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一番悪いのは誰か

馬鹿枝野幸男

枝野幸男。真正のクソである。

この状況下で、自治体の長を批判して人気取りをしようとし、できると思っているし、やるべきだと思った時点で吉村以上にコロナのことを政争の具としてしか見ていないことが明白になった。

その成果が、

114人/465人(衆議院、約25%)

45人/245人(参議院、約18%)

159/710(合計、約22%)

の議席を持ちながら、

しかも政府与党のコロナ対策への国民の大いなる不満を追い風にしながら、

支持率7%(読売新聞調査)

同6%(JNN調査)

と言う結果の原因だろう。

こんな間抜けすら挿げ替えられないなら立民国会議員は今年無職が増えるだろうな。やはり最大の自民党支援者は立憲民主党枝野幸男と愉快ななかまたちだと言えよう(あれ、山本太郎や小沢一郎どこいった?)。

うちの選挙区でもしっかりと落とすべく、自民党議員に俺は投じるだろう。

うちの選挙区の現職はアホ野党員だから。

さて、無駄な前置きが長くなり過ぎた。

結局、安直なコロナ全般の一番の悪者、と言う子供みたいな糾弾会をしようと思っていないが、問題点が何なのか、そしてそれからその原因は何か、と言うのをこれまでの様々な記事と重複を承知ながら記していこう。

コロナはインフルエンザより恐ろしい死の病なのか

感染者(陽性者)数にせよ、死者にせよ、多過ぎて把握を最初から諦めて定点観測となっているインフルエンザに、無症状だなんだと芋蔓式に捕まえて数えても足元に及ばないコロナが敵わないのは明らかとなった。

また治療法も治療薬もない未知のウイルス(失笑)と、治療法も治療薬もワクチンもあるのに遥かに多い死者が出るのが、

また若者にも犠牲者が出るのがインフルエンザだ。

コロナではそれ等がさっぱりない。

では誰がそんな病に仕立て上げたのか

しかしインフルエンザとは比較にならない恐ろしいウイルスと言うイメージは最早定着していると言えよう。事実に反しているのに。

それは何故か。最大の原因はテレビと言えよう。特にテレ朝がいけない。モーニングショーがいけない。玉川徹、岡田晴恵、羽鳥慎一、こいつ等がそのイメージを広めたのだ。

その結果、物凄い視聴率を取ることとなった。そして他の局は数字を下げてしまう事態になった為、追従していった。

またパフォーマー知事の問題も大きい。筆頭は小池百合子、そして吉村洋文、大村秀章、黒岩祐治、その他広島や世田谷の馬鹿もそうだが、彼等のやってるアピールの為のパフォーマンスはテレビの暴走を助長した。中でも最大の有害無能は小池百合子だ(吉村がやたら最近叩かれてるが政治で感染が減らせると思い込むお前等大衆のアホさも大概にせえ)。

テレビにせよ新聞にせよ、売上に直結するのは大衆の不安、怒りだ。だから基本的に状況の悪化、誰かの不祥事を選んで流す。

また彼等テレビは、国民にどんな情報を流すかを選択する権利を濫用する。

不安を煽る専門家やタレントは重宝し、それに批判的な者は噛ませ犬役として使える者のみガス抜き要員として利用する。三浦瑠麗氏、山口真由氏はそれぞれ少数派、調整役として置いておくことで偏向の誹りを免れる効果がある。

一方宮沢孝幸氏、木村盛世氏、藤井聡氏のような方々は関西圏でのみ使われはするが、全国区ではまず流れない(俺は関西圏にいないので現状を詳しくは知らないが)。

しかしこうやって情報に偏りが出てくると、不安を煽る方が求められる。「どちらか分からないなら警戒を」と考えるからだ。

だが一見理性的なこの見方は結局コロナ恐怖情報以外のリスクには無頓着だ。

だがコロナ不安を煽れば煽る程、ゼロコロナだけが救済の道と信じるようになってくる。こうやってテレビの洗脳は国民に浸透する。戦前戦中の日本と何も変わらない。

政治家は何も知見を持たない

さて政治家とは何かを考えよう。それは国民の代表だ。何故代表なのかと言うと、我々を代表して法律を作るからだ。そしてその法律に従って運用する内閣を作るからだ。我々国民を代表して、法律を作り、政治を行う。そんなことは何かの専門家風情にはできるものではない。日本及び世界の歴史や文化に精通し、特定の分野に限らず国家全体の最大幸福を追求、実現する為の胆識(安岡正篤の言う知識と行動力を兼ね備えた能力)が求められる。

しかし、彼等はそんなものは全くと言っていい程持ち合わせていなかった。

そんな彼等がとった行動は、支持母体へのお伺いと、大衆迎合だった。特に支持母体すら結局は大衆に恐れ慄き、余程胆識を持った者以外、大衆の反逆に怯える他なくなった。

そんな状況だからこそ、後ろ盾の無い政治家は呆気なく平伏す。

今この辺の問題で最も強気でいれるのは後先短い麻生や二階(それですら相当な逆風に立ち向かっている)か、役職のない石破茂くらいだ。それ以外は与野党含め皆大衆に飲み込まれたゴミ議員だ。この点、応援している山尾志桜里に対してもしっかり言いたい。ワクチンパスポートとか間抜けなことを言ってんじゃねえよアホ。

そしてこのアホさが立法において全開となったのが改正新インフル特措法だろう。

年内の衆院選と言うプレッシャーもあり、与党も野党も浮足立って議論を放棄して(枝葉末節には拘ってやってる感をアピールしたのが枝野立民)、国対政治で改正させた。

国対政治とは、国会において委員会を開設し、議論、採決し、本会議で採決する(それを衆参両院でやる)行為を放棄し、与党と野党が法案を可決する為に国会対策委員長同士で談合し、そそくさと可決する行為だ。

