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LGBTQの住まいの貧困に取り組んで。社会に対する不安を、自分ごととして共感を広げるために

「『ああ、わたしバイ・セクシャルだったんだ』って気付いたのは、大学時代、フェミニズム系の勉強サークルに入ったことがきっかけでした」

そう笑顔で話すのは、LGBTQ当事者で精神疾患や発達障害などのメンタルに悩みを抱える方のための自助グループ「カラフル@はーと」でスタッフを務める松灘かずみさんだ。

彼女は現在カラフルの他、ホームレス状態に陥ったLGBTQ当事者の問題を解決するためのプロジェクト「LGBTハウジングファーストを考える会・東京」の共同代表も務めている。
様々な支援団体で活動を続けている松灘さん。
彼女はどういう人生を歩んで、現在の活動に至ったのだろうか。

松灘かずみさん

「女らしさ」という幻想の中にいた子供時代

「子供の頃から『自分はみんなと違う』って感覚がありました。学校って全体主義だし、みんなと違うものは排除されるというか、いじめられたらどうしよう、違うのは悪いって感覚をずっと抱えていたんですよね。だから、いつもどこかで自分を偽っている感覚がありました。
それがあって、本心よりも、周りに合わせなきゃって気持ちが強かったです」

思い返すと、地元はかなり男尊女卑が強かったのだという。家族も含め、周囲から「女なのだから」というプレッシャーは相当にあった。

「母なんかは『女なんだからこうしなさい』っていうのはよく言っていました。『女なんだから、お嫁に行った先でゆっくりご飯食べる暇ないんだなら、ササッと食べなさい』みたいな、冠言葉で「女なんだから」っていわれるんです」

こうした「女らしさ」に感覚は大学に進学してからも続いた。無意識のうちに、周囲やパートナーに合わせようとして、自分の興味を抑えようとしてしまっていたという。

「大学に入学してすぐは、女性なんだからあぐらをかいちゃいけないとか、ずっと気を使ってなくちゃいけないとか気にしていたんです」

本当の私、ブラボー!

しかし、進学した大学で学ぶ中、松灘さんは多様な価値観と出会う。その一つがフェミニズムだった。

「大学に入っていろいろなサークルに関わったのですが、そのうちの一つがフェミニズム系の勉強サークルだったんです。
自分の性的指向に気づいたのも、そのサークルの中で、「自分がどういうものに欲情するか」というテーマで話をしたときでした。みんなと話すうちに『あ、自分の恋愛対象男でも女でもどっちでもいいんだ』ってことに気がついたんですよね。そしたら、高校時代にあの女の子のこと好きだったなって思い出したり、女の子を好きになったりしはじめました」

「フェミニストを自称する先輩から「あなたがお化粧やスカートが好きならそれでいいんじゃない。押し付けられた側面もあるけど、好きなら好きでいいし、嫌いなら嫌いでいい。』と言われ、『ありのままを受け入れる』という価値観に出会ったんです」

自分がいかに「女らしさ」を背負ってきたか。その中に自分を閉じ込めていたかを自覚した松灘さん。こうして、自分の殻をやぶり、もっと自由にやっていいことに気付いたのだという。

「だから自分がバイ・セクシャルだったんだってことも「ブラボー!恋愛で成功する可能性が高くなったし、まだまだ人生開けるぞ」って感じで受け止めることができました(笑)」

つのる社会への不信感

とはいえ、周囲へのカムアウトでは苦い思いをされたことがあった。

「大学の中で、いろんな価値観と接して「なんでもありじゃない!?」って心境になっていました。だから、すごい開放感でポジティブに自分がバイ・セクシャルだってことをクラスの友達に話しちゃったんです。でも、当時はまだまだLGBTQについての理解が進んでいない時代。
サークルや自主学習会で出会った友達の多くはネガティブに受け取ることなく接してくれたけど、クラスの友だちについては半分以上の人がすーっと去ってくって感じで、それがショックでした」

