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死を意識して生きてみる②がん治療編

世界中では、1日に18万5,000人の人が亡くなっています。
残念ながら、あなたにも最後の日はやってきます。
人の致死率は100%です。

立ち止まって自分の死を意識してみると、今、何を優先して生きるべきか、自分の人生で何を成し遂げたいのか明確になってきます。

今回は、日本人の死因の第一位である『がん』について書きます。
今、2人に1人は癌に罹患すると言われています。

僕は、大好きだった親せきのおばちゃんを癌で亡くしてから、癌に関する本を貪り読みました。


癌に詳しくなるというよりも、自分なりの心構えや行動の指針、考える軸というものが欲しかったのです。

『患者よ、がんと闘うな』を上梓された近藤誠先生の本を読み、
また、近藤先生と反対の意見を論じている本を読みました。
これからもこの分野の本は、とくに最新の情報は読み続けていこうと思いますが、現時点で、僕が思っていることを書きます。

結論として、
僕は、癌になった場合は、治療せずに放置し、穏やかに死ぬこととしています。
(血液の癌等の抗がん剤で治る可能性のあるものや緩和のための処置を除く)
理由は、ただ穏やかに逝きたいからです。
死を敗北ととらえる世界に身をおいて無駄で苦しい時間を生きたくないのです。
癌で死ぬというのは、寿命なのです
1分1秒でも長く生きるという価値観ではなく、いつ死んでも後悔しない今に重点をおいて生きたいのです。
おそらく、後悔という視点に立てば、いつ死んでも後悔はあるでしょう。
人生まっとうして50年から100年。
人の歴史、地球の歴史、宇宙の歴史からしてみれば、大差はない。と思いたい。


近藤先生の話に関しては、反対する意見も理解できますが、やはり、自分なりに納得できるところが多かったのです。

近藤先生の本を超簡単に要約すると、
●癌には、本物の癌と、癌もどきがある。
●本物の癌は、発見した時点ではもうすでに手遅れであり、死を免れない
●癌もどきでは、人は死なない
●よって、癌を治療する必要はない(例外あり)
●癌で死んでいるほとんどの人は、癌の治療によって死んでいる
という内容を様々な事例などを織り交ぜて論じておられます。

気になる内容としては、
・本来、癌は痛まずに安らかに死ねる病気。苦しいのは抗がん剤と手術
・病院は、手術、抗がん剤治療、放射線治療をすればするほど利潤がある
・初期診断10人に1人は誤診
・「がん検診をやめた村」で、癌の死亡率が激減した
というものがありました。

とくに印象的だったのが、
癌を宣告された医師が、一切の治療をせず病院を去り、
二度と病院には戻らなかった。
そして家族と過ごし、穏やかに逝った。
という話でした。
このエピソードは、今のがん治療、がんビジネスの実態を垣間見たような気になるものでした。

一方、
『やってはいけないがん治療』岩澤倫彦著
では、これらの「がん放置療法」をバッサリ切り捨てています。
近藤先生のベストセラー本の中身を「不安ビジネス」とみなし、印税が1億円に上る大ヒット著書もある、「がん放置療法」は錬金術だと述べています。

いや~、、、泥試合ですねww
業界の内輪もめみたいで、どうでもええわ~と思ってしまいますが、
この『やってはいけないがん治療』も納得力のあるなかなか読み応えのあるものでした。
この本で気になったポイントは、
●標準治療の「標準」は、「平均」という意味ではない。
 実は「世界最高水準の治療」
●先進医療は「看板に偽りあり」の本当は実験的治療
【みなさんガン保険やめましょう】←ぼくの声
●病院ランキング本、自費出版、テレビ番組を信じるな
 ヤブ医者が「名医」に変身する方法
●余命宣告。余命を割り出す計算式はない。がん患者がいつ死ぬかは神のみぞ知る
という内容がありました。

また、このように一つの分野について、さまざまな著者の本を読むことのメリットは、
“共通点”が発見できることです。
この共通点は信ぴょう性が高い情報だと言えます。
僕が気になった共通点は、
◆患者を苦しめる、終末期の点滴や栄養補給
 やせたままのほうが、穏やかな最期に
◆「がん検診」の罠
 たとえ毎年受けていても、早期発見できない
という内容がありました。

ここで、僕自身の体験談を2つ紹介します。

■エピソード①
とある日本海に面した田舎の町です。
90歳の元気なおじいちゃんが、畑で大根を収穫し、近所に配って帰宅しました。
その日、自宅で倒れて亡くなりました。
おじいちゃんのお腹を触診した医師は、一言、
「がんですね。間違いないです」といいました。

もし、このおじいちゃんが70歳くらいでがん検診を受けていたら、早期発見できたかもしれません。
しかし、その後の抗がん剤治療や手術で、発見から数か月後に亡くなっていたかもしれないと思うのです。
癌を患っていても、わざわざ医師に発見されることもなく、90歳になるまで、毎日元気に生きたおじいちゃんは幸せな人生を送ったと言えるでしょう。
これは、癌であったとしても、“寿命”を全うしたと言えるのではないでしょうか。

■エピソード②
僕は、20代のころ、ボクシングをしていました。
プロライセンスを取って、出稽古に出ているときに、顔面をひどく打たれ、目がおかしくなり、左側を見るとモノが二つ見えるようになってしまいました。
その症状を治すため、病院に行ったのですが、その時、体験したことにより、僕は医師が信用できなくなったのです。
10か所くらいの病院を回ったのですが、原因が分からないと診断したにも関わらず、どこも大量に飲み薬を処方しました。
また、視力矯正手術をしたのが原因でしょうなどと、適当な診断をした医師もいました。
結局、京都の桂病院で、「滑車神経麻痺」という診断をもらいました。
その女医さんは、僕の目の状態について詳しく説明してくださり、時折、分厚い医学書を開いて僕の目の前でいろいろ確認しており、とても信頼のできる方でした。
これらの経験により、僕は、ほとんどの医者ってテキトーだなぁ。患者を商売のカモとして見ているのだなぁと実感しました。

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病院は、患者一人を癌と診断すると、その後の治療で大きな利益を得ます。
また、手術や抗がん剤治療は、それぞれの業界の件数=実績なのです。
最新の技術で今までは発見できなかった癌を発見して宣告し、患者が治療を選択することが、この癌ビジネスのスタートであり、医師や製薬会社の存在価値はそこにあるのです。

また、他の本には、
死を敗北ととらえ、口に管を通し、機械だらけにして延命する今の日本の医療を、発展途上であると評価していました。
僕も同感です。

大組織には、人には言えない裏の実態というものが必ずあります。
もちろん、僕にも信頼のできるお医者さんはいます。
善良なお医者さんもたくさんいるはずです。
しかし、癌治療に関しては、性善説は通用しないというのが現実なのではないでしょうか。

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いつの日か、人類は、癌を克服するでしょう。
人が、生身の人のままで死ぬのは、僕らの世界が最後になるかもしれません。
テクノロジーが、がんや死というものの在り方を根元から変えてくれることでしょう。
しかしながら、それはまだ遠い未来の話で、僕らが生きている時代の話ではなさそうです。
だから、僕は、がんの治療はしない。
僕は、死を敗北、不幸だととらえていないし。
一番自然に死ぬと決めている。

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