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「心情の相対化」

「心情の相対化」


心情の相対化ほど難しいものはない。

個々人の魂には骨の髄まで浸み込んだあらゆる既知の視点観点、価値観等が日常的に習慣化されているからである。

さらには、生まれつきの天性の能力、資質等も無意識に潜んでいる。

日常生活の中で自分自身のあらゆる言動の根拠を何処まで意識化し得るか? 
もし日常生活において意識化を徹底すれば日常生活は破綻する。

通常、生理的拒否反応と言われているものも根拠はある。
その根拠を深く問う事が哲学するという事でもあるのだが、日常の様々な諸事情に追われて問うこと自体が難しいのである。

所謂、芸術家は基より、哲学者、宗教家等ですら己の依拠する根拠を徹底的に問う事すら出来てはいない。
基本的に心情の相対化が前提となるからである。

今日の唯物論的世界観が蔓延している世界で根拠を徹底的に問えば「虚無観」に至る。
しかしその「虚無観」は観念的なものでしかない。

その「観念的虚無観」は其々の主観的世界観、虚無空間に漂う閉じた球体でしかない。
ゆえに、人の数ほど実体無き「虚無観」が生じる。

閉じた球体の「虚無観」を個人が打破するのは容易ではない。

彼の小林秀雄ですら完全には打破し得ていない。人類史における「抽象表現」の必然性に関しては理解し得なかった。
それでも小林秀雄は著名な哲学者よりはるかに深い直観力、洞察力がある。
ただ、晩年の彼は評する人物の良い部分だけを取り上げるようになった。

今日、自然科学に依拠する実存主義的哲学世界観は世界中に猛威を振るっている。

実名を挙げたらきりがない程である。こればかりは是非もない。

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