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妊娠という奇跡と、流産という現実の話 5/6

46歳で初めての妊娠と流産を経験した話。今回は待機期間中に進行流産になり、自然排出した際の出来事です。かなりリアルな描写になっているので、苦手な方はご注意ください。

自然排出までの経過

診療の翌日から少しずつ出血が増えてきた。増えてきたと言っても、激しくはない。翌日はまだ生理初日の入り口のような感じ。それまでの茶褐色の少量出血から、赤っぽい少量の出血に変ってきたぐらいだった。

その次の日、出血は更に増えてきた。でも、まだ生理2日目みたいにどかんとはこない。じわじわと出血しているイメージで、生理5日目ぐらいの感覚。
痛みは無かったので、この日はかなり体力が要る仕事をしていたが平気だった。ただ、出血が着実に増えてきている事はわかるので、念の為夜用の生理用ナプキンをスタンバイして備えていた。でも、出血が急に増えるわけでも無くじわじわと出血している感じが続いて、いつ来るのかとハラハラしていた。

夜、寝る前ぐらいには、腹部にジンワリ痛みを感じるようになってきた。ただ、元々ほとんど生理痛を感じた事が無く、痛みにも強い体質のため、なんだかお腹が時々鈍く痛いような気がするなあ、生理痛ってこんな感じかな?ぐらいに思っていた。(後日夫から、この日の晩は一晩中うなされていたと聞かされたが、本人はそんな事全く気付いていなかった。)

診察から3日目、この日は前日よりも出血が増えていたため、朝から夜用ナプキンをスタンバイした。お腹にも鈍い痛みがあったので、痛みが強くなったら飲もうと痛み止めを持って仕事に行った。仕事を始めてしばらく経つと、だんだん痛みが強くなってきた。ただ、ずっと痛いわけでは無く、腹痛のように波があった。痛いなーと思う時間と、平気な時間が交互にやってきていた。朝の時点では大した事なかったから、痛み止めは昼食後でいいだろうと思って、ロッカーに入れていた。

昼休憩の30分ほど前から痛みが更に強くなってきた。ギューっとギリギリするような痛みがしばらく続いて、しばらくすると緩む。後少しで休憩だから、そしたらご飯の前にロッカーに行って痛み止めを飲もうと、我慢して働いていた。

ここまで終わらせたら休憩に行こうと思っていた時、かなりのレベルの痛みの波がやってきた。それまでは同僚にも気づかれ無いように動けていたが、この時はお腹を抱えて動きが止まるレベルの痛みだった。

一定時間が経って波が収まり、動ける、と動き出した次の瞬間、ドドドッ!と何かが出てきた感触があった。それに続いて、ジャバジャバジャバと何かが一気に出てくる感触が続いた。あまりのことに動きが止まる。頭の中で一気に警報がなる。「ヤバイヤバイヤバイヤバイ」「どうしようどうしよう」

そう考えている間にも何かが出てきている感覚がある。とにかく今すぐトイレに行かないと大惨事になる。そう思って、なんとか誰にも気づかれずにトイレに駆け込んだ。

下着を下ろしてみると、血の塊のようなものと大量の出血がナプキンにあった。でもまだまだ何かが出てくる感触に、慌てて便座に腰を下ろした。その瞬間、さっき以上の何かの塊が、2回ぐらいに分けてドゥルン!っと滑り落ちていく感触があった。続けてジャバジャバと一気に液体が流れ出ていく。「今、出たのがそれだ」と確信があった。

最初の塊が出た直後の勢いはすぐに緩んだけれど、その後もなかなか出血が止まらない。10分ぐらいはその場を動けなかった。

出血の勢いがおさまってから、勇気を出して落ちていった塊を拾った。長さが10cm、直径が3cmぐらいの袋状の塊で、これが胎嚢だと確信した。

どうしようかと悩んだ末、軽く洗ってナプキンのフィルムでそうっと包んで持って帰ることにした。

幸い出血は服の方にはほとんど被害がなく、危惧していた惨事はおきていなかった。

とりあえずナプキンを替えて仕事場に戻り、すぐに休憩に入った。このタイミングで休憩に入れて本当に助かった。排出直後1時間のうちに、夜用ナプキンを4枚ぐらい交換した。腹痛は嘘のように楽になっていたから、結局痛み止めを飲むことは無かった。あれは陣痛のようなものだったんだろうなあと、ぼんやりと思った。

排出時の出血量には驚愕したが、それ以降の出血量は徐々に減っていった。初日は夜用ナプキンを2〜3時間おきに交換するぐらいだった。


病院に電話を入れて、排出した事を伝えると、確認するから来てくださいと言われて翌日の仕事前に通院した。エコーで確認すると、胎嚢は綺麗に排出されているが、その他の子宮の内膜などはまだまだ残っているからと、排出のための薬を処方された。子宮収縮薬と抗生剤が3日分、止血剤が5日分あった。2週間経ってまだ出血が止まってない場合には再来院が必要だけど、手術はもう必要ないとのことだった。

2週間も出血が続くことには少し驚いた。でも人の手によって強制的に終わらせるのでは無く、時期が来たことで自然に終わることが出来たような、納得できた気持ちだった。


排出後の諸々

夫と持ち帰った胎嚢をどうしようかと話した。特に検査をする必要も感じなかったから病院には持って行かなかった。

トイレに流す?→それは嫌だ

燃えるゴミに出す?→それもちょっと

どこかに埋める?→どこに?

焼く?→…それかなあ。

胎嚢は100円均一で買った木製のチョークボックスに、真綿で包んで納めた。ピッタリサイズだった。そして家に余っていた木の端材を集めて、深夜にアウトドア用の焚き火台でキャンプファイヤーをした。木がパチパチ爆ぜてうるさかったがよく燃えた。2時間ほどで全てが燃え尽きて灰になった。予報されていた雨は全く降らず、逆に晴れて星空が綺麗に見えた夜だった。

多分9割9分は木やね、と言いながら残っている灰を集めて袋に詰めた。後日、お墓に行って祖父母と猫にお参りしつつ、よろしくと言いながら収めてきた。

排出後、3,4日目ぐらいが一番体が辛かった。多分かなり貧血だったのだと思う。体が重くて普段の倍ぐらいの重力を感じていた。普段が元気なだけに、地球の重力、強いわ〜と言いながら、仕事から帰るなりへたり込む私は相当珍しかったのだと思う。夫が女性の出産の大変さを思い知ったと、それを産む機械とか言っている政治家は何考えてるかわからんと憤っていたのが少し面白かった。

2週間続くと言われていた出血は、生理の時のように徐々に収束する感じでは無かった。後半1週間は、収まりかけては何かが剥がれ落ちてきた感じで新たに出血する、みたいなサイクルでだらだらと続いた。



知りたかったことや話したかったことがたくさんあった。でも内容がプライベートすぎて、逆に自分に近い人には知られたくなかった。その上で話をする場が欲しかった。そんな内容です。