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消失点最終話

 新鮮な外気を大きく吸い込んでから、ハンカチで口もとを押さえた。小走りで洋室に駆け寄り、ドア越しに「みなさぁん、ちゃんと死んでますかぁ?」と尋ね、反応を窺い、指で輪をつくってオッケイでぇすとひとりきり囁いた。浴室にも聞き耳を立ててから、「あなたも死んでる? 生きてたりなんかしたら私イヤよ。」と二回ノックし、さらに耳をそばだてて、去り際に、部屋の外側から貼ったテープをやっぱり剥がした。臆病で覚悟のない、保身に抜かりのない打算的な私には私自身が失望を深めていくばかりだ。丸く固めた用済みの目張りが、ポケットの中で粘ついた。ここに人は、もういない。今はもう、あるだけなのだ。ばははぁーい。哀悼の意を表して掌を合わせることもなく、鍵を掛けてからマンションを後にした。コンパクトの鏡に左右の横顔を映して、前髪に手櫛をかけ、数本の束を指でつまんで引っ張り、髪の毛の匂いをチェックした。ハンドバッグをさばくり、口臭スプレーを舌にまぶした。さっきから上着のポケットの中でわずらわしい鍵を、知らない一軒家の庭に投げ込んだ。誰にも会わない。わずかな物音もしない。大通りから何本か内側に入った住宅街の道路には車一台さえも走ってはおらず、なんだか街全体が止まっているみたいな気がした。もしかしたらあの部屋にいるうちにめでたく世界が終わりの時を迎えていて、世界中で生き残っているのが私ひとりだけだったらめちゃくちゃ爽快なのに、とも考える。そうやって考えているくせに、歩く足取りが、次第に速まっていく。全然矛盾している。そうこうするうちに、横から、電動自転車に乗ったおばさんの登場だ。残念ながら、この世の中はまだまだ続いていくようだ。私は、あの男のことが嫌いだ。身体の芯から漂う臭いや髪型も服のセンスも喋り方も、ご飯の時にテーブルに肘をついて食べる行儀の悪さも、街中であたり構わずゴミを棄てるところも、あれもこれも、あらためて考えてみると好きなところなんてひとつも出てこなかった。それなのに、いつも私から求める。欲しがる。歯並びの良くない口の中に吐き気を催すのにも関わらず、唇にすがりついてしまう。何気なく歩く。今日の収穫は上々だった。G-SHOCKは額的に小物でも、さばきやすいから糊口を凌ぐにはちょうどいい代物だ。カラーコーンの丸い頭を掴んで、エントランスですれ違う住人たちと明るく挨拶を交わしながらマンションから退散する。知らないうちに、西日になっていた。弱い光が鋭角に降り注ぎ、レモンのように薄い黄色が視界を満たしていた。空を見上げると、光がほとばしった。建物がひしめき合った騒々しい風景が、真っ白く吹っ飛んだ。どうかお願いだから、色が全部消し飛んだまま一緒に街までなくなってくれればいいのに、あまりに眩しくて瞼を閉じれば映る単色は黒く反転し、いっそのことこのまま闇にでもつつまれて世界が終わってしまえばいいのにと、別にそんなふうには考えない。喩えそんな夢絵空事を願ったところで叶うはずもなくて、無情にも、否応なく、日常がこれからも延々と続いていくことはわかっているのだから。見当がつかずに立ち止まり、携帯電話で、車を停めている場所をもう一度聞き直そうとした。十字路は右に曲がれば家がつづき、左に、前に、来た道をふりかえってみても家が建ち並んでいて、すべてが同じ行き先のようで区別もつかない。面倒くさそうな口調に苛立って、スマホを耳に当てつつ裏道をさまよい、唐突にぶつかったその視線に、気持ちを悟られたくなくて唇をつぐんだ。厭味な笑みにもほだされてしまう、義務的に挙げた片掌にも心がほぐされてしまう、グチュリと怒りがなえてしまう、こんなに骨のない私は救いようのないアホ女なのだろうと思う。運転席に圧し掛かる。掌で頬をはさみ、タコみたいに尖った腫れぼったい唇に吸いついた。