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小話:ブラックサンタがもたらすものは

緑に赤、白に金色。数週間後に訪れる聖夜に浮かれるアーケード街はどこもかしこも同じような色で彩られ、歩みを進めるたびにこの季節の定番ソングが代わる代わる耳をかすめていく。

街路樹に巻き付いてギラギラ光る電飾も、街を彩るプラスチックの緑色も、代り映えのしない赤い服をまとった客寄せも、目に映る何もかもが虚しくて、悲しくて、思わず上着の両袖をぎゅっと握りしめた。

どんどんと塊を膨らませて今にも零れ落ちそうな涙も、胸の中でぐずぐずと蟠る何かを溢れさせんと固く噛みしめた唇も、誰も気に留めやしないのに、こんな浮かれ切った空間の中で自分だけが惨めな気持ちでいることを悟られたくなくて、マフラーに顔を埋めてアーケード街を抜ける。

歩を進めるたびに下瞼をゆらゆらとなぞる涙を零すまいとぐっと眉間に力を入れ、規則的に敷かれた地面のタイルの隙間をあみだくじのように目でたどりながらなるべく無心で前に進んだ。

電飾が渦巻くまばゆいトンネルをようやっと抜け、視界が少し暗くなる。

ーーちかり。

何かが光った。
思わず視線を映した先、握りしめた左手薬指。街灯から注がれる光をわずかに反射する安っぽいプラチナ色の輪っか。
それを見た瞬間、堰を切ったようにぼたりぼたりとぬるい水滴がつま先に落ち始める。
きつく結んでいたはずの真一文字が弛んで情けない嗚咽が口から漏れ出る。
悲しさも寂しさも困惑も、ひっくひっくとしゃくりあげながらすべてを吐き出すように人目もはばからずに泣いた。


ーーしばらくそうしているうちに、だんだんと吐き出すものも無くなって空っぽになった胸中に、今度はじりじりと怒りが燻ぶりはじめる。
ふるふると体が震えるのは決して寒さのせいだけではなくて、心臓でぐつぐつに煮えたぎった血液が全身に駆け巡ってもなお震えは収まらない。

気づいたら、薬指からそれを引き抜いて、怒りに任せてペアリングを勢いよく放り投げていた。

ーーカツッ

金属同士がぶつかったような固い音とともに、たった今別れを告げたはずの指輪がころりころりと足元に戻ってきた。
思いもよらない素早い再会に、ぽかんと口を開けパチパチと瞬き2回。我ながらなんとも典型的な呆け方をしてしまい、気恥ずかしさにさっと口を閉じる。

靴先にこつんとぶつかり倒れ込む指輪。と、その先。
自分と向かい合うようにきっちりと揃って並んだ黒い靴。
ハッと気づいて急いで顔をあげる。当ててしまったのだ、見ず知らずの人に。そりゃそうだ、駅前通り、決して人通りの少ない場所ではない。

「す、すみませっ……ん……」

顔をあげた先、背後に佇む駅構内から漏れる光を受けてぼんやりとシルエットを模られた、黒。まるでそこだけぽっかりと人型の穴が開いてしまっているような相手の様相に面食らって、思わず1歩、2歩、後ずさり、足がもつれてそのまま尻もちをつく。

足元でてらてらと光を反射しながらも自身の影との境界を失って地面に溶け込むローファー、地面からまっすぐ生えるように伸びるスラックス、冷たい北風を受けてはひらひらと闇夜を蠢くロングコート。そのすべてが塗りつぶされたように真っ黒だった。
そして何よりも触れがたさを醸し出している原因が、頭部を覆うように鎮座する、ソレ。

真っ黒な、正方形。

……被り物?何かのコスプレ?忘年会の宴会芸か何かに使ったのだろうか、それとも新手の不審者だろうか。
人の顔をくるりと囲う立方体は薄ぼんやりとその輪郭が光をはじくだけで何も映さない。ただひたすらに漆黒だ。

地べたにへたり込んだままじぃっと謎の四角を凝視していると、すっ、と漆黒の奇人が手を差し伸べて、こう言った。


「じゃがいものスープはいかがですか?」

「…………はぁ?」


――――――――――――――

どこかで聞いたようなクラシックのBGMに混じって、パチパチと暖炉で薪がはじける音がする。外国の家にあるような、壁に埋まっているような大きなものではないが、本物の暖炉というものを初めて見たかもしれない。

こくり。音を立てずにじゃがいものポタージュを一口飲み、店内をきょろきょろと見まわす。ウォールナットのシックなテーブルにはメニュー表だけがぽつんと置かれており、店主の趣味だろうか、壁には趣向のバラバラな絵画が敷き詰めるように飾られている。
クリスマス特有の華美な飾り着けは見当たらず、世の流れから切り離されたようなこの空間が今はありがたかった。

