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父の引っ越し

父は育ちは愛知県の山の中だけど、生まれは大阪。
山登りが好きで、伊那谷に嫁に来た従妹のもとを訪ねては、毎日この風景を見て過ごしたいというので、従妹が母を紹介し、見合いをし、とんとん拍子に結婚したらしい。55年ほど前に名古屋から南信州に引っ越してきた。今年82歳になる。

私が小さなころ、時々食卓に、八丁味噌のお味噌汁が出てくることがあり、甘い白みそで育った私にしてみたら、色も味も、大人ってかんじでとっても苦手だった。父以外の家族はみんな信州生まれの信州育ち、八丁味噌は受け入れられず、徐々に、頻度が減っていった。けれど、きしめんは受け入れられ、我が家で「うどん」といえば、ひらべったい、麺(きしめん)のことが多かった。

昔は、嫁も婿も、嫁いだその家のしきたりにあわせなくてはいけないから、自分の好みなんて、聞き入れてもらえなかっただろう。よく、祖母が父のことをわがままな人だ…と言っていたけど、実際のところ、どうだったんだろう…父なりに、家に馴染もう努力はしたんだと思う。

昨年、誤嚥性肺炎を起こし、いつ、あちらの世界に旅立ってもおかしくない状態…と主治医から伝えられ、母も私も覚悟をしていたのだけど、奇跡的に回復。でも、母も介護が必要になってしまったので、父の介護はできない。
病院に入院したまま施設の空きが出るのを待っていた。

面会に行くたびに「家に帰りたい…きしめんが食べたい」と言ったけど、その夢は叶うことがなかった。

施設に入るというのは、一生、面倒を見てもらうということ。だから、戸籍も施設に移す。

1月18日、父の引っ越しをした。

実家には母、私は東京、父は施設。親子三人、別々の場所で暮らすことになった。

若いころは、いろいろ…問題を起こす人で、こんな人がどうして自分の父親なんだろうって、嫌で嫌で仕方なかった…のに、なぜか、面倒みることができなくて、ごめんね…って気持ちが湧いてきたから不思議だ。
だけど、どうやっても、父を介護することはできないから、新しい場所で、和やかに暮らしてほしいと思った。





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