見出し画像

呪いを解く


「The pen is mightier than the sword(ペンは剣よりも強し)」

仕事で言葉を扱うようになって以来、より一層強く感じる。言葉一つで誰かの気持ちを救えたり、反対に追い込んでしまえたりする。それは自分以外の他者へはもちろん、自分自身に対しても同じことが言えるだろう。


私は自分で自分を責めることが得意だった。明確にいつから、とはわからないが、社会人になってから自分で自分を追い込むことで落ち着く、ということが定期的にあった。いわば呪いみたいなものだった。

それが昨年の春からパタリと落ち着いている。まだ完全に無くなったわけではないと思っているけれど、どうしてなのか少し考えてみたい。



※原因となる説明部分が長く、ネガティブな表現があるので、読む場合は気持ちが穏やかなときに読むことおすすめします



「真面目でしっかりした子ですね」

学生時代、三者面談でよく聞いた台詞だった。自分自身はそんな風に思っていなかった。真面目に過ごしていたのは、困ったときにサボれるようにしたかったからだ。いつまで経っても自分のキャパがわからないので、容量が悪く、不器用な人間だと思っていた。他者より抜きんでた才能もないから、勉強・運動といったものの多くは努力でカバーしてきた気がする。

とはいえ、努力には限界がある。それが顕著に現れたのが大学だった。複数の科目を学ぶ高校と、一つのことを専攻して学ぶ大学。いろいろな要素から英語学科を選んだけれど、そこには英語に特化した子も多く、自分の無力さに落ち込んだことを覚えている。

自分を責める大きなきっかけとなったのは、大学2年生のとき。知らない土地にようやく慣れ始めた頃。大学に行くことが億劫になり、朝起きれないことが続いた。

最初は、めんどくさがりな性格の影響だと思っていたのだが、着替えて化粧を済ませ、いざ出かけようとしても玄関で足が止まってしまう。出なきゃいけないと思うほどに、変な緊張感が襲う。心臓の音がやけに大きく聞こえる。外に出る度に、この重たい空気感と戦うことが必要だった。

大学での過ごし方も変わった。ずっと視線が注がれているような感覚に陥り、空きコマや授業後、お昼の時間など隙があれば家に帰るようになり、ついには友達との遊びの約束も同じような状況が起きるようになった。

行かなきゃ……と分かっていても行けない自分に苛立つ。友人にも迷惑かけたくないし、そもそもどう伝えたらいいか分からない。不安な気持ちを落ち着かせるには、ただひたすら一人で泣くことしかできなかった。

当時は病院とかに行くほどのことではないと思っていたけれど、今考えてみると少しだけ鬱っぽい感じだったのかもしれない。一度だけ、近くのメンタルクリニックに足を運んだことがあったが、そこがたまたま休診日で
(お前なんかのような存在が来るところじゃない)
と神様から言われたような気がして、もう一度足を運ぶことはしなかった。

そんな状況に追い打ちをかけたのが、当時付き合っていた彼氏だった。自分の状況を説明しても「甘えだな(笑)」と言われ、呆れられた。ややモラハラ気質だったこともあり、友人といるときは穏やかだが、私の前では強い言葉を使うことが多かった。名前ではなくお前と呼ばれ、自分の思うようにならないと不機嫌になる。「デブ」「ブス」といった言葉は何回聞いただろうか。

付き合っていた期間は短かったものの、半同棲みたいな状態だったので、すでに落ちていた私のメンタルが地の底に辿り着くのはあっという間だった。
「お前本当に使えないな(笑)」と言われるたびに、(そうだよね、私は本当に何もできない人間だな)と思ったし、(何もできないくせに生きてるなんで最低)(この世に生まれてくる価値なんてなかった)と自分のことを責めるような言葉が思い浮かぶようになった。

今は言いたいことが山ほどあるぐらいには、最低で最悪な人だったなと思えるので、恋は盲目だと感じるし、今そういう状況にある人は一刻も早くその人から離れて、と願う。

別れた後も、この思考から抜け出せなかった。ベースとして「自分ができない人間」という思考があると、褒められても素直に受け取ることが難しかった。逆に「(自分はできない人間なんだから)調子にのらず、もっと頑張らないと」と考えることが多かった。そして私は、自己肯定感が限りなく0に近い状態のまま社会人になっていた。


