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1歳半が既に社会人で子どもは私の所有物じゃないと気付いた話

 ある日、スーパーのサッカー台でがさごそしていると、視線を感じた。近くに立っていた5歳くらいの女の子が、私の方を見ていた。

 何とも思わず、にっこり笑い返して、荷物をまとめた。女の子はお母さんと一緒に買い物に来ていた。

 歩き出すと、今度はお母さんも私の方を見てきた。? 知り合いではないはずやけど……。


「あのぉ、この子が息子さんと同じ保育園みたいで」

 エン様(子どものあだ名)の保育園に通うお姉さんとそのお母さんだった。予想外の展開で私は何を話せばいいかもわからず、しどろもどろ適当に相槌を打っていた。そのお母さんは保育園の先生事情など、いろいろお話してくれた。

「何歳から保育園通ってるんですか?」
「0歳からで、今1歳クラスです」
「知ってるよ」

 5歳のお姉さんは知っていた。エン様が0歳クラスから保育園に来ていて、今1歳クラスで、担任はA先生とB先生で、同級生にはSちゃんやTくんがいる。

 いつも、もっと保育園の様子を知りたいなぁと思っていた。エン様の通っている園は丁寧に連絡帳を書いてくれ、写真までつけてくれるが、実際の様子はわからない。朝の会はどんな雰囲気なのか。1歳クラスの皆はどんな感じで歌うのか。何が楽しくて笑っているのか。きっと泣いてることもあるのに、泣いてる写真は添付されないし、話題にもならない(ケガをした時は別だが)。給食はどんな感じなのか。家だとほぼ手づかみでドロドロになってるのに、保育園では先生の目も手も少ないなかどうやって食べてるのか。お友達とはどんな風に遊んでいるのか。ケンカしてるのか。家では暗い寝室でひとしきり泣いてからお昼寝するのに、どうやって明るい場所でお昼寝しているのか。

 私にはわからない保育園でのエン様を、5歳のお姉さんは知っている。

 その時、エン様をすごく遠く感じた。平日の日中は大半を保育園で過ごしているのだから、私はエン様のことを半分くらいしか知らない。エン様のことを「自分の子」と思っていたけど、エン様は1歳半にして既に立派な社会人で、半分を保育園という社会で生きているのだった。


 まだ私が妊娠するずっと前、ある方が「子どもは社会からの預かり物」と言っていた。それを聞いた時は違和感があった。「子どもは家族のものじゃないの?」と思っていた。

 でも今、すとんと腑に落ちる。子どもは社会からの預かり物で、仮にうちにいるだけで、いつか社会で何らかの役割を果たす存在になる。1歳半の今ですら、社会人の片鱗を見せている。これからしっかり喋るようになり、幼児になり、小学生になったらもういっぱしの社会人然としてくるだろう。もちろん未成年の間は「社会で役割を果たす」なんて考えず、大人に見守られながらのびのび育てば何でもいいのだけど、社会の中の一員であることには変わりない。

 エン様は超ママっ子で、パパがいてもママ! ママ! ママママママー! ママが絶対的存在。もはや神なのではというママ信仰。ママママママママママと言われていると、私はエン様を保有しているような気分になってくる。実際、親としてある程度エン様に権威的に振る舞わないといけない場面はある。エン様が危ないことをしたら止めないといけないし、エン様の要望を受け入れられず親の指示に従わせることもある。
 しかし、本当のところ「子どもは社会からの預かり物」なのだ。私はエン様の保有者ではなく、一時的に預かっている人。1歳半にして、社会人として頑張っているエン様を支える人。

 そう思うと、親は子どもが将来社会で何らかの役割を果たせるように、いろいろなことを教えないといけないなぁ、と思う。そもそも存在するだけで肯定されることはともかく、もっと教えてあげたいことがある。

「何のために生まれて 何をして生きるのか」
 
大事なことはアンパンマンの歌に凝縮されている。笑
この問いに自分なりの答えを持てる人間になりますように……。


≪終わり≫


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子どもに教えられたこと

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