大学卒業後は、派遣で働きながら、プライベートでは、LGBTQ当事者のためのワークショップを開催されていた松灘さん。
派遣という働き方を選んだのも、在学中のネガティブな経験から、いつでも関係性を流動的においておきたいという気持ちが強かったからだという。

「自分がLGBTQだってわかった時から社会に対してなんかちょっと強気に出られない感覚はありました。
実際に、派遣で働いていた時、仲良くなった同僚につい自分がバイ・セクシャルであることをカムアウトしたら、いままで自動更新だった契約が「契約満期ですから」って理由で突然切られたこともあります。そんなミスなんてしていなかったのに。
だから、それ以降の職場ではずっと自分の性的指向については秘密にして働いていました」

振り返ってみると当時は社会に対して全く信頼を寄せていなかったと語る松灘さん。昨今LGBTQへの理解が急速に進んでいることが喧伝される公的機関であるが、この時代は窓口に行くだけでも怖かったのだという。

「ちょっとテレビでLGBTQの特集とかあって、それに対する『へー、変わってるよね、気持ち悪いね』なんて言う何気ない感想がすごく傷つくんですよ。自分のこともバレたらどうなるんだろうって不安でした。
そうやって、職場に対して不安を抱いていると、仕事自体についても、それなりに頑張っているんだけど、完全にはコミットできませんでした。
自分の恋人が女性だってバレたら何言われるんだろうって、冷静に考えたらバレるわけないんだけど、白い目で見られるんじゃないかって怖くて仕方なかった」

その一方で、「セクシャル・マイノリティの女性達で集まって様々なテーマでワークショップをプライベートでおこない、それが松灘さんの居場所になっていった。

「そういった活動の中、あまりセクシャル・マイノリティだけを意識して集まりたくないというニーズもあり、異性愛者だろうとなんだろうと、性の話をしたい人はいるだろう、全ての人が自分のジェンダーやセクシャリティについて話す会を作ろうと提案し、サークルの運営もおこないまいした。
そういった活動の流れから、多様な当事者のグループである「カラフル@はーと」の設立に関わることになったんです」

貧困問題との出会い

松灘さんが貧困や住宅支援に関心を持つようになったのは「カラフル@はーと」設立の三〜四年前、民間の相談援助の仕事に携わり、そこで困窮の話を見聞きしていたことがきっかけだった。

「当時LGBTQ専用の電話相談で働いていて、そこでも困窮状態の相談をよく耳にするようになりました。
徐々に生活困窮の問題が身近になっていって、相談してきた人が生活保護を受給していたり、ワーキングプアだったり。
それに、ワーキングプアって言う言葉に関しては、自分に近いって自覚はあるんです。
生活困窮の相談を受ける中で、生活保護とか福祉のことも知っていきました。
そのあとLGBTQ当事者の運動に関わると、そこでも『私、生活保護受けてるんです』とか『私、障がい者手帳持ってます』って人が普通にいて、問題が重なっているのを知ったんです」

このような問題意識から、2017年に「LGBT×貧困」をテーマにしたシンポジウムを開催。このイベントをきっかけに集まったメンバーが中心となり、主に貧困状態に置かれたLGBTQ当事者の「住まい」の支援を考えるグループ「LGBTハウジングファーストを考える会・東京」が設立された。

「実際に以前から、セクシャル・マイノリティの男性が生活保護申請してドヤに入れられ、共同生活を強いられるけれど、そこに居づらいため逃げ出してしまうということは何年も前からいわれてはいたんです。私たち『LGBTハウジングファーストを考える会・東京』はその問題を解決したかった」

「この問題は私自身にとっても、人ごとじゃない。社会に対する恐怖は、ずっと感じていたことでした。
私は以前市役所に行くのさえ怖かったんです。だから『そんな(理解の無い)みんなと同じ部屋で全部共同なんて怖い怖い。ちゃんと個室入れて』と心から思ったんです」