新卒で入った会社を辞め、今の会社に勤め始めてからもこの思考は続いていた。自分が書く文章にもとにかく自信がなく、上司に「前より良くなっているね」と言われても、”書くことへの自信”は全然ついてこず、不安がずっと付き纏っていた。

ミスをするたびに(なんでこんなこともできないんだろう。あぁ、やっぱり私はどうしようもない人間だな)と思っていたし、ひどいときは(生きてる価値がないんだから、さっさとこの世から消えてしまいたい)と考えることもあった。声を殺して泣き続けると、息がしにくくて、顔が痺れてくる。それでも自分をサンドバックにして責め続けないと、自分という存在を許せなかった。

少しずつ積み上げてきたできることも、付随してあったわずかな自信も、ぜんぶ自分自身によって壊されてしまう。崩されてしまったものを何とか集めても戻ることはなく、また0から積み上げ直す。なんと非効率な生き方なんだろう。でもそうすることでしか、自分を認められない。本当に辛くて苦しかった。

このままずっとこの状態が繰り返されるのかと嫌気がさす一方で、受け入れるしかないと諦めていた自分もいた。


そんなとき転機が訪れた。

副業でやっていたライターの仕事で、新しい編集者さんと組むことになった。この出会いが、私が自分という存在を認められるきっかけになる。

彼女の編集は指摘内容も的確かつ、FBがすごく丁寧だった。記事内容としてより良いものは何か、という視点はもちろん、+αとして言葉の使い方を教えてくれたこともあった。後々、同い年であることがわかったのだが、言葉を扱う人でありながら、彼女自身が”言葉が好き”という気持ちがテキストのやりとりだけでもすごく伝わってきた。

紡がれた言葉たちはあたたかく、心地がいい。おぼつかない私の背中をそっと支えてくれるような、そんな感覚だった。

そこから自分の書いたものに少しずつ自信が持てるようになった。書いたときに全くの不安がない、わけではないけれど、これまで付き纏っていた理由のない不安は減っていった。「ここすごくわかりやすいです!」とコメントアウトがあったときは、たとえお世辞だとしてもすごく嬉しくて、「でも…」で返すことなく、スッと受け入れることができたのを覚えている。
改めてこの仕事に携わっていて良かったと思った瞬間だった。


そしてもう一つ。趣味との距離感をはかれたことも大きかった。1つのものを好きでいる期間が長かったけれど、ここ2年ほどでその対象が増えた。掛け持ち、と呼ばれる枠に該当する。

情報化が進んだ現代は、好きなものであっても、良いところも悪いところも見えてしまう。それに対して一喜一憂する。それも楽しいけれど、楽しもうとしている趣味の時間に、なるべく杞憂することを減らしたかった。対象を複数にしたことで、(あ、今ここに居すぎると自分も落ちる)と感じたとき、別の場所に移動できる。おかげで変なところで気が滅入ることが少なくなった。

これは、趣味があるといいよ!増やしたほうがいい!といったことを伝えたいわけではなく、自分の容量とバランスのとり方が良かった、という話。私が感じる喜怒哀楽を保つための最適解が見つかった、とも言えそうだ。人間関係と同じように、物事との距離感も大切にしたい。




原因の話が長くなってしまったけれど、私自身の呪いをとけた大きな要因はこの三つだと思う。

・「できること」を自分で認識できたこと
・できない自分を「許す」こと
・他者の感情に揺さぶられすぎないようにすること

文字にするとなんだかありきたりで、簡単なことのように見える。けれど、私には難しくて、ずっと苦しんでいた。こうやって書き記すことでまた、少し息がしやすくなった気がする。

辛かった原因も自分自身にかける言葉だったけれど、そこから抜け出せたのも言葉だった。

The pen is mightier than the sword. 

改めてこの言葉を考えるとともに、自分の使う言葉が傷つけるためのものではなく、誰かの背中を押したり支えたりするようなものになるよう、これからも文章と向き合っていきたい。
見知らぬ誰かのために、そして自分のためにも。






(あとがき)
書きまとめる期間中に、深層心理テストをやる機会があったのですが、自分のことを「車のタイヤ(ゴミ)」としていたので、呪いを完全に解くのはまだまだ先になりそうです。



この記事が参加している募集

最近の学び

読んでいただきありがとうございました◎ いただいたサポートは、自分の「好き」を見つけるために使いたいと思います。