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ちょっとした仲間入り

仲間。友人でもなく、家族でもなく、恋人でもなく、仲間。その響きでどうしようもなく入りたいような気になったときがある。少年漫画の読みすぎというより、手軽な現実逃避といった方が今ではしっくりくる。

同じコミュニティに浸っていると、どこか自分が知らない世界へ、自分のことを誰も知らない世界へ行ってしまいたくなる。誰もが一回は妄想したことがあるような。今となっては、SNSで簡単にコミュニティに属してたりできるのだけれども、それとはまた異なるような。

仲間は自分の属するコミュニティではありながら、少し距離のある関係性のようなイメージがある。私は勝手に仲間に入れてもらったような気になった。今日はその話。


私は時々散歩と称して、コンビニに立ち寄り公園へと足を運ぶ。


そういえば、いくつものコンビニはなぜあんなに近い距離で並んでいるのかと疑問に思ったことが少なからずある。近くのコンビニが潰れて何ができるんだろうと期待と不安を胸に抱えていたら、そこには新しいコンビニができたという話を聞いたこともある。しかも同系列の店舗。私には到底理解の及ばない戦略とやらがあるらしい。もちろん一通りの商品は揃っているので、特に文句をいうこともないのだが。と少々脱線。


いつもお世話になっている、一番近いコンビニに向かってホットの缶珈琲を買う。それはそれは熱くて手に持っていられないほどなのだが、これを持って公園に向かうと私にとってはちょうどいいのだ。

その熱々の珈琲を飲みながら、寒空の下いたずらに時間を費やす。私の人生の中でおそらく最も無駄な時間でありながら、一方でとても贅沢で大切な時間。その時間は日頃考えないようなことを半ば強制的に考えるときともいえる。人間なんとなく生きていると何も考えていないようだけれども、実は色々考えていてそれは大抵が直近の生活、身の回りのことだ。

私は生活とは一切かけ離れた、時間というのを設けることにしている。なんてカッコつけてはみたものの、実際ただの暇潰しだけど。

ただその内省する時間が私の考え方だったり、こうして書いてみることにつながるわけで。意外と欠かせないひとときでもあったりする。もちろん寒すぎたら、さっさと帰るんだけれども。


そんな折、立ち寄った公園にはゴミ箱がないことに気づいた。だがベンチの端に下がっているゴミ袋がある。どうやらパンパンらしい。私は諸々の買っていた商品をポケットに入るだけ詰めて、自分の持っていたゴミ袋の中に缶を入れてそこにかけておいた。新しいゴミ袋ですよという意味をこめて。

それから何度か立ち寄ると、また新たなゴミ袋がかけてあった。それがパンパンだとまた私のゴミ袋をかける。という無言のやり取りが何度か続いた。おそらく地域の取り組みなどでもなんでもなく、善意のゴミ袋がベンチにかけられていた。定期的に回収しているようだ。

誰かも分からない人が行う、その善意の取り組みに参加させてもらっているような気分だった。これが仲間になったような気分を味わえたというやつだ。


ここまで書いて自分で冷静に鑑みると、私はただ自分のゴミを回収してもらうだけの人だったが。ここは独白の場と開き直って投稿しようと思う。


もちろんゴミ袋を置いておくという行為が正しいのかどうとかは分からない。私はその行為を善意からだと受け取ったというそれだけのこと。

なんてことはないのだけれど、少し切り取ってみたくなった私の日常の一コマである。



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