まさかそれを立憲(憲法に則る)民主(主権者の代表国会で議論採決する)党が、自由(国対委員長に従う)民主(主権者の代表国会で議論採決する)とやるとは思わないだろう。

それもこれもメディアと大衆の突き上げが恐ろしく、かつ年内の衆院選が確約されているから起きる迎合と言えよう。

何の策もなく、勉強もせず、責任も負わず、大衆に丸投げし、立法(予算案採決も国会の仕事。起案は内閣)でも手を抜き、過去、現在、未来の全ての日本人に申し訳ない体たらくなのが今の政治なのだ。当然、それは国民のレベルでしかない。

違憲立法

そしてそこまで堕落腐敗した改正新インフル特措法は、元々抱えていた問題を放置したまま更にその問題を増やした。

営業停止等々は補償もなく強制することはできない。

第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。
② 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
③ 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

憲法第二十九条を見る限り、今の企業に負担だけを強いる緊急事態宣言等々の(不当な)要請を合憲であると言うのは不可能だろう。それこそ極度の屁理屈、自衛隊は九条で合憲(自民党)、乃至は違憲だがその状況を容認する(共産党)、と言うくらいの屁理屈だ。

こんな法律を通した自民党も立憲民主党も根本的に憲法違反をしている。また国民もメディアもそれを望んでいる、と言う事実を忘れてはならない。

そして立民のデタラメなところは改憲議論において明白になる。

今の緊急事態宣言そのものが緊急事態条項的な憲法レベルの原則が存在しないから許容されてはならず、政府与党が私権制限に踏み切れないと言う事実を理解していない。しかも憲法による規制(憲法の規制とは立法や行政に対する制限であり、この場合私権制限を許す法的根拠の話)が無いにも拘らず、国対政治での立法により不当な私権制限をやれと言っているのが立民なのだ。

是非立民の各議員には落ち着いて己の無責任さを恥じ、詫び、議員辞職頂きたい。


大衆の罪


最後に大衆について記す。彼等は至って真面目で善良な凡愚である。善良と言うのは確かに一つの徳だろう。しかし一つが多少よくても他が駄目なら使えない。当たれば飛ぶホームランバッターでも当たらなければホームランにはならないし、試合には使えない。

道徳、特に奴隷道徳とでも言えるカント的(俺はカントが求めた道徳観とそれを受けた大衆が感じた道徳観は別物だと思っているが便宜的にニーチェ的立場を取る)な、キリスト教的な、能力主義と分離した道徳観(道徳的善良であることを至上の価値と見做す弱者救済措置的道徳観)は、特別な能力を持たない大衆でも理解できるし、実践"できる"(するとは言っていない)ものだ。だから人を評価する時の基準にしやすい。政治家の実績より不倫や金の話、俳優の演技力より不倫や薬の話、そちらの方が分かりやすいからつい飛びついてしまう。そして人間誰しも承認欲求があるが、彼等は基本的に承認された経験がない。だから自分で自分を相対的に高い位置に置こうとする。すると必然的に実力者、高名な者のスキャンダルを嗅ぎ付けては、「やっぱりこいつはクソなんだ!」と相対的、恣意的にマウントをとって悦に入る。

大衆道徳の基本は、分かりやすい型で、自分の実践の為ではなく、他人を卑下する為に用いる。

それが、つまり不満分子を指弾、排除することが、社会を良くすることだと信じているのだ。

だから分かりやすい奴隷道徳以外の価値を彼等に語っても基本的に意味がない。まさに馬の耳に念仏状態だ。

彼等大衆は入力できる情報がまず限られている。分かりやすい道徳的な話や自分の好きなことのみが受け入れられる。

そしてそれ等を処理する能力も入力と同じだ。換言すれば、処理能力がこの程度だから入力が限られるとも言える。

そして出力も当然それに比例して劣ったものしか出てこない。また入力、処理能力の問題もあり、間違いであると言われてもそれが間違いであると認識する能力がない。

しかし、いやだからこそ、恥ずかしくもなくデタラメを撒き散らし、そして共有する。

大衆とはそのような恐ろしい生き物だ。

総括

では結局誰が一番悪いのだろうか。

政治家は不見識で無責任であることは分かった。しかしそれを選ぶのは国民だし、国民の目に映る政治家とは結局マスコミ経由の政治家だ。またマスコミに煽られた大衆を怯えるのも当然と言えよう。これでは落ち着いて勉強もできまい。

次に専門家か?いや、世の中無能な専門家は腐るほどいるし、専門家でもないのにしゃしゃり出てくるノーベル賞受賞者すらいるとは言え、まともな人もそれなりにいる。そして彼等は彼等のできる限りの発信を続けている。しかしマスコミはそれを取り上げないから国民の知るところとならない。寧ろ悪意ある流し方をし、要らぬレッテルまでつけられる。

ではやはり大衆か?しかし大衆は結局勉強できる範囲にも限度がある。日常があるから。そして勉強を何に委ねているのかと言えば、今時はマスコミと言えるだろう。クソみたいなニュース、ワイドショーこそ、彼等の情報源でおる。

と言うことで、結論としてはマスコミが全体の失調の原因と言えるだろう。

大衆はマスコミに立ち向かえるか?大衆が鍵を握っていると言えるだろう。

最後に脈絡もなくオチをつけよう。とどのつまり、枝野幸男は要らない。有害無益。さっさと政治から引退せよ。


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