胃の臭いがした。ケチャップの酸味がかすかに味蕾に落ち、舌先がなにかの食べカスに触れた。この男はどうせ待っている間、そこの角にあるコンビニでアメリカンドッグでも買って呑気に舌鼓を打っていたのだろう。完敗だ。百対零だ。純粋な愛か、単なる依存なのか、それももう訳が分からないところまで来ている。掌で、ズボンの上から幾度となくなぞって、どれだけ奉仕してもやわらかいままのコイツをもっと追いかけたくなってしまう。髪の毛を掻きむしり、服を手あたり次第に握り締め、生地を力任せに引っ張って、夢中で舌を要求し、鼻息が洩れる音に気が付いて目を開けると、この男は醒めた面持ちで私のことを嗤っていた。虫唾が走る。殺意が湧く。猛烈な憎悪が自分自身を蝕んでいく。嫌いだと、もっともっと素直に気持ちを告白しちゃえば憎しみすら抱いているのだとわからせてやりたいのに、私は、今日、これから、この男に抱かれることも知っている。願っている。待ち遠しい。一方的な愛撫が終わるなり、私から今日の利益を全部回収するこの男、参加者たちが代金以外になんか金目の物を持っていなかったかと再び確かめてくるこの男、おいおいウソだろ? マジで探さなかったのかよと舌打ちするこの男、死ににくるのに高価なものなんて持ってるわけないじゃん、んなのわかんねえだろ、そうやって自分から可能性を捨てんじゃねえよ、やさしい言葉を全然かけてくれなくて、もしかしたら仕事のためのささいな部品くらいにしか思ってくれていないのかもしれないこの男、集まった人数をまた尋ねてきて、嘘を疑り、鋭い眼差しで何度でもしつこく問い詰めてくるこの男、一枚一枚ちゃんと金額を数えるこの男、いらない、欲しくない、私はお金のためにやっているわけじゃない、不思議とさっきまでの異常な物欲はどこかへ消え去ってしまっている、ほんとにいらないって、すると素っ気なく了解し、遠慮もしないで全額バッグにしまうこの男、嬉しそうに笑う、クシャクシャと頭を無造作に撫でられる、掌はそのままうなじに下りてきて首筋を甘く撫でてくれる、嬉しい、空しい、唇を噛む、私はこの男のことが心底嫌いだ。仲睦まじい男女のうしろを歩いた。久しぶりに来た休日のデパートは、酷く込んでいた。家族、カップルか夫婦か、皆が皆ひとりきりではなく連れが居て、幼い子供と掌をつないでいて、懐かしさもとても募っていくのに、どのフロアを歩いていても私は場違いではないかと気後れしてしまう。父親の掌をにぎり、離してはにぎり、親のまわりをクルクル行き来する娘が愛くるしくて、すごく無邪気で、見れば見るほど微笑ましかった。エスカレータの両脇はきれいに磨かれた鏡が張られており、視たくもない、会いたくもない、猫背で惨めな自分が映りこんでいて、直視をしたくないから横目で愛想笑いを浮かべてやり過ごし、意識して背筋を伸ばしても気を抜けばまた丸く縮こまっている。肌は衰え、年々目に見えて縮んでいく身長には今更驚きもない。なあ、いつの間にかおでこがこんなに広くなってしまったよ。仕方なく観念し、いつまでもついてくる鏡に首を曲げて向き合って、顎を揉みつつ、しげしげと自分を眺めた。残りは白髪でいっぱいだった。気が付けば、絵に描いたように、見事に老いてしまった姿に笑いが込み上げた。まだ幼くて階段をひとりでは下りられなかったころの私も私で、学校に通い、身長が伸び、青年になり失敗も成功も経験して、膝が痛んで階段での上り下りが難しくなった私も私で、鏡に映った紛れもない現在の私を見ていると、無性に可笑しくなってしまった。つくづく似た者同士で、いい加減な二人だった。ヘルメットを脱がないで歩いた。途中、荷物を地べたに置き、腰袋の中に残った、ペットボトルの水を底まで腹に流し込んだ。温く、若干生臭いようでもあり、それでも乾いた喉にはおいしかった。自転車で子供たちが走っていく。