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4月1日から居場所を失ったあの時の平手打ち

日本は卒業式が終わり、新しい生活が始まる前のインターミッション的この季節。ずっと忘れていたけど、この前友人と話していてふと思い出したことがある。それは、高校3年生の3月、志望大学から不合格通知が届いた日のこと。

私は18歳で、北海道のド田舎のその小さな町から出られずに一生を終えることを最も恐れていた。

閉塞感しかないその町はとても息苦しく、後に大阪で出会う人々に羨ましがられることになるのが不思議でたまらないほど、そこは地の果てなれの果て、ダサさとダルさと行き詰まり感をまるめて作り上げた饅頭みたいで、そこから一刻も早く出ることこそが私の至上命題だった。

そして、そこを出て行く先は必ず大都会。町と町の間に峠のない街。それ以外になかった。なぜなら世界の全てはそこで起こっていて、そこに行かなければこの世界に生きていないのと同じだと信じていたから。今思えばメディアに刷り込まれた驚くような偏見であり、ミーハー的で、短絡的で、世界のなんたるやを何も知らない田舎の女子高生の考えそうな浅はかな夢だ。

アメリカに住む東アジア系移民の一世(私のように母国で育ち自分の意志で移住してきた人)は、概して裕福な家庭育ちであるというステレオタイプが存在しているけれど(留学を機に住み着くパターンが多いので、高い学費を払って留学させるだけの財力のある家庭出身が多いということだが)、私の実家は決して裕福ではなかった。むしろ貧困層に属していたと思う。高校の修学旅行で内地に行くまで、私は北海道から出たことすらなかった。

当時の私の限られた知識において、内地の大都市に住む元手となる資金が全くない状況で、そこへ乗り込む手段はただ一つ。返還義務のある奨学金を受け、敷金礼金不要の激安の学生寮も備わった国公立大学に入学すること。

修学旅行で初めて訪れた大阪という街に魅せられた私は、その透き通ったうどんの出汁のとりこになり、人々の活気に圧倒され、何が何でも大阪の大学に行くと決めて目から血が出る程に勉強をした。もちろん、塾や家庭教師というものとも一切無縁で、授業と自習で国立大学を目指したわけだけど(その田舎町ではそれは珍しいことではなかったけれど)、結果は不合格。

当時は掲示板を見に行くか、通知が郵送で届く仕組みで、封筒を開けて、そこに一文字ずつハンコで押したみたいなカクカクとした「不合格」という三文字を見た時は、全てが少しずつ軌道から外れたこの先の人生が闇の中に消えていくようで、そしてこの先、何をどうしたって絶対に元の軌道には戻ることができないのだ、という紋切型の言葉で言えば「挫折」という鈍器に頭をゴンっと後ろから思いっきり打たれたみたいに前のめりに倒れてしまった。

それまで一緒に走っていた同級生たちの中で一人だけ躓いて転んだ自分が、数週間後には旅立つ同級生たちを見送ることとか、そこに残ることとか、いろいろの全てがあまりにも辛く、目の前に暗い幕がかかったように世界が何トーンも沈んで見えた。

そこには、幼い頃から賢かった兄や妹とは違い、考えるのに時間がかかり、一つのことを理解するのにも時間がかかる自分の、小学生の頃にはテストで2点を取ったこともあるくらい日本社会の測る学力というモノサシにおいては決して賢いと評価される子どもではなかった「聡明ではない」自分の劣等感の大爆発の噴煙も混じり合い、「聡明ではない」ということが客観的事実としてこの先ずっと自分の額に刻印されて全人の目に触れることになるのだ、という恐ろしい思い込みも覆っていた。

ところが、そんな醤油受けくらいに小さな18歳の心を覆った黒い光が、あっけなくサッとぬぐい取られる時が、案外すぐ、ほんとにすぐ訪れることになる。

不合格通知を受け取ったその日の夜、レンタルしていたビデオ(レンタルビデオ懐かしいよね)の返却日がその翌日に迫っていたので、小さなテレビデオの前に家族みんなで座って映画を観ることになった。その小さな家で、みんなが観てるものを一人だけ観ないという選択肢はなかったので、全然そんな気になれなかったけど私も一緒に観た。その映画が、「ショーシャンクの空に」だった。

田舎のレンタルビデオ屋に遅れて新入荷したばかりの話題作。冤罪で投獄された主人公が19年もの間、腐敗した刑務所の中で生き抜く話。19年。その数時間前までは大袈裟に悲劇のど真ん中で息も絶え絶え風だったのに、19年。その年月に今度は平手打ちを喰らったみたいに目がぱちーんと覚めた。

「一年か…ゼンゼンやれるな。」ズボンの裾から少しずつ壁屑を落とすように勉強して一年後にはここから出るのだ。起き上がりこぼしみたいにその「挫折」から、バコンと立ち上がっている自分がいた。

今でも、その平手打ちの恩義がある「ショーシャンクの空に」へは足を向けて寝られない(多分寝てるけど。っていうか「ショーシャンクの空に」との位置関係が分からない)。

一年後、再び同じ大学を受けて、今度は合格した。ひと月1万円の大学寮に入り(これでも安いと思ったが、後に妹が入った大学の寮はひと月900円だった)、アルバイトをして仕送り無しで大学生活を送り、31歳になるまで大阪で働き、ノースカロライナの博士課程に入り、州からの資金援助を貰い、仕送り無しで卒業した。

あの時の浪人が、負の要素となって人生に影響を及ぼしたことは、知る限りでは一度もないし、今となっては浪人したことすら忘れていることの方が多い。あの時、人生が崩れ落ちたみたいな衝撃を受けていたことが滑稽でもあるけれど、どんなに小さな悲劇においても、その渦中にいる時には、そのスケールを完全に客観的に把握するのは難しいのかもしれない。

ふとした会話の中で、久しぶりに「ショーシャンクの空に」を観た日のことを思い出すと、その時の匂いとか色とかがばぁっと蘇ってきて、あの時あの小さな家の小さな本棚の前で(自分の部屋も机もなくて、私たちは三段のブックケースを自分の持ち物を保管するスペースとして与えられていた)背中を丸めて不合格通知をじっと見ていた私の肩をぽんぽんと叩いて、「まぁ、そう落ち込むな、人生に軌道なんかないよ、一年浪人したくらいでなぁんてことない、蚊に刺されるより小さな傷、ってか傷でもなんでもない、大丈夫!」と言ってあげたくなった。そして、「とりあえず『ショーシャンクの空に』を見ろ!」と。

そして、あ、そうか、きっと、今から何十年後かの自分が今の私の姿を思い出した時にも、「まぁそう力みなさんな、大丈夫、大丈夫」って言うに違いない、そうなるようにできてる、ってそのことを確かに信じられて、そんな風に思うと、お腹の底から謎の力が湧いてくるのだった。


追:
「4月1日から居場所を失ってしまう方へ」というNPO法人育て上げネットの方がYahoo!ニュースに寄せていた記事。様々なサポート機関へのリンクもついていました:
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/36fd1d4e11b53f00cab59cfc5254972b56a5986d