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早く桜が咲いてほしい

早く、桜が咲いて欲しい、と思いながら毎日過ごしている。

どの桜の枝を見てもつぼみがほんのり色づいているだけで、花びらはぎゅっと固く閉じられたままだ。3月も、もう終わるというのに。

例年であれば満開の桜が見られる時期である。

引っ越してきた家の近くには小さな公園があって、なぜか、そのど真ん中に大きな桜の木が鎮座している。満開の時に桜の木の下から天を仰ぐと、大げさな表現ではなく、ピンク色の天蓋付きのベッドの中にいるみたいな気持ちになる。

私は毎年その桜を見ることを心の底から楽しみにしていて、開花情報を細かくニュースで確認しては、春分を過ぎたあたりから足繁くその公園を訪れ(つぼみに色がついてきた)(お、3分咲き?)(だんだん私以外にも足を止めて眺める人が増えてきたなぁ)などと思いながら春を迎えてきた。

数年、そうやって公園に通いながら過ごしていくうちに知ったのは「桜の開花スピードは、私が思っているよりもずっとずっと早い」ということだった。
花びらが開きはじめてから満開になるまでのスパンは案外短く、開花を始めてから3日も経つと、まるで違った表情を見せてくれる。

そして、桜が花開くごとに、その重さで、枝が日に日に気怠げにさがってくるのがとても良い。そうやって持ち重りしている桜の花を間近に見ている瞬間が、春の中でいちばん贅沢なひとときだと、私は思う。

これはとてもささやかなことだけれど、人から言われたことに対して「反論する」ことが昔から苦手である。ちょっとした行き違いかもしれない、相手に悪気はないかもしれない…と考えてしまって、自分の思いを飲み込んでしまう。友人の場合はなおさらそう。

先日、友人との会話の中で、小さくダメージを受けてしまった。
4月から新しい環境に飛び込む私が、ナーバスになりすぎているのかもしれない。でも、その時、明確に「嫌」だと感じた私の気持ちを、相手に伝えるかどうか正直迷った。迷った結果、逆に相手を傷つけそうな気がしたので、自分の気持ちをなかったことにしてしまった。紙で手を切ったくらいの痛みだから我慢できると思ったけれど、やっぱり少し、モヤモヤしている。

「その言い方はやめてほしい」。「その扱いは嫌だ」。今までの人生でも、そう思ったけど言えなかったことが何度かあった。
場の空気を悪くしたくなかったし、それ以上に、相手に踏み込んできて欲しくなかった。自分の意見を言う、ということは、相手の言い分も聞く、ということとワンセットだ。良好な、しかし適切な距離を保った人間関係を構築し続けるのは難しい。そうして、だんだんとその人との繋がりは消えてなくなっていった。もし言えていたら、何か違ったのだろうか?それとも、もっと早くに関係を悪化させていたのだろうか。一度も口に出して言えたことがないから、どうなるのかはわからない。

花が開くたびに枝が重たくなって、しなるように地面に近づいていく桜の様を見るのが好きだ。
この春に訪れるであろう不安や期待の重たさを、桜の枝が一緒になって引き受けてくれるような気がする。

ああ、だから、早く桜に咲いて欲しい。
その重たくなった枝を、私の手の届くところまで、早くおろしてきてほしい。その一瞬の美しさと甘やかさをたたえた花の姿と香りで、どうか私の心の澱みを、一刻も早く、洗い流してくれはしないだろうか。

2024.3.28

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