こうして「LGBTハウジングファーストを考える会・東京」は2018年にクラウドファンディングをおこなった。それを原資として、安定した住まいをなくしたゲイ・バイセクシュアル男性やトランスジェンダーを一時的に入居させて支援する「LGBT支援ハウス(通称:虹色ハウス)を開設昨年末より運用・支援を開始するまでに至っている。

LGBTハウジングファーストを考える会・東京の主なメンバー

LGBT×貧困×ハウジングファースト

現在「LGBTハウジングファーストを考える会・東京」の共同代表として、また支援ハウスの運営スタッフとして入居されたLGBTQ当事者への定期訪問や相談などをおこなっているという松灘さん。

「シェルターにいらっしゃる方は様々な団体や知人の紹介からが多いです。また、セクシャル・マイノリティの当事者団体と協力して情報共有をしてます。
当事者の居場所作りや相談業務を行っている団体と連携し、そういうところが受け皿になって私たちのシェルターに困窮状態の当事者を繋げてくれているんです。
シェルターはまだ一部屋しかないので、できるだけ回転率は高くしたいけど、入居期間については本人の生活の状況に応じて、臨機応変に対応しています」

実際、稼働開始から空きがない状態が続いており、一方で「利用したい」という問い合わせもかなり受けている状態だ。
今回の東京アンブレラ基金の緊急宿泊支援は、LGBT支援ハウスが空くまで、あるいは相談を受けた方へ別の公的支援を紹介するまでの繋ぎしての利用を見込んでいる。

虹色ハウスでの相談支援の様子。開設からフル稼働が続く

「やはり需要の高さは感じるので、今後は部屋を増やすことも視野に入れながら、なにより持続的な運営を目指していきたいですね。資金や仲間を増やしていくためにも、この問題をどんどん発信していきたい」

そう語る松灘さんが幼い頃に感じた、自分と周りの違い、排除されるのではないかという不安。
「女/男なんだから」という呪縛。好きなものを好きと言えないもどかしさ。
これらの感覚は、誰しもが人生の中で感じてきたことではないだろうか。
同じ人間のはずなのに、同じ苦しみを味わい、同じ喜びを感じてきたはずなのに、なぜか私たちはお互いのことを理解できないと思い込んでしまう。

派遣でしばらく働いたあと、松灘さんは民間の相談援助の仕事に携わった。そこで、いままで接触を避けてきたヘテロセクシャル(以下、ヘテロ。異性愛者の意)の人々の悩みを聞くようになった。
そこで松灘さんが受けた衝撃。

「ヘテロの人でもこんなに悩むんだ!?」

それまでは、セクシャル・マイノリティではないのに、なんで悩んでいるのかわからなかった。しかし、電話相談で耳にするのは、ヘテロが前提であろう人々の虐待やDV、対人関係についての深い悩み。松灘さんにとっての迫害者は、ただの1人の人間だった。

その人その人の置かれる状況で、悩みやニーズは様々だ。その悩みを持つ者が少ないが故の、周りの無理解があることは少なくない。
ただ、私やあなたが苦しみを感じる存在であるということは同じである。
孤独、不安、悲しみ。そういった感情を今までの人生で、全く感じてこなかった人は誰一人としていないだろう。
自分とは異質な者の、自分と同じ苦しみを知ることで、私たちは他者に触れ、同じ人間だということに気づくことができる。
松灘さんもそうやって、苦しみに共感できる人々に手を差し伸べ、手を取り合い生きてきた。

あなたが嫌だと感じる人々の、苦しみは一体なんだろう?
それを理解した時、あなたの世界が少し広がるかもしれない。[了]


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【写真提供】LGBTハウジングファーストを考える会・東京
【取材・執筆】 原田詩織
都内の私立大学4年生。有限会社ビッグイシュー日本東京事務所と、ビッグイシュー基金で計1年間のインターンを経験。現在、ビッグイシュー日本アルバイト、つくろい東京ファンドボランティア。

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