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エッセイ / 帆を揚げる会いたい人に会いに行くそれはほとんど生きる決意だ


 2022年は色々なことがあった、打ち砕かれること打ち砕いてしまったこと、後悔と呼ぶにはあまりに惨めて、反省というにはあまりに無責任だった。


空回り続けて、擦り切れて、寝ても覚めても、気付いても気付いても、目を閉じても目を開けてもハムスターの回し車のようにずっと同じところにいたこと、
まるで一年間ずっと自分の下の穴を全力で掘り続けていたような、たまにその穴を埋め浅くできても、また気付いたら穴を掘り続けていたとこと、
浅い失望と薄い希望の繰り返しは、絶望より不幸ではないかもしれないが、とてもたちが悪いと思った。心の底から疲れ果てたと思った。
(余談だが、世には穴を掘るそしてその穴を埋めるそれを繰り返すだけという拷問があるらしく、ある映画のワンシーンでも見られるらしい。たまに世界は広過ぎるし、映画は多いにこしたことはない)



2022年、落ちるところまでさぁ落ちたぞと思った。


人には人の海の深さ、湖の広さ、星の数があって、日の出と日没の時間ですら違う中で、ここが私の底だと思った。もう無理だなと思った。

「それぞれの名前の愛があり、それぞれの地獄が煮えていて、それぞれの深さの海があって、それぞれに授けられた月が昇っていて、それぞれが自ら決めた数の星が光っていて、もう他人なんかに何か言えるとしたら「今日だけは一緒に踊りませんか」ぐらいしかない。」

昔書いた詩、少しでもニュアンスが伝われば参照。



ここが私の底だと思った。もう無理だなと思った。

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