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覚悟と憧れの狭間で


「覚悟が足りないよ。」


2018年1月31日。自分が居なくなっても差し支えはないとは思いつつも、共有できていない情報がないかチェックしていた。時計の針は9を超えており、フロアに残っていたのは私と仲の良い営業さんの2人だけだった。のろのろと仕事をしている私に「早く帰りなよ」と声をかけてきた。一緒に進めていた仕事もあったので、引継ぎ事項等の話をし、話題は私のこれからのことに。

先輩には退職することを他の人よりも先に報告した。外回りが多い営業さんが多いなか、先輩は社内にいることが多く、少し毛色が違う雰囲気を纏っていた。入社当社、企画を立てて先輩に提案することがあったのだが、「仕事のいろは」すら理解できていない私に容赦はなかった。けれど、先輩の言っていることは的を射ていたし、企画内容と自分の考えの甘さを見つめ直すことができた。お客さんに提案することはなかったものの、修正した企画を褒められたときはすごく嬉しかったのを覚えている。今思うと新入社員の私にそこまで時間を費やしてくれたことに感謝しかない。

頭の回転が速く、鋭い指摘ができる人。先輩は仕事ができる人と言って間違いないだろう。

仕事だけではなくプライベートでもお世話になっていた。飲んで朝までカラオケのコースは定番になりつつあったし、休日遊びに誘ってくれたこともあった。そして私が転職先として考えていたweb業界を経験していたため、相談するのにピッタリな存在だった。いや、ピッタリすぎたのだ。

退職する人にはいくつかパターンがある。仕事を続けながら次の仕事を探す人や辞めてから探す人。はじめは仕事を続けているうちに探そうと思っていたけれど、見ていた求人はどれも魅力に見えた。

お金が入ってこない、給料がない状況は、自分が社会と切り離されるような気がして怖い面もある。けれど、丁寧に選ぼうとしなければ、また同じ目に合ってしまう。安心感欲しさに決めようとするのは、私には合わなかった。就職における安定や安心を、仕事に求めるのは難しいだろう。

ボロボロと崩れてしまっていた心を回復させるには、「仕事」という概念そのものから離れる時間が必要だった。

東京に出たい、文章を書く仕事がしたい、と話していた私に、先輩は具体的にどんなメディアで何が書きたいのか追及してきた。正直分からなかった。メディア会社の特徴もあまり分からないし、販売している商品やサービスが違うだけでどこも同じなんじゃないか、そんな感じだった。この仕事から離れ文章が書ければなんでもいい、という気持ちも少なからずあったと思う。

仕事に時間と精神的な余裕を奪われていた私は、これから先のことを荒んだ気持ちで考えたくなかった。転職を快く思わない親も説得する必要がある。自分の気持ちを素直に伝えると先輩はこう言った。

「考えが甘すぎる。若い段階で辞める決断をしたことは悪いことじゃないと思うし、むしろ良いと思う。だけどそんな気持ちじゃダメだよ。覚悟が足りないよ。」

真っ直ぐに目を見て言われたその言葉は金槌のような鈍器に見えた。これまでの人生を振り返れば、考えの甘さは自分が一番分かっている。間違ってはないし、経験者だからこその優しさだととらえることもできる。

でも言われたくなかった。覚悟が足りないって何?そんな簡単にできるものなの?そもそもどういう状態が覚悟があるって言えるの?あなたみたいに強い人ばかりじゃないんだよ。

この後自分がどんな風に返事したのかあまり覚えていない。分かってもらえなかった悲しみに耐えるのに必死だったから。背中を押してほしい、そんな淡い期待をしていたんだと思う。私はどこまでも甘い人間だった。

結果、有給消化前の最終出社日にも関わらず、帰るのは一番遅くなってしまった。退職2週間前にひどい捻挫をした右足は治りが悪く、松葉杖をなかなか手離せなかった。そして「覚悟」という言葉も私の脳みそから離れてくれなかった。ビターチョコのような苦みが残ったまま私の新卒生活は幕を閉じた。

働き始めてからも覚悟は見事に付き纏ってきた。重ねて積み上げた自信も、覚悟が立ちはだかると無力に見えていたのだ。そんなとき、自分が憧れている女優の写真集を買った。大学生のころ限定で発売された写真集を買えなかったことをひどく後悔したから、迷う理由は一つもなかった。

彼女を好きになった理由は、お芝居はもちろん、自然体な雰囲気に親近感が沸いたからだ。きっかけは好きな度合いに似合わず曖昧だったと思う。海外で撮影された写真は美しかった。広大な自然は、彼女の素朴さのなかにある力強さを引き出していた。

写真集の最後にはロングインタビューも載っていた。普段、自分の気持ちを多く語ることがない彼女はどんなことを考えているのか、知らない一面を知れることはとても嬉しかった。最後のページには彼女の気持ちが綴られていた。迷いなく買えたのは、この文章を読むためだったのかもしれない。

”ただ、お芝居がやりたくて、17歳でこの世界に入りました。好きのわりに、自信はないし、覚悟も足りていませんが、自分からこの仕事をなくすと何も残らないような。それでもいい、とも思うし、それだとまずいな、とも思うけど、自分のための人生、自分にしか生きられない人生とやらを、私は豊かに生きていきたいと思う(後略)”
出典元:有村架純写真集『Clear』

思わず涙が流れた。バカだと思うけれど、彼女の言葉に救われた。あの日から彷徨っていたやり場のない悔しさと、ようやくサヨナラが言える気がした。直接お礼を言ったとしても、この感謝を伝えるには足りないと思う。それぐらい自分の心がスッと軽くなったのだ。本当にありがとうございます。

あれから1年ほどの時間が経った。友達に「東京はいつ行くの?」と聞かれると、急かされているような気がしてしまい、心がギュッと締めつけられる。ごめん、まだ覚悟が足りないみたい。でもね、文章を好きな気持ちは誰にも負けないよ、そう言い切れる自信が今ならある。だから「今だ」と思ったら動けそうな気がするの、それが明日でも数年後になろうとも。

誰のために生きているか分からなくならないように、自分の速度で生きていきたいと思う。たとえそこが何かに揺らぐ狭間の世界でも。

読んでいただきありがとうございました◎ いただいたサポートは、自分の「好き」を見つけるために使いたいと思います。