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やさしさの循環

肩を怪我した。

三週間腕を固定しなくてはならない生活が始まった。それも利き腕。手のひらは動かせるが可動域がほぼない。
右手でご飯が食べられない、一人で着替えられない、髪の毛も結べない…
不便…そして不安…

そんな状況でいろいろ感じたことを記します。こんなことなかなかないので(あってほしくない)忘れないようになんとなく。

まず、「痛い」ことや、治った後もまたなるかもしれないという不安は、かなりのストレスをもたらすということ。痛いってつらい。精神がぐらぐら不安定になり悲しい日が続いた。

仕事について、いくつか仕事をしているが右手が使えないと当たり前だけどほぼ使い物にならない仕事もある。
だけど、それでも、
「できることだけでいいから働いてくれて大丈夫だよ」と受け入れてくれた。(もちろん怪我の直後は休みをしっかりいただいた)
私は時給労働者なので働かないと本当にお金がなくなる。(全く働けないという診断は下されなかったので)
そうやってやれることだけでも、と厄介者を受け入れてくれることが嬉しかった。効率よく働けないから、助けがないとできないから、という”切り捨て”は本当に悲しいものである。まあ仕事なので仕方がないことももちろんあるが、私が大切にしている「世の中がこうあってほしいなあ」という考え方そのものを店主はしてくれた。感謝しかない。
何か障害があっても、人よりうまくできないことがあっても、それを理由に排除して完璧な人だけで構成されるような世の中ではあってほしくない。それぞれの凸凹を理解して考えあって助け合える世界…綺麗事かもしれないけど私はこういう考えができる人でありたい。なかなか現実では達成できてないけど、忘れないようにしたい。

あと、仕事はお客さんと直接会うことがほとんどなんだけど、この三角巾姿を見て「どうしたの、大丈夫?」と言ってくれることがとても嬉しいことに気づいた。私自身今までそういう人を見ても「見ず知らずの人に心配されるなんてイヤだろうな、きっとそっとしておいてほしいだろうな」と思ってスルーすることが多かった。もちろんそうしてほしい人もいるだろうが、意外に自分はそうじゃなかった。心配の声をかけてくれたり手伝おうとしてくれるお客さんに出会うと本当に心があたたかくなった。結果的におせっかいになったとしても人(他人)へ一歩踏み込んでみるということもいいな、と思えた。

この腕で本当に多くの人に迷惑をかけた。助けてくれる人が周りにたくさんいて、心配してくれたり、「腕!!プププ…」と笑ってくれたりして元気が出た。周りのサイコーな人たちに恩返しをしたいという気持ちもある。だけど、この人たちに直接返すことよりも、そうやって困っているどこかの誰かに出会った時に優しくしたいと思った。
そうやって思いやりを循環させていきたい。
そういうことに気づいて立派な活動をしている人もたくさんいるけど、私は私のできる範囲で、手の届くところでそういう優しいことをしていきたいなあ。

きっと腕が難なく動くようになったらこのことを忘れちゃうかもしれないから、また思い出せるように書いてみたのでした。

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