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人類規模の治験の参加者として思ったこと

モデルナ2回目の接種を終えて1ヶ月経過しました。2回目はうわさ通りの副反応で翌日ダウンしましたが、そのさらに翌日には普通に戻りました。

最近気づいたんですけど、私って、そこまで死ぬこと自体は怖くなくて、それより痛い思いをすることの方が嫌です。延命措置がないと呼吸が止まるような局面では、積極的介入はやめて静かに逝かせて欲しい派です。みんなそうなのかと思ったら実はそうじゃなくって、案外、痛いのにはツヨいけど死ぬのはこわいって人も(のほうが?)多いみたい。

だけど引いて考えると、「命の選別」って太古より常にこの地球上で起きてきたことです。生きる権利を手に入れた命はみな、地球規模のABテスト、あるいは治験、あるいは生存競争の参加者です。

何かあれば医者が必ず命を助けてくれるなんて前提のほうが神話的じゃないですか。実は人体は千差万別なのに、100%の人に無害で効用のみがあるワクチンなんてそもそもありえない。我々は皆、常に変化と適応と淘汰の波にさらされ、どんなに運の良い個体も、等しくいつかは死ぬ。

だからもうそろそろ、普通に戻って生きていこうよと思う。

ただその「普通」っていうのは、もう過去のようなやりたい放題の自由ではないとも思います。試練を超えた分だけちょっと賢くなっていく。

本当はワクチン打つかうたないかとかよりも、この肌に感じる気候変動ね、世界各地で鋭さを増す異常気象ね、そっちのほうが本質的な脅威だから直視して緊急対応しないと…こっちの試練のほうが規模が大きいので、

超えられるのかしら、わたしたち。と、心配です。

「地球が怒っている」という言い回しは違う。地球は、ちっぽけなちっぽけなちっぽけな人類に対して怒ったりはしない。人間もウイルスも化合物も等しく、地球の一部なので、

今、みんなで困っているのは、人類の自業自得以上のなんでもない。

他の生き物、巻き添え。

ファクトフルネス」の故・ハンス・ロスリング氏(スウェーデンの公衆衛生学者)がもし今もご存命であれば、この状況についてなんと語ったのか。

その言葉を聞いてみたかった、と思います。

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