こくり、とポタージュをもう一口。溶け切らず曖昧に形を保ったじゃがいもの欠片をしゃくしゃくと歯で解し、とろとろのスープと一緒に飲み下す。
何をトチ狂ったのか、やけくそになっていたのか、どう見ても不審者の様相である奇人の誘いに乗り、今はこうして人気のないカフェのカウンター席に座り、ポタージュで冷えた体を温めている。

彼の奇人はこのカフェの店主?店員?らしく、ポタージュの他にも何か振舞ってくれるつもりなのか、先ほどからカウンターの奥でゴソゴソと作業をしている。
コートを脱いだ彼の人は白いワイシャツに黒のスラックス姿のなんてことない普通の格好で、今は仕事用にエプロンも着用しているが、その姿からは最初に感じた異様さなんて微塵も感じられなかった。

そう、四角い漆黒の頭部除いては。

首から下が普通の格好であるがゆえに余計頭部の異質さが際立つ。
店についてからコートを脱いでいた時、そのまま頭部の四角も外すのだろうかと思っていたが、その予想は外れて真っ黒な立方体は相も変わらず首から上にすっぽりとハマったままだった。

どうやって周りを見ているんだろうか。あの黒い箱は首元までぴっちりと閉まっているのが見えたが、酸欠になったりしないのだろうか。そもそもどういった経緯でこの状態になったのか。……もしかして、ツッコミ待ち?

「あのう、その頭って……」

「はい?」

「……いえ、何でもないです」

真っ黒の面から中の人の表情など見えるはずなどないが、なんとなく、ぽかんとした顔で頭上にはてなマークが浮かんでいるような気がして質問をやめた。
やっぱり、そういうコンセプトカフェの可能性が高いのだろうか。なんか頭が”あの状態”であることが当然であるかのように振舞っているし。
確認しようにもお店の名前は入るときに確認しそこなってしまったし『頭が箱』で調べても箱に頭を突っ込んだ猫のニュース画像がヒットするだけで大した情報は得られなかった。

……やめた、やめやめ。
スマホの画面をオフにして、こてんとカウンターに突っ伏せる。
どういう事情であれ、人目もはばからず大泣きしていた自分を慰めようとここに連れてきてくれたんだろうし、あれこれ好奇心で探るのは失礼だ。
これで実はとんでもないぼったくりカフェで、じゃがいものポタージュだけで何万円も取られたらいよいよ笑えないが。

右腕を枕にしてBGMの弾むピアノに耳を傾けながら壁の絵画たちをぼんやり眺める。
いろんな色でガサガサとしたタッチで塗られた抽象的なアートチックなものから、ハートに囲まれた可愛いうさぎのイラスト、写実的だけど首から上が百合の花になっている人間?の肖像画まで、なんとも統一感のない絵で埋め尽くされている。

無骨な家具に異彩を放つ壁、軽快なクラシックに変な被り物をした店員。
何もかもちぐはぐだけど不思議と居心地の悪さはない。
普段はお店のBGMをじっくり聴いたりインテリアを観察することはないけど、素性の知れない店主の趣向が凝らされたものだと考えると、限られた情報から正体を探っているようで心がくすぐられた。

そうしてプロファイリングごっこにうつつを抜かしていると、ことり、とカウンターにお皿が置かれ、香ばしい匂いが鼻をかすめた。

「どうぞ。お口に合うといいんですが」

作りたての料理からほわほわと蒸気が立ち上り、肉とネギをごま油で炒めたような香りが霧散する。食欲をそそる匂いに思わずお腹がきゅるると小さくなった。
気恥ずかしさから小声で「ありがとうございます」とお礼を言いながらお皿を手前に引き寄せ、……そして料理が目に入った瞬間はたと動きが止まった。

……なんだこれ?
黒い平皿の上には白いお肉ーーホルモンだろうかーーが敷き詰められ、その中央に細切りにされたネギが円錐状に積まれていて、ネギ山の麓には歪な形の花?星?の人参がぽつんと置かれている。
これは……なんというか、クオリティはともかくあれを再現しているつもりなんだろうか?

