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東京の記録 一日目

数えてみると、生まれてから10回くらいは引越をしている。ただ、ほとんどの期間は埼玉・東京、二年だけは大阪に住んでいたが、いづれも住宅街の中だった。 長野の山村に来てからも、一年程は駅や役場のすぐ近く、コンビニ・スーパーにも歩いていける距離だったので、本当に地方の辺鄙な集落というのは今年になって始めて住んだ。 車でしか買い物にも遊びにもいけないし、地区の集まりや作業もある。築五十年くらいの粗末な家なので、虫や寒暖差の難も大きい。とはいえ、住むのに不適なのはそれくらいで、眺望は

    • 伝統とは何か?

      伝統とは何か、それはある時代に作られたものだ。 今、和紙を作っている。 しかし、「和紙」という名ができたのはいつだろう? 明治に入ってからである。開国されて外つ国の物品や技術とともに、ヨーロッパ製の紙とその生産技術がやってくる。それらは「洋紙」と呼ばれ、それに対する「和紙」である。 それまでは「紙」といえば、当たり前のように日本の紙のことが差され、ことさらに「和紙」「伝統」などということもなかった。そのかわり、それぞれの土地によって、製法・材料・道具が違っていたので、たい

      • 日記20231112

        聖山へ。 去年から知り合いの母子をつれて。 朝、西の有明山が重い雲からあらわれて、雪の条脈を山肌に見せていた。昨日は相当冷え込んだから、一日雪にまみれていたのだろう。 秋は聖山の嶺から始まって、順々に里山や麓まで下りてくる。 あれはいつくらいだったろうか、十月後半、聖の山並が秋色の宝石のように照り輝いてみえた。秋の色は赤に黄、橙、いろいろな色が雑然と、しかし微妙に調和して、目に楽しい。夏の緑一色で旺盛な色彩と、強い影をもった感じには疲れていた。 秋はもう、麓まで下りてき

        • 日記 20231109

          手紙のやりとりを何人かとしていると、この秋、各土地の落葉が集まってきた。土地によって植生が異なるので、榎や椎の木、樫、楠などは、この標高の高い山奥では見ない。温暖な地域から、榎やマテバシイの枯葉が送られてくると、久しぶりに見ることができたな、と思う。 それで、今日別の本をめくったら、はらりと榎の押し葉が出てきて、二、三年前のものだろうか。そのころは秋から冬の落葉や実に執心して、いろいろな場所で見たり拾ったりして学んでいた。結局、自分にはコレクションする性向がないので、分類も保

        東京の記録 一日目

          オリジナルであるとは?

          今、紙を作っていて思うのは、人の作るものは自然にオリジナルだということ。 例えば、その辺の草を採ってきて、煮込んで漉けば、世界に無二の紙が生まれる。 もちろん人はオリジナルであることに加えて、人にとって価値があることを求めてもいるが、それだけでもわりと興味はもたれるし、その植物がもしある人の大切にしている草木や生活にかかわる草木であれば、もっと大