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「面白い漫才」と「ウケる漫才」の違い

生の漫才を見た

2年ぶりに見た。駆け出しの人たちで、ウケる人もいれば壮絶にスベる人もいる。漫才だけでなく観客や漫才師を見て「ウケる漫才の共通項とは?」の仮説が立ったのでnoteに書いていく。

客は笑いたい

客は自分からお笑いライブに足を運んでいる。(僕は今回レンタルされる形でお金を貰っているが)
つまり笑いたいのだ。芸人たちにとってライブに来ている客は敵ではなく味方と言っていい。
そんな彼らに対してスベる芸人がいるのも事実。これは客からするとつまらないというより「笑いたいのにできない」という状態だ。

面白さと笑いにくさ

「面白さ」と「笑いにくさ」に分けて考えてみるとしっくりくる。
計算式を書くとすると下記のようになる。

面白さ - 笑いにくさ = 笑いの量(ウケ)

面白さ

僕は芸人じゃないので今回はあまり触れないがツッコミの上手さやネタの構成、共感できるあるあるだったり、ワードチョイスがそれにあたる。
もちろん面白い方がウケる漫才になりやすい。

笑いにくさ

「笑いにくさ」が少なければ面白さが少なくても笑いの量が多い”ウケる漫才”になる。面白さを追求する人があまり意識しない部分だと思う。それでは「笑いにくさ」とはなんなのか。

笑いにくさとは意識の分散である

実際に漫才中に確認した笑いにくさの具体例を挙げるとする。

  • つばが飛んだ

  • 滑舌が悪い

  • 突然の大声

  • セリフと合わない身振り

  • 舞台袖にいる芸人の物音 etc…

これらでなぜ笑えなくなるか?意識が割かれるから。

観客が「きたない」「聞き取れなかったな」「緊張してる」「びっくりした」などの感情があると「笑いどころ」に意識がいかなくなる。
すると笑いどころがわからなくなったり、笑うタイミングを逃したりする。
テレビで芸人が「おいブレるやろ!」と言ってるのはおそらくこのことだ。
狙い以外の違和感が発生してしまった時。意識が分散してしまった時。

これは日常生活でも起こりうることだ。30歳男性が「ママが昨日さ〜」と話し始めたらもう頭の中は(ママって呼んでるんだ)ということで頭がいっぱいになる。話の主旨は入ってこないだろう。

ウケる漫才とは

「ウケる漫才」は意識の分散が少ない漫才だ。環境によって邪魔されることもあるだろうが違和感がない。
違和感がない状態を作ることができて初めて「ボケの違和感」や「違和感に対するツッコミ」が引き立ち、笑いどころが共有される。観客にも一体感が生まれる。ウケのスパイラルが生まれる。

所感

僕は芸人ではないし面白さには詳しくない。ただ漫才師や観客を観察してみると、どうやら面白さを足す前に違和感を消す引き算が重要になってくるように見えた。

ユーモアは違和感を扱う。違和感を扱う漫才師こそ「観客が違和感を覚えない普通の感覚」を知る必要があるのではないかと思う。

バナナマン設楽が「コントはセンスがあっても自分の板についたキャラクターじゃないダメだよ」という主旨のことを言っていた。
リアルの自分とあまりに違う話し方とか身振りは違和感になってしまうからかもしれない。

違和感を引き立たせる為にこそ普通の感覚を知ること。
これが大事なのだと思う。

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