見出し画像

ファッションショーと流行

私の知らない絢爛豪華な世界が確かにある。世界中から選び抜かれた美しいモデルが、きらびやかな衣装を身にまとってランウェイを堂々と歩く姿や、衣装の一つ一つにしつこい熱視線を送る観衆の姿に、ファッションという産業が放つ力の強さを感じる。私はファッションブランドのコレクションのショーを見るのが好きだ。コレクションでは、そのブランドの今シーズンの力の全てが披露される。何が伝えたいのか分からないファッション広告や、一週間の着まわしテクニックが書かれた雑誌なんかどうでもよい。ただ、まっすぐに歩いているだけのモデルが、何一つ語ることなく、全てを示している。いつかパリにコレクションを見に行ってみたい。これは私の人生の目標の一つだ。

自社ブランドを持つほとんどのアパレルメーカーが春夏と秋冬のシーズンの初めに行うコレクションでは、そのシーズンごとのイメージやキーワードを、強く明確に分かりやすく表現している。衣装を着たモデルが歩く順番がシーズンの流れを示唆していたり、衣装の色や長さや素材感やモデルのメイクに至って、そのシーズンの流行を定めているのが、もとを辿ればハイブランドのコレクションである。だいたい、秋冬は2月、春夏は8月にコレクションを発表する。(実際にシーズンが始まるのはその4ヶ月ほど後になる。)一般的にはまだまだシーズンはこれからだという時に、こっそり、我々の知らぬ間にファッションの方向が決められて行っているのだ。

私の好きなモデルの、Freja beha erichsenは、CHANELのデザイナーであるKarl Lagerfeldの懇意を受け、ランウェイに立ち続ける。同じCHANELのコレクションでも、二枚ではこんなにも違って見える。目線の先、歩幅、姿勢、同じ人間には見えない。モデル界ではタブーとされている、左腕に刻まれたタトゥーを見ることで初めてフレジャだということが分かった。一見、脱個性を強いられているように見えるモデル達の、個性や哲学を垣間みたり、表情や歩き方の創意工夫を見るのも楽しい。

しかし、コレクションのショーを見て流行を感じ取り、そのシーズンのイメージを体現していく一般人はほとんどいないと言えるだろう。流行を意識してファッションを楽しむ人々は、そのコレクションを統括したファッション雑誌やテレビの特集を見て動き出す人が大多数ではないだろうか。コレクションは明確であるがゆえに抽象的とも捉えられる為、視覚だけでは伝わりにくい。コレクションのルックを見ただけでは、素人目には何が主張したいのか判断し辛い。その年のデザイナーの意思を最も強く表現しているはずのコレクションは、残念ながら一般人にはあまり目に触れることはない。

では、なぜ流行はこうも力強く我々のもとへと届けられるのか。それを、先日偶然見つけたユニクロのコレクションを見たときにその渦巻く巨大な波を感じさせられた。

ユニクロは、比較的低価格の製品を作る大衆向けの衣料品メーカーであり、親会社であるファーストリテイリング社の連結売上高は、LVMH社(ルイヴィトングループ)やシャネル社などのハイブランドの売り上げよりも遥かに超える。日本だけで言えば、No. 1のアパレルブランドだ。もはやフリースやヒートテックだけのブランドとは言えず、世界の名だたるブランドとのコラレボレーションを試みたり、低価格でその年の流行のものを揃えて、中間層の価格のブランド達を脅かしている。

そんな、できるだけ多くの人の心を掴む必要があるユニクロに、我々はオリジナリティを求めていない。なぜなら、すぐに「ユニクロに見えてしまう」からだ。襟に示されたユニクロのロゴマークが、なぜか恥ずかしく思う。ユニクロを買いながら、ユニクロを着ていると思われたくない。これはユニクロだけではなく、できる限り低価格で勝負する、低価格でも価値があり売れる商品を作る、いわゆるファストファッションのブランド全てに通じる。ファストファッションは、「ブランドをブランドらしく見せない」という、新たな域にいる。オリジナリティと存在感を隠し、ハイブランドが強く押し出す流行の波に静かに紛れ、知らず知らずのうちに我々を飲み込んでいる。ハイブランドの服を買うごく一部の人よりも、もっと多くの人々の、もっと大きなお金の流れが動いている。その時に初めて、ハイブランドのコレクションの存在の意味が分かったのだ。ハイブランドのデザイナーは、その顧客を喜ばせる為だけにショーを行うのではない。もっと大きな次元で、ファッションという産業を動かす使命がある。

ファッションという産業そのものが、市場から飽きられないように、「流行」という手段を使って、市場に消費を働きかける。どれだけその巻き込む力が強いのかは、ファッションに興味のない母親のクローゼットを見ればすぐにわかる。肩パットがしっかりと入ったジャケットにスリットが深く入った長めのペンシルスカートにブロックヒールのパンプス。この服を着て歩けば時代遅れと言われるのは手に取るようにわかる。母親は欲しいと思ったから買っただけだけれど、時代遅れだと他人に思われるのが恥ずかしくて、そのスーツを母親は二度と着ることはないそうだ。流行に興味がない、左右されるはずがないと思いながら、普遍的であるはずのスーツのデザインでさえ、結局は大きな渦に巻き込まれていることに母は気づいていない。

世界中のファッションの流行を牽引するファッションショーは、ブランドの意地の見せ所でもある。凄まじいスピードで終焉と創造を繰り返すファッション産業が、今年も生き残りをかけて戦う。新しい服を買う価値がどれだけあるか。このコレクションを見て、服を着たいと言わずにいられるか?我々に挑戦状を叩き付けるのだ。さぁ、見せてくれと、パリコレクションを筆頭に世界中の専門家が熱く挑発的に迎え撃つ。ファッションショーはその火蓋となるのだ。


#エッセイ
#ファッション


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

3

UNBILICAL

1991/Japan/fashion/beer/book

FASHION

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。