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小話:異形なるものの観察記

しゃり、じゃりり、とコーヒー豆を砕く音が静かな店内に響き渡る。
目の前で豆をつぶしているコイツの頭をこの道具の中にぶち込んだら、同じような黒い粉の山になるんだろうか。それとも、あの黒い正方形の中にはオレと同じような臓物が入っていて、外殻が割れたとたんに脳髄がぶちまけられるのか。

いずれにしろ実行するつもりもないのだからその疑問が解明されることはない。オレはヒトゴロシをするほど倫理観が狂っちゃいないし、他人を加虐して平気でいられるほど図太い神経を持ち合わせていないからな。

たとえ目の前の男が常識的な”ヒト”の見た目をしていなくても、だ。


「ーーそれで、■■さんはもう終了されるそうなんです」

ことり、といれたてのコーヒーが置かれた。
男の世間話に「へえ」と適当に相槌を打ち、墨のように真っ黒い液体をすする。口に含んだところで大して味の違いなんか分からないコレをわざわざ飲みに来ているのは、この不可解な見た目をした男を観察しに来るためだ。

本来ヒトの頭があるはずの場所には真っ黒い四角が乗っかっている。
底面も黒、上部も黒、前後左右黒、黒、黒、黒。
目もなけりゃ口もない。ただひたすら平らな黒で構成された四角。照明の光は反射しているものの、その他の周りの物体は反射しない、のっぺりした正方形だ。

「個人の選択は尊重したいですが、やはり悲しいものですね」

相槌も打たず、再び黒い汁をすする。
この珍妙な男の店に初めて来たのはつい数週間前か。どうやってたどり着いたのかは覚えていないし、毎回どうやって家まで帰っているのかも覚えていない。何の変化もないつまらない毎日に辟易しながらも、自分から変化を起こそうともせずぶらぶらと家の近所を徘徊していたら、いつの間にかこの店の前に辿り着いていた。

店員はコイツ一人。今のところ他の店員っぽい奴は見かけていない。
たまに来るほかの客も、店員のこの男もヒトとして非常識な姿形をしているし、言葉が通じる割に話している内容は全く分からねえ。毎回注文するこの飲み物も、美味いのか不味いのかもオレには判断つかない。
ただ、この不可思議な男やほかの客を観察するのはなかなかに面白かった。

そんなわけで、気まぐれに入った店の主である妙ちくりんなこの男を観察するのが、最近のオレの暇つぶしとなったわけだ。

「ああ、すみません。暗い話をしてしまって」

おう、気にすんな。大して真面目に聞いちゃいないし、聞いてても理解なんかしてねえからな。なんて脳内で悪態をついていると、かちゃりと何かが置かれた。
俺の目の前に佇むそれは白と茶色の...…何かふわふわしたヤツだ。
これは何なんだ、と顔を男の方に向ける。どうやら「暗い雰囲気にしてしまったお詫び」とのことだ。

「お口に合えばいいんですが」

別にオレは何にも気にしちゃいないが、貰えるものは貰う主義だ。
試しに茶色の上に乗っている白い部分を軽くつついてみると、弱弱しく微かに弾んだ。どうやら白い部分はクリーム状になっているらしく、そのまま腕でクリームをすくい上げる。

クリームが触れた吸盤からやわらかな甘み伝わり、腕を駆けて脳髄を刺激する。ひとしきりその甘さを味わった後にクリームを口に運んで処理した。
続いて茶色い土台の部分をするりと撫でる。表面は少しざらざらしていて香ばしい甘みが腕にじわじわと広がってきた。そのままぐるりと腕を巻き付け気のすむまで2つの甘みを味わった後にそのまま口へ運ぶ。
美味い。オレは甘いものは好きだ。

「美味いな」

「よかった。今度お店に出そうと思っていたんですよ」

なんだ、お詫びといいつつ体のいい試食係だったのか。
まあいい。タダで美味いものが味わえたからな。店員の観察のためとはいえ、大して味わいもせず無味の汁を口に流し込み続けるのもなかなか虚しいものがある。たまには甘味を一緒に頼むのもいいかもしれない。

はじめてここに来た時、試しにコーヒーにも腕を突っ込んでみたがとんでもなく苦くてとても味わえたものじゃなかった。オレは店員観察の間手持ち無沙汰にならないように仕方なく飲んでいるが、あんな苦いものでも世の中好き好んで飲むやつがいるらしい。まったく、この店のやつは店員も客も変な奴ばっかりだ。

「出すなら、また頼んでやってもいいぞ」

「ありがとうございます」

クリームでべたべたに汚れた腕を、菓子と一緒に差し出されていたタオルで拭き、残りのコーヒーを飲み干す。
さて、今日はこれくらいで帰るかね。注文の代金を支払い、店を出てぷらぷらとあてもなく歩き出す。正確には、家が目的地なんだが正確な帰路を覚えていない。にもかかわらず歩いていればいつの間にかついている。ここはそういう場所だ。

そういえば、あの菓子の名前を聞き忘れたな。また来るときにでも聞いておけばいいか。次に行った時には、他の客に出くわすだろうか。
そんなことを考えながら、家に辿り着くまで歩みを進めていった。

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