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痛みを押して体を動かしたくなるのは完治が見えないから。

 先日、趣味のボルダリング中に左肩を痛めた。週2日くらいペースでボルダリングしているのだけど、1時間くらいやっていると痛みが再発してくる。2.3日休んだ程度では完治しない程度には痛めているようだ。それに気づいてからもボルダリングし続けてしまっている。

 テニスが趣味である父が足を痛めた時も今の僕と同じように痛みを押してテニスに行っていた。それを見た僕は「バカだなー、完治まで待ったほうが結局上手くなるし楽しいのに」と思っていたものだ。

 今になって父の気持ちがわかる。周りの人たちが上手くなっていることや楽しそうなこと自体が誘惑だがそれだけではない。そもそも慢性化しかけている痛みは「完治が想像できない」。1ヶ月くらい休めば治りますと言われたら頭ではわかる。だが、実感として2日休んでも1週間休んでも痛みが変わらない場合、1ヶ月後も同じ状態な気がしてしまう。

 未来の自分との今の自分とのつながりを感じられる時ほど長期的な戦略を実行できるって研究(意訳)があるらしい。これに当てはめると、「完治した未来の自分」と「休んでいる現在の自分」が実感として断絶しているということだろう。この感覚を前提とすると「治らないのであれば、今目の前のメリットを享受したほうがオトク」という合理的な判断が下される

もちろんこれは誤っている。僕の怪我は多分1ヶ月も休めば治るからだ。「靴買ったしな」「ジム行き放題チケットもったいないし」という理由づけも後押しして通い続けている選択は幸せにしないだろう。

要は不安なのだ。痛みが続くことが。痛みに怯えながらボルダリングしなきゃいけなくなることが。だから目の前の楽しみだけは逃すまいとする。それが皮肉なことにもっと状況を悪くしている。このサイクルを止めるために、今この文章を書いた。

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