見出し画像

このゲーム、まだ飽きない

ペットを飼ったことがない。ペットを飼っている人に対しての羨ましさや、ペットを飼うことができないことへの不満を感じたこともない。

小さい頃に、祖母の家に犬が一匹いたくらいだ。ペットは祖父母だけが飼うことができるようなものと思い込んでいた。だけどそうではないらしい。世の中にはペットを飼っている人が大勢いる。そのことに気づいたのはいつ頃だろう。


犬や猫を見るのは好きだ。だが飼いたいと思わないというのが本音だ。ちょうど甥っ子や姪っ子を可愛がるみたいに、ただ眺めるだけの方が性に合っている。自分の空虚さを埋める(もちろんそうではない方もいるだろう)他の方法を知っているというより、ペットを飼うこと、あるいはペットという家族を迎え入れる畏れが僕の場合大きく関わっている。

自分のことだけでもままならないのに、合わせてペットのことを考えるのに時間を費やせない。責任が増えるという意味でも同じことだろう。

犬や猫を飼うことによって得る、大きな喜びやその他の感情を僕は知らないまま生きていくことになる。少しばかりの寂しさはある。だがそれ以上に畏れが大きい。こういう僕のような人間は大抵年老いたら飼ってたりするんだけれども。


最近は野良猫と睨み合いをするのにはまっている。睨み合いといっても、実際に睨んだりするわけではなく、どっちが長く見ていられるかゲームだ。今のところ、1勝1敗だ。まだ2試合だけかよ。そうです、ゲームと名付けたのは最近のことなので。

たまに行く公園にいつも大体同じところに陣取る猫がいる。どんと居座っており、それは堂々としている。尻尾の先も千切れており、歴戦の戦士なのだろう。僕は猫が少しばかり離れるのを見計って、その定位置であるベンチにそっと座る。するとそれを見た歴戦の戦士はじっとこちらを見てくるのだ。それから、僕と彼(彼女かもしれない)のゲームは始まる。

どのくらいの時間だったかは分からないが、割と長くゲームは続いた。僕は彼が何を考えているんだろうなどと思いながら、じっと見る。SNSなどで見る、写真によって生活の一部を切り取られたこねこを見るのではない、また違う感じがする。

その堂々というよりどこか不遜で、喜びに満ちているというより物憂げな感じは僕のそのときの心情を見透かされたような気持ちになった。すると猫は急にそっぽを向いた。どうやらこんなところで油を売っている男に用はないらしい。僕は勝ったけど負けたような気持ちで帰路につく。なぜかまた行こうと思った。


そして日を空けて、また来てしまい第二試合。勝負は早々についた。僕がソワソワして後ろを振り向いてしまった。後ろから、数匹の猫の気配がしていたからだ。こいつら集団で勝負に挑んできやがった。と思っているのはどうやら僕だけで、彼らは別に仲間でもなんでもないらしかった。はたまた仲間であるけれども、それを悟られないように振る舞っているのだろうか。だとしたら結構聡いな、なんて思いながらすんなり負けを認めて帰ってきた。

まだ僕はこのゲームが楽しい。せっかちなのが、嘘みたいに。また今度、あの猫様と勝負させていただこうと思っている。


*ちなみに写真はフォトギャラリーから拝借しました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?