「あのう、もしかしてなんですけど……クリスマスツリーですか?」

「!! ええ、そうなんですよ!」

心なしか、店主の顔色がぱあっと明るくなったような気がする。真っ黒でしかない四角に明るいも暗いもないのだけど。
うんうんと満足そうに頷く店主に話を促すと、常連の客にせがまれて「酒のつまみになりそうなもの」を考案したものがコレで、季節も季節だからクリスマスの要素を取り入れてみたんだそうだ。
意外とお茶目というか、イベントを楽しもうとするタイプの人なんだな。

「お酒も出されてるんですね」

「いいえ、飲み物はコーヒーやミルクとか、スープ類ですね」

「……ええと、常連さんはクリスマスにいらっしゃるんです?」

「さあ、気まぐれな方なので」

な、なんじゃそら……。
いつ来るかもわからない常連のために、提供するつもりのないお酒のつまみとして季節を取り入れた新メニューを考える。
なんだかよくわからないが、お店の経営者というのはこういうものなんだろうか。

「思いついたときは、うふふ。なかなかいいアイデアじゃないかと思ったんですけど、なんせあの方は風情に頓着がありませんから」

気づいてくださってうれしいです、と朗らかな声色でお礼を言われてしまった。
なんだか捉えどころのない人だな、と思いながらなるべく山を崩さないようにネギをつまみ、敷かれてるモツ肉と一緒に口に放った。ネギのしゃくしゃくとした食感とともに肉汁とごま油の風味が口内に広がる。何口か食べてはじゃがいものポタージュを飲んで舌をリセットする。
なるほど、あっさりとしたポタージュと香ばしい肉の組み合わせもなかなか相性が良い。

箸が止まらず、思わず黙々と食べ進め、最後の一口。
歪な星形の人参を食べ終えたところで箸を置き、ふう、と一息ついて椅子にもたれる。舌に残る人参のほんのりとした甘みの余韻に浸りながら目を閉じる。
暖炉から放たれる熱で体がじんわり温まり、程よく満たされた空腹と、先ほどよりもややテンポがゆったりとなったピアノソロが心地よく、思わずこのまま眠れてしまいそうだ。

……ふ、と視線を感じ目を開ける。
ぱちり、丁度空になった食器を片付けているところの店主と目が合った……気がした。
急いで姿勢を正し、おいしかったですと感想とお礼を告げようとすると、先に店主が口を開いた。

「よかったです、元気になられたようで」

「へ?」

そういって店主はにこりと微笑ん……だ気がした。
頭部の真っ黒い四角はお店の照明光をわずかに反射するだけで、周りの風景や私の顔を映すでもなく、中の様子が透けて見えるわけでもないのに、どうにも先ほどから中の人の表情とか感情を勝手に補完してしまっている気がする。
それとも、勘違いなんかじゃなくてこの四角頭は今微笑んでくれていたのだろうか?

ああ、でも、そうだな。
今日の私といえば、散々な目にあって、まるで赤ん坊のように感情のまま泣き喚いて、八つ当たりで物に当たり散らして、初対面といえどこの奇妙なお人よしに随分な心配をかけてしまっていたのかもしれない。
店に来るまでの自分の行動を思い起こし、今更ながら耐え難い恥ずかしさで一気に顔がほてり、隠すように両手で覆う。

「あの、すみません。いろいろとありがとうございました」

「いいえ、お気になさらず」

お代について伺ったら「私が勝手にお出ししたので」と受け取ってもらえず、何度か食い下がってみたが頑として受け取る気配がないため、しぶしぶ財布をしまった。
ただ食事を提供してもらったという話ではない。泣きじゃくる私に事情が分からないながら気をまわして元気づけてくれたのだ。せめて何かできることは、と考えるも今の私にいい案は全く思い浮かばなかった。

「また来ます! たくさん食べて、今度こそ払います!」

「ええ、是非お待ちしております」

最後にもう一度「ありがとうございました」とお辞儀をし、店を出る。
ドアを閉め終わるまで見送ってくれていた店主に、ドア窓越しに再度会釈をし、駅へと続くアーケード街をくぐる。
緑に赤、白に金色。代わる代わる耳をかすめる聴きなれた定番ソングたち。
店の外は相も変わらず聖夜に浮かれた様相をしていたが、不思議ともう心細さは感じなかった。

ふと目に入る、何物にも飾られていない左手薬指。
そういえば、投げた後あれはどうなったのだろうか、なんて。それも今ではもうどうでもいいことだ。
悲しかった思い出は黒いサンタクロースと歪なクリスマスツリーが消し去ってしまった、……なんてポエミーな表現が浮かんでしまうのは周りの気に中てられているのだろうか。

つい数刻前まではまるでこの世の終わりとばかりに悲嘆に暮れていたくせに、今は同じ道をご機嫌に闊歩している。たくさん泣いて、少し怒って、あったかい部屋でおいしいご飯を食べて機嫌を直す。まるで赤ん坊だなと思わず笑う。

あのお店でかかっていたBGMはどんなだったか。店々が流すクリスマスソングに混じってふんふんと鼻歌を歌いながら腕を振ってスキップするように歩を進めたーー



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