メンテナンスをしなければ
noteも投稿しなくなって久しい。
放置しているnoteに訪れてから、ふと放置している原付に思い至った。
今日は何の前触れもなく原付の話をしよう。
原付がパンクしてから、はや一年が経とうとしている。
時の流れにふと圧倒される。
日々漫然と生きていたら、一年なんてものはあっという間だ。
一年は人が変われるようで変われない、変われないようで変われるギリギリのラインではないのか。
誰かに言われた受け売りのような言葉が頭をかすめる。
原付といってもスーパーカブで、しかも弟が使わなくなったお下がりという代物だ。(原付とカブは別物だと言われそうなので、以下カブと呼ぶ)
お下がりだろうと乗れれば何の問題もない。
もう5年は経っていると思う。
その間一度もメンテナンスらしきことをしていない。
パンクするのは必然の成り行きだった。
嫌な予感というのは、それが小さければよく当たるような感覚がある。
もちろん結構な速度で走っていたら、生死に関わる問題なので見方によってはなんら小さい問題ではないのだが。
案の定予感は的中し、パンク。
タイヤを引きずる嫌な音が下から聞こえてきた。
それから急ぎだったので、修理屋に急いで駆け込んだ。
すると修理屋さんは原付のネジを回しながらこう言った。
「半年に一度くらいは整備しなきゃダメだよ。」
それもそのはず、前輪はすり減っていて本来走っていいタイヤの規定を満たしていなかったらしい。
パンクというお知らせがなければ、走行中に緩んだネジが外れセーフティが作動して止まるとのことだった。即死もまぬがれない。
ただこれは直感とでもいうのだろうか。
なぜか原付が壊れて死ぬことはないだろうなという思いがどこからともなく沸いてきた。
修理屋さんがせっせと空気を入れたり、ネジを回してくれている横で、親切な忠告をぶん投げる自分がいた。
ぶん投げたのはブーメランである。
ブーメランは僕の頭上はるか後方で回転している。
それに僕は気づくことがない。
ブーメランがはるか向こうでまだ空を飛んでいるとはつゆ知らず。
僕はバイクの事故なんかでは死ぬことはないだろうと密かに思っている。
そう思っているときには、もうブーメランが僕の後頭部辺りに近づいている。
あと数秒で当たりそうだ。
あっ。当たった。ブーメランが。
それは僕がバイクで事故を起こしたことを意味する。
忠告を無視した奴は大抵死ぬ。それもあっさり死ぬ。
猛スピードで走っていたら横から車に突っ込まれて。
ドーン。即死。
宙に舞いながら思うのだ。だから言ったのにと。
だから人の親切な忠告を無視するからだと。
そんな降ってきた妄想に頭を支配されてしまう。
こういう妄想をしているとき、なぜか死ぬことはないだろうという漠然とした説明できないものが僕を襲う。
だが、それはそれ。これはこれ。
いくらその直感を信じていようと、メンテナンスはやはり不可欠だ。
適度に手入れをしなければ、自分が壊れなくともカブは壊れることになるだろう。
すると移動手段が一つ減る。困る。
だからメンテナンスをしなければ。
自分の精神や身体のように、ほったらかしているカブを。そしてこのnoteも。
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