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番外編 あの日、俺は (僕らは夢を見ている より)

17:41 中庭


 その日、俺は偶々、本当に偶々、そういう気分で中庭に足を運んだ。シスターの足を引っかけることもせず、タチバナの椅子にわなを仕込むことも無く、真っ直ぐ、授業が終わったら真っ直ぐ、中庭へ。
 今日も相も変わらずの、うんともすんとも言わない晴天の下、一定間隔で雲が動く青空を見上げるそいつがいた。昨日、色々あった、同年代の中の優等生、シミズだ。人工芝の上で、じっと、じっと空を見ていた。手元には、絵を描くための板と紙、彼の周辺には絵具のチューブやら水入れやら、筆やらが散乱している。
「呑気にお絵描きか、優等生」
 わざとらしい声色で、大きく問いかけてみた。彼の元に歩み寄って距離を縮めるが、返事は無い。
「おいおい何だよ、返事ぐらいしろよな」
「君は、空の色を知っているか」
 タイミングよく返って来た言葉は、変なところをぶん殴って来た。どうも、今の此奴は言葉のキャッチボールを何処かに忘れてきたようだ。長くなる予感がしたので、一人分、スペースをあけて清水の目の前に座る。
「青だ、そりゃ。流石の俺でも見りゃわかるっての」
「いいや、あの青じゃない。というかそもそも、時間によって空は色が変化する」
「あ?夜は黒、夕方はオレンジだろ」
「違う。そうだが、違う」
「おいおい勘弁してくれ、どういうことだよ」
 雲か何かをずっと追い続けていた目が、漸く此方を向いた。焦げ茶色の瞳が、奥に沸々と不機嫌を煮詰めている。
 教科書でも、他の本にでも載っていることだと思う。読んだことはないが。多分、何故色が変わるのかという理由も教えてくれるんじゃないだろうか。読む気はないが。
「所詮あの空もデータだ。投影だか何だか知らないが、本物じゃない。本に載っている写真も、間接的な情報で、本物かどうか確かめる術は無い」
「同じだろ。写真もあの空も、本物の空も」
「違うに決まってる」
「じゃあその証拠はあんのか?」
「同じ証拠も無い」
 一体、俺は此奴と何を話しているんだ。延々と終わらない会話だろう、此れ。悪魔の証明じゃないか、だとかぶつぶつ呟きながら、今度は自分が描いたのであろう絵に集中しだしやがって。
 俺、もう自分の部屋帰ろうかな。飯まで寝るか。すごく疲れた。此奴と同じ空間にいると、凄まじく体力削られていくわ。ゆっくりと腰を上げる。目は合わない。
「まあ、俺にとって空の色はそんな大事じゃねぇから」
「そうだろうね。君が絵を趣味で描くとは思えない」
「へぇへぇ、その通りですよって」
「じゃあ、地上に行きたいと思った事は?」
  人工芝が一瞬揺れた。違う、揺れたのは、俺の身体だ。此奴は、一体何を言っているんだろう。地上?
「……正気か、お前」
「空を見たい。二十四時間、どんな色をするのか、この目で確かめてみたいと、僕は思ってる」
「おいおい、おい。流石の優等生でもその発言は罰則部屋に直行だぜ」
「わかっている。でも君は、少なくともいい子枠ではないだろう。地上に興味は?」

教科書は教えてくれない。何故、突然、人類が地下シェルターに閉じこもったのか。
俺達はわかっていない。同年代の子どもたちが、この世に今、どれほど生きているのか。
俺は知らない。地上がどんなものか、今現在、どんな姿、色、匂い、感触をしているのか。

俺は、確かめたいかもしれない。此奴と一緒に居ると、この先どうなっていくのか。何を見せてくれるのか。

「興味がないと言ったら、嘘になるぜ」
 ごくりとつばを飲み込んだ。しっかりと立ち上がって、言葉を吐き出した。少し焦り気味の言葉。口角を上げて、荷物を傍に置き、シミズが立ち上がった。
「嘘吐きは好きじゃなくてね」

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