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婚約者を連れて

婚約者を連れて
故郷の町を案内した

ここがぼくの通った小学校
校舎は建て替えられたけど
この坂道を六年間歩いたんだ

ここはぼくが通った中学校
この道は三年間自転車で
部活のランニングもこの道だった

車を減速させて助手席に座る彼女に説明していたら
通学路を歩いているあの頃の自分が一瞬見えた気がして

懐かしさにひとり浮かれていないだろうか
心配になって君の顔をそっと見てみる
こっそりと初恋を思い出していたこともバレていないみたいだ
冷たいものでも飲もうよ
罪滅ぼしのつもりで自販機に立ち寄る

駄菓子屋が歯医者の駐車場になり
怖い犬がいる家は空き家になって
幼稚園はもうなくなっている

生まれた町がよそよそしいまでに変わり果て
懐かしいかと訊かれたから
懐かしいと彼女に向かって微笑んだけれど
大人になって嘘が上手になったわけではなく
ただ寂しさと痛みをやり過ごすことに慣れただけ

そのあとは車で海に向かった
君を連れて初めての海
免許取れたてのときってなぜか海へドライブしたくなるんだよね
若い頃の思い出が止まらなくなっているぼくに
私の知らないあなたを知るのが楽しいと君は笑う

窓を開けて潮風を呼び込み
車を止めて二人で波音を聴く
生命の始まりは海から
だから挨拶をしに来たかったのか

せっかくだから海に向かって叫ぼう
キョトンとしている君の腕を引いて砂浜に降りる
何を叫ぶつもりなのとニヤニヤしている君の横で
ぼくは君と一緒になれて良かった
と言う代わりに
歳を取ってもまた一緒にここに来ような
と言う代わりに
やっぱり恥ずかしいから叫ぶのやめようかな
と言う代わりに
そばにいる生涯愛し続けたい人の名前を
思いっ切り叫んだ

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