見出し画像

妊娠という奇跡と、流産という現実の話 6/6

46歳で初めての妊娠と流産を経験した話。最終回は妊娠初期の流産に対する対処について書いています。このことを一番伝えたくて、今回の一連の記事を書くに至りました。

流産処置の選択肢について思うこと

胎嚢を焼いた翌日に、知り合いからシェアされてきた記事を読んだ。そこで初めて、待機と手術以外に、薬で管理できる選択肢があり、それが海外ではスタンダードであることを知った。ただ、日本ではその手法が認可されていないために、待機か手術の2択を迫られているという事実に衝撃を受けた。

…なんじゃそりゃ?どういうイジメですか?と思ったのが第一印象。

流産って、ただでさえメンタルにくる話なのに、負担をかける方法しか認められていないってどういうことなんだろう?薬で待機管理できるのであれば、その日に仕事を休んで、落ち着いて負担もなく見送ることができたんじゃないのかと。流れてくるのが今日なのか明日なのか、3日後なのか1週間後なのか1ヶ月後なのか、わからないままに仕事に穴を開けるわけにもいかず、結局職場で大流血しちゃって、青い顔しながら働かなくてもすむわけやんと。

倫理の問題で、「簡単に」中絶できる薬をそうそう認めるわけにはいきませんよという考え方があるんだろうか?

それとも何か他の理由があるんだろうか?それほど悪くはなさそうなんだけど。


しかし、子供を産む女性の6人に一人が流産を経験している現実もあるわけで。6人に一人ですよ。石投げたら当たるんですよ。身の回りの女性にアンケートとったら多分数人は経験者ですよ。倫理を云々言うのであれば、使用用途を限って認めるとかを考えればいいんじゃないの?と、心から憤慨しました。


そんな折、切込隊長やまもといちろうさんのnoteでもこの件が取り上げられていて、これはまたタイムリー。

何かしらと読んだところ、こちらは同じ著者の別記事に関する批判ブログ。

何がダメなのかと思って読むと、センセーショナルなタイトルで誤解を生ませるような表現についての批判だった。


有望で安全な代替医療として日本でも手動吸引法がすでに認められ、早い速度で普及段階に入りつつあるのに、「今でも日本では掻爬法を主流としていてそれ以外を軽視している」というようなミスリードを誘う記事は如何なものかということらしいです。

それに関して特に異論はありません。ただ、私がこの記事に関して最も気になる部分は、ここでさらっと触れられていて読み流されている、

「日本は先進国なのになぜ、中絶が合法なのになぜ、女性に懲罰的な掻爬法を罰金のような高額でいまだに行っているんだ。なぜ安全な経口中絶薬を認めていないんだ

と言う部分です。でも山本さんは、

海外の人から「なぜ日本では」と派手に出羽守をやられたようですが、中絶を希望する妊婦に対する施術で平均18日とか待たせるフランスやオランダに言われたくないだろうと思います。経口避妊薬を普及させている背景にも、医療側のインセンティブの問題があるので、こういう学術的に意味を持たない比較はしないほうがいいんじゃないでしょうか。

と、サラリと薬のことは問題外として流しています。ここが読み流せなかった。

いや、この記事の主旨からして、取り上げる内容からは外れるということはわかる、わかるんですよ。

だけど、当事者としては

なぜ?何故なんですかー!?と、声を大にして問いたい。

「掻爬術は時代遅れの医療で、器具で掻き出す原始的でリスクの高い医療だからだめ。手動吸引法なら安全で母体への負担も少ないから大丈夫。」ではないんです。

たとえ安全な代替医療だと言われても、手動吸引法も嫌なんです。流産で心が辛い時に、掻爬法や電動吸引法よりも安全よと言われても、やはり足を開いて他人に死んだ子供を引き出されるのは嫌なんです。

私が最初に、できるなら自然に出てきて欲しいと思っていたのは、産み育てたかったと思う気持ち。流産という形でも産むという自然の姿で完結させたいと思ったからではないかと思います。

待機も心理的、肉体な負担が大きかったです。それでも手術よりは良かったと思っています。

薬剤でコントロールして自宅で産み出すことができる選択肢があるのであれば、何よりもそれが最上の選択でした。

もちろん、薬を使っても完全流産に至らない場合もあり、その場合は結局手術が必要になることも理解した上です。選択肢があることが重要なのです。

自分が当事者になって、全てが終わった後に初めて、薬剤で管理できる選択肢があることを知りました。今の日本では選ぶことさえできないことに疑問と憤りを禁じ得ませんでした。

そして、そういった選択肢があることを、情報として与えられることさえ無いままに、処置手術を受けている女性のなんと多いことかと…。


男性社会だから、他人事として捉えてられて認可が進まないのかしら。(バイアグラは超高速で認可されたのに)

中絶を気軽に促進してしまう可能性への倫理的な問題から、認可が進まないのかしら。

それが少子化促進につながるとか思われているのかしら。

流産した女性はその経験を辛くて語りたがらないから、余計に社会の認知も広まらないのかしら。(処置手術自体がこの経験をさらに辛いものにしてしまっている気がするんだけど)

認可が進まない理由として、何がダメなのかが全くわからない。

わからないから、とりあえずは自分の経験とそこから思ったことについてを伝えたいと思った。

みんなが味わっている悲しい思いをした一人の当事者として、感じた思いが他の誰かに届けばいいなと思った。

そして、納得のいかない現状がもっと認知されて、共感されるといいなと思った。

流産限定でもいいから、薬での処置が認可されれば、流産時の女性の負担は少しでも改善されることを知ってもらいたい。

倫理的な面が問題なのであれば、使用用途を限定して認可して欲しい。一旦認可されれば臨床のデータが増えるから、いずれ制限を外す議論をする際にも、豊富な実証データを根拠にできるのでは無いかと。

人工妊娠中絶に関しては、私にも抵抗がある。でも、望まない妊娠によって女性の方に過分なリスクが押し付けられがちなこと。そしてそれに関しての助け手が無い今の日本の状況も知っている。

シングルマザーの貧困や、性別での給与格差、男性の養育放棄の現状とか、養育費支払いに関する強制力のなさとか。ばっくれたモン勝ちなんですかと思いますよ。

それらから目を背けてただ中絶への倫理感情を唱えても、そこに現実はないと思う。


そう思ったのもあって、今回感じた諸々を、をつらつらと吐き出してみた次第です。こんな長文を書いたのは生まれて初めてです。人生、何歳になっても初めての事だらけですね。読みづらいところはご容赦ください。



知りたかったことや話したかったことがたくさんあった。でも内容がプライベートすぎて、逆に自分に近い人には知られたくなかった。その上で話をする場が欲しかった。そんな内容です。