物への執着|フリマアプリで売れた後

フリマアプリでブランドのバッグが売れた。

出品した時は、もう使わない、これからだって出番は少ないと思って出品したはずだ。

出品前に同じバッグを検索し、価格相場を調べた。

安さに驚きつつ、それより少し値段を付けて出品した。

売れないから値段を一度下げたことも、記憶にある。

そのバッグが数カ月ぶりに突然、購入された。

「〇〇さんがバッグを購入されました。
発送をお願いします。」

突然のお知らせ。

値下げ無しで即購入。(もちろん構わない)

そのバッグを出品したことを忘れていたくらいだった。

(安すぎた?)

(売れちゃった・・・)

喜ばしいはずが、あのバッグ出品していたのか、と過去の自分に無駄に問いかける。

急に(もったいなかったかな)とよぎる。


バッグを引っ張り出してきて、持って鏡の前に立つ。

「それ売っちゃったの?」と夫の一言。

それを聞いて、さらに本当に手放して良かったの?と自問自答する。

もう売れてしまって発送するしかないのだが、ザワザワしている。

そう、これが物への執着なのだ。


なぜ出品したのか?

今回売れたバッグは、ハワイで購入したものだった。

正直状態も悪くなかったので、まだまだ使える。

そして今でも可愛いと思っている。

それなのに何故手放したのか・・・。

普段使いというよりも時々思い出したように使っていた。

購入した時から10年弱経っていた。
鮮やかなグリーンのドット柄のバッグは、年齢的にもちょっと派手かなと思ったのを思い出した。


なぜ手放すのが惜しいと思ったのか?

今では購入できないバッグ、それが一番心に引っかかった。

出品してから数カ月経っていたので、あらためて検索してみる。

同じバッグを売っている人がいた。

ということは、新品にこだわらなければ今でも買えるバッグなのだ。


そしてブランドバッグゆえ、高かった。

じゃ、いくらだったのか?と聞かれたら、正直覚えていない。

当時のレートだから今よりお手頃に買えたと思うが、数万円。

それを数千円で売ってしまった。

私が出品した倍の金額で取引されている同じ商品も見つけてしまった。

もっと高く売れたかも。

あれ、じゃ、やっぱり売りたかったんじゃないか!

堂々巡りである。


もう一度、手に取る

先日、出掛ける際にコーディネートに合う鞄が無いな~と嘆いたことがあった。

シンプルな服にこのビビッドなバッグを持っていたら可愛かった、と今更ながら思ったのだ。

でも実際は、このバッグは保管袋へ入れられ出品中となっていた。

手に取るどころか目に付く場所にさえ置いていなかったのだ。

私のワードローブからとっくに離れていたことになる。


やましたひでこさんが提唱している「断捨離」

断捨離という言葉の「離」の部分には、物への執着から離れるという意味がある。

私に限って言うと、この物への執着は「高い物」に対してよく顔を出す。

購入額がさほどで無いもの、再び買える物、それに対しては潔く手放してきた。

実は、いまだにクローゼットに眠っている真っ白いロングコートがある。

これも何年も着ていないし、これからも着ないであろう。

なのに捨てていないのは、「高かったから」この一点なのだ。

娘が着るかもしれないと一瞬考えたこともあるが、そんなお古、嬉しい訳がない。


物への執着に向き合う

今回売れたブランドバッグを梱包し始める。

購入時に迷って迷って、今しか買えない、買わなかったら後悔する、そう思って帰国直前に買った思い出が蘇る。

買ったばかりの頃は、気分よくこのバッグで出掛けたなぁ。


たくさん入るのに軽くて最高のバッグだったのだ。

ただ、色が黒だったら、無地だったら、きっと今も持っている。

見た目の可愛さと年齢が重ならなくなり、私は手放す決意をしたのだ。

きっと私より若くて可愛い女子が、このバッグと一緒にお出掛けしてくれるに違いない。

このバッグも暗いクローゼットで眠り続けるより、明るい外で使われる方が幸せに違いない。

この度はご購入いただきまして
ありがとうございました

メッセージカードを入れて、宅急便の箱の封を閉じた。

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