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恩田陸『夜のピクニック』《砂に埋めた書架から》43冊目

 この本を手に取るきっかけは色々あったが、NHKにんげんドキュメント『15歳の長い一日 ~渥美半島 夜の50キロ歩行~』(2005年9月放送)という番組を視聴したことは大きかった。

 愛知県に実在する高校で行われる「渥美夜間歩行」という行事は、夜間を徹して一年生が50kmを歩行する夏の伝統行事だという。先生や親たちが総出でバックアップする大がかりなイベントだが、生徒たちが長い距離をひたすら歩くだけであるにもかかわらず、この行事は不思議な感動を生む。

 この日ばかりは携帯電話を先生に預け、生徒たちは夜の中を歩きながら仲間と対話し、自分と対話する。50kmという尋常ではない距離は徐々に体力を奪い、気力をも蝕んでいくが、生徒たちは互いに励まし合い、クラス全員が完歩することを目指すのだ。

 このドキュメント番組を観たとき、私はこの学校の生徒たちが正直羨ましかった。どうしようもなく青春を謳歌したい気持ちが沸き起こり、彼らに交じって歩きたいと思ったのだ。そして、私はこの本があることを思い出した。

 恩田陸『夜のピクニック』は、夜を徹して80kmという距離を歩く高校生たちを描いた青春小説である。

 物語の主人公は高校三年生の西脇融(とおる)と同じクラスの甲田貴子。彼らは訳あって三年間、一度も言葉を交わしたことがなかった。二人とも出生に関することで、相手に複雑な思いを抱いていたからだ。そして甲田貴子はこの高校生活最後の行事である「歩行祭」で、ひとつの賭けをすることにした。それは西脇融に対してあることを行うこと……。

 物語は、このように、ある種の緊張を含んだ関係にある二人をメインに据えながら、青春小説らしい友達同士のとりとめのない会話(回想、告白、恋愛話)などとともに進行していくのである。

 この小説を読んだ人の中で、読書中に自分自身の昔の思い出が押し寄せてこなかった人は、おそらく一人もいないのではないか。

 私は読んでいる最中、幾たびも自分の青春期の思い出に襲われた。小学生の頃から、友達と夜を過ごすキャンプの時間や林間学校の行事は、妙にわくわくして、楽しかったことを覚えている。テントの中でひそひそと話しをし、思わず大きな声で笑ってしまい、先生に見つかって叱られながらも、それでもくすくすと小さく笑い続け、すぐには寝付けなかったものだ。さらに成長して高校生ともなると、その話題の中に恋愛やエッチな要素が追加され、一層盛り上がる。このように、友達とともに過ごす夜の時間というのは、あの年頃にはスペシャルなものなのだ。

 私は『夜のピクニック』を読んでいる間、幾度となくページを繰る手を止め、自分の過去に立ち帰っていた。

 青春の後悔や未練といった心情は、記憶の奥深くにしまい込んでいたはずだったが、本編で語られる主人公たちの行動や思いといったものに触発されて、私はとうに過ぎ去ったはずの十代の記憶と向き合う羽目になった。高校生活の三年間はあっという間ではあったが、甘く、せつない思いがどういうわけか思い出され、なぜか胸が締め付けられた。

 それでも、読後は美しい朝焼けを見たように爽やかになるのだから、不思議なものである。



書籍 『夜のピクニック』恩田陸 新潮社

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■追記■

 この書評(というよりは感想文)は、2005年9月に作成したものです。

 読書の感想なのだから、もっと『夜のピクニック』の内容を紹介するべきだとは思っていても、どうしても自分語りを始めてしまいそうになります。でも、これこそが、『夜のピクニック』を読む醍醐味なのかも知れません。

 良い小説とは、次の二つがあると考えています。一つは、読み始めたら止まらなくなる小説。もう一つは、読んでいる途中でたびたび読むのを止めて別のことを考えてしまう小説。前者はエンターテインメント小説に多く、後者は純文学に多いと個人的には思うのですが、この『夜のピクニック』は、面白くて読むのが止まらないのに、つい別のこと……つまり、自分の過去の思い出につかまって、そっちの方に気持ちを持っていかれて、しばしばページを繰る手が止まってしまう、という、両方の面で満足させてしまう珍しい小説ではないでしょうか。

 恩田陸さんの母校では、この小説と同じように生徒たちが長距離を歩く行事「歩く会」というのが実際に行われているようです。

 実は、私が通学していた高校にも同様の「歩く会」という行事がありました。私がこの小説を読みながら、自分の経験をたびたび思い出していたのも、そういう心情を理解できる下地の経験があったからかも知れません。
(いえ、なくても、この小説を読むと、確実に昔の思い出が蘇ります! 本当です!)

 私の高校の「歩く会」は、朝、学校を出発して、約30㎞先にある山小屋まで歩くというものでした。冬であればスキー場として経営しているような施設がゴールです。長い舗装道路の山道をおしゃべりしながらひたすら歩く、ただそれだけです。たった一人でとぼとぼ歩く者もいれば、集団をつくってだらだら歩く者たちもいるし、二、三人で密談をしながら歩く者たち、あちこちの集団に出没し活発に動き回る体力のある社交的な者もいました。あの男子生徒とあの女子生徒が二人きりで歩いていて、意外な親密さが露見する場面もあったりと、まさに人間観察にもってこいの行事だったことを覚えています。翌年は海岸線を歩くコースだったのですが、前日に自転車で転倒して脳震盪を起こしてしまった私は欠席してしまいました。今思うと貴重な経験を逃した気がして、非常に残念です。

 私が歩いたおよそ30㎞も、実際歩くと半日がかりの長い距離です。小説は80㎞ですから相当過酷な行事だと思います。ちなみに感想文の最初で紹介した「渥美夜間歩行」は、三十年間続いていたそうですが、2008年を最後に行われなくなったようです。

 やり遂げてみれば自分が前の自分と変わっていることに気付く、そんな体験が「歩行祭」や「歩く会」で得られる意味は大きいと感じています。

 肝心な小説の中味には何一つ触れず、またもや自分のことを語っただけで感想は終わります。そうなんです、こうなってしまうのが『夜のピクニック』なのです。

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