伝統とは何か?

伝統とは何か、それはある時代に作られたものだ。

今、和紙を作っている。
しかし、「和紙」という名ができたのはいつだろう? 明治に入ってからである。開国されて外つ国の物品や技術とともに、ヨーロッパ製の紙とその生産技術がやってくる。それらは「洋紙」と呼ばれ、それに対する「和紙」である。

それまでは「紙」といえば、当たり前のように日本の紙のことが差され、ことさらに「和紙」「伝統」などということもなかった。そのかわり、それぞれの土地によって、製法・材料・道具が違っていたので、たいていその土地の名前や流名がついていた。

では、その前は?
紙の製法が伝わるのは中国大陸から、律令や仏教が伝えられ、法律・戸籍・仏典など、紙の需要が生まれたときである。
それからほどなくして、美濃その他、各地へ製紙に適した土地を求めて、その技術者集団は移動して、そこに根づいた。

では、その前は?
渡来人集団の中には、鞍や陶器、織物を作る技術者がいたので、中には紙を作る技術者もいたに違いない。あったとしても、相当小規模に、自分たちで使う分だけを一時に作るか、多少関係のある集団に融通するくらいのものだっただろうが、(需要も少なかっただろうから)その時代の、まだ拙い技術が入ってきていなかったとはいえない。

それ以上に遡ると、まだ文字もなく、情報伝達技術も発達していなかったので、紙の必要もなかっただろう。絵はあったが、今のように鑑賞対象としてあるのではなく、壁だとか体、衣服、器とか、もっと身体や生活につながっているものだった。なので、紙があったとしても、紙に書くという発想や欲望も乏しかったろう。紙が信仰対象にでもなれば、また話は変わってくるが、その時代に紙があったとして、それほど美しかったともおもえない。相当に原始的な、素材感のある代物だっただろう。


では、このどの時代を、どの時代の技術やものを切り取って、伝統と言おうや? 和紙と言おうや?

最も隆盛だった時代、と答えるだろうか。
しかし、それは生産量だろうか、使用量だろうか、美しさだろうか、製造法の確かさだろうか、いずれにせよ、そこには思想が入る。推測が入る。

つまり、伝統とは思想なのである。推測が必要なのである。

そこに、ある、ものではない。
しかし、あるのも確かなものである。