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おとうと

第27話

「やっていいヤツ」
「言っていいヤツ」
なんて、よく分からないが。

そういう価値基準があるらしい。
下らない時間を下らない連中が下らなく過ごす。
私が現役の頃からそんな輩はいくらでもいた。

あいつなら机をボコボコにしていい
あいつなら机にしまってある教科書捨てていい
あいつなら あいつなら あいつなら

私は中学2年の頃友達だと思っていた子たちにいじめられ
通学できなくなり転校した。
転校先はそれまでより遥か、ろくでもない不良校で
私の居場所なんかなかった。
母と折り合いが悪かった私はとにかく
中学を卒業したら、見習い看護婦として
住み込みで働くと決めていた。
1日も早く家を出たかった。
母のいない世界に飛び込みたかった。
飛び込んだ後は、母と関わらないで生きていこうと考えていた。

いじめに遭うまでは中高一貫の女子校に通っていて
だから学内で進学するとふんわり考えていた。
「ふんわりとした」未来は閉ざされ
私はとても惨めな学生生活を送ることになった。

友達だと思っていた人からいじめられる現実。
何だかんだと声をかけてくれていたクラスメートから一斉に
無視される景色。
素知らぬふりでやり過ごす先生たち。

それなりに楽しかった毎日が一気に灰色と化す。
通学できなくなるまでの数ヶ月
私なりに打開しようと踏ん張ってみた。

でも。

踏ん張れば踏ん張るほど白眼視される。

聞えよがしの悪口
ロッカーにあったはずの生理用ナプキン
一緒に登下校していた全員から避けられる夕方

困ったりたじろいだりなどしてはいけない。
何が起きても平気な顔をして
「ひとりを楽しんでいる」自分を演出しながら
迎えた梅雨は、酷く悲惨なもののように感ぜられた。
強い雨が降っていて
私はその日、傘を持っていなくて
雨宿りする姿なんて見られたら
またバカにされると思って、帰り道ひた走った。
ずぶ濡れで帰宅した。

濡れた鞄をそのまま放置してしまったから
教科書に赤カビが生えた。
いじめる子たちにも無視する子たちにも赤カビにも
平気な顔をし続けるなんてできなかった。

梅雨が明け夏が来る頃
私は担任に「退学したい」と伝えた。
驚いていたけれど
母を慌てて召喚したけれど
男性の先生だったから
女子のいざこざなんて「大したことない」と
軽く考えていたんだな。
1学期を終えたところで、私は転校した。

人を傷付けることに躊躇がない人がいる。
それも一人二人じゃなくいる。
そういう人に遭遇した時の躱し方を
学校という場が学ばせてくれることはない。

姉の似なくていい部分をガッツリ受け継いだ弟は
赤いポーチの一件以降、いじめられっ子になってしまった。
それまでもヤンキーに蹴られたり突き飛ばされたり、
していたようだ。
でも知らん顔して過ごしていたと聞いて
自分の学生時代を思い出すなどして、
だから「行きたくないなら学校なんて行かなくていい」と
弟にはいつも言ってきかせていた。

誰かが助けてくれるなんて、まずないから。

優しい声をかけてくれる同級生なら私にもいた。
凄く気遣ってくれて優しくしてくれて
「頑張れ!」って声をかけてくれて。
惨めだった。堪らなく。
別のクラスの大好きなお友達から
「いじめられてて可哀想」と
思われていると実感する、それだけで
狂いたくなった。

「いや、私。全然平気だけど?」

引き攣り笑いにも限界はある。
頬を痙攣させ震える手をハンカチで隠し、動揺を押し殺す。
私みたいな思いを弟に味わってほしくなかった。
いじめられたが最後、救いなんてどこにもない。
学校に行かないという選択肢を私は持たなかった。
母に「いじめられてる」なんて
口が裂けても言えなかった。
友達に囲まれ楽しくやってると、いつも嘘を吐いていた。
限界ならとっくに訪れていたのだろうけど
それに気付かないふりをして、昼休みはトイレで過ごして。
耐えられず転校したけれど、行った先はそれまでとは
違う意味の地獄が広がっていて。

お手上げ。八方塞。

転校前の学校でも悪かった成績は
転校後、急降下した。
母は慌てて塾に通うよう命じて、私はそれに従ったけれど
成績が上がることはなかった。
勉強なんてどうでもよかった。

「この家にいる異常性」を
いじめ主犯者らは教えてくれたのかも知れない。
それなりに楽しい学校生活に紛れて見えなくなっていた、
母との最低最悪な関係を。

下がり放題の成績、少なすぎる友達。
登校すればヤンキーがこちらを見て威嚇してくる。
あいつら男の癖にそういえば、
スクールカースト最下位の私にどうして
「メンチ切る」なんてしていたのだろう。
弱い犬程よく吠えるというが、それの人間バージョンだろうか。
1日が過ぎていくのをこれ以上ないくらい、待ち焦がれた。
早く中学卒業して親元を離れ、自立したかった。
結局高校進学したし、何なら専門学校も卒業したけれど。
一応一端の社会人デビューは果たしたけれど。

いじめに遭って苦しんでいる弟に
家にいるよういつも勧めた。
針の筵に毎朝座りに行くあの感覚は
忘れようにも忘れられなかったから。

1度行かなくなったらもう、ずっと行けなくなるという
弟の判断に口を挟むことはしなかった。
弟はもがきながらも通学を続けた。
そして、もがきにもがいたある日。突発性難聴を発症した。


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