私たちが子供のころにはなかった、穴が無数に空いた通気性の良いヘルメットをかぶって、ふざけ合いながら立ち漕ぎして速度を上げていく。奇声をあげて走っていく。車が来る。向かってくる。右から、あたりの確認もしないで勢いよく道路を横切ろうとする女の子が、視界に入った。一瞬で身体が凍りつき、思わず大声を張り上げそうになった。だがその女の子は合流の手前で抜け目なく立ち止まり、なんなくランクルをやり過ごしてどこかへ駆けていった。甘ったるく耳元で囁くのは、次の予定。日時と場所、ときおり施されるやさしい愛撫に、どうせ肯くことしかできない。毎回今日こそ別れようと決心して向かうのに、会いたくて、云いぞびれ、おめおめと協力している始末だ。こいつを殺して私も一緒に死のうかなとか考えてみるけれど、なんだよそれ、どこの悲劇のヒロイン様だよと問答無用で却下する。添い遂げるほど、愛してない。脆くも気持ちに負けてしまい、恥も知らずに快感を貪ろうとする私自身が憎らしい。コインパーキングには、ガラの悪い男の車はもう停まっていなかった。すこし安心した。視えない、肩の荷が下りた気がした。バックドアを開け、腰袋をはずし投げ入れた。スニーカーが入ったズタ袋は、大切にそっと後部座席に置いた。身体の重みは明らかに軽くなったはずなのに、地面にめり込んでしまいそうなほどの疲労感に襲われた。次の仕事までの間隔を空け、しばらく休もうかとも思い、けれども、今日見つけた修繕中のマンションの下見に向かおうかとも迷う。昔から変わらず優柔不断だし、加えて貧乏性で臆病で、でも面倒くさがりで、これからの予定をすぐには決められない人間だ。腕時計の売却とかいくらくらいの値が付くだろうかとか今月の家賃の支払いだとか、自転車があるとスーパーへの買い物の時に便利かなとか、今日かもしれないし、明日かも、四日後、一年後、いつの日か、でも必ず近い将来、いつまでもこんなふざけた商売は続けられないだろうことは充分理解しているし、当然報いをまた受ける日が来るのだろうし、被害者や遺族の方々には一生かけて償っても償い切れないのにもうすでに新しい罪を重ねているわけだし、十年後、二十年後のことだとか、考えなければならないことはとにかく多い。止められたいからこそ、止められなくて、止められないからこそ、止めて欲しいのかもしれない。こんなアシがつきかねないコインパーキングに平然と停めているのは、早く捕まりたがっている証拠なのかもしれない。けれども、それも結局、身勝手な私利私欲を肯定するための体の良い言い訳なのかもしれない。その証拠に、心の片隅では、今日の成功を祝してスーパーでサシの入った和牛肉でも買って帰ろうかと考えている始末だ。だがとたんに、もうひとりの自分がそんな呑気な自分を叱責する。たとえわずかであっても満たされてはならないような罪悪感が頭をもたげ出す。毎日を普通に過ごしたら赦されない気もし、けれども生きていかなければならないのだし、だからこの現状こそが私にはふさわしいのだとまた言い訳をしてしまう堂々巡りのくりかえしで、それでも、際限なく欲望にかまけて自由を謳歌することもできないでいる。未だに、どこまでの愉楽が私には認められるのかもさだかではない。もはや生きる資格自体がないのかもしれないから、小さな目標を持つことですらためらわれてしまう。薄氷を踏むような日々には、ほとほと息が詰まる。居場所を失い、新たな居場所を見つけられず、別に今の生活にも未練はない。世間的にはまだまだ働き盛りな年齢のことを考えると、寒気がした。
「ほう、蒔絵ですか。素敵ですね。」
 いろいろ迷うことなく、直感に従った。
 燕子花か、蘭か、金で象られている、この、控え目なデザインの夫婦箸を買うことにした。今日の夕飯から、さっそく妻に使ってもらおうと思う。

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