出せる人になって欲しいと思う。

よくできたBIツールで可視化されたビックデータを見て何かに気がつくのも良いけれど、本当は、混沌としたデータや数字を扱う技術があれば、世界を変える異常値や違和感に、先に気がつくことができるよね。

ただ、私も以前はState-of-the-artな会社に在籍していたけれど、もう自営になって5年経って、古い人になりつつあるのでそこまで自信はない。そろそろまた新しい勉強しないといけないかな。

実際、タイピングの技術の賞味期限てあとどれくらいなんでしょうね。

徒然なるままにそんなことを考えたので記録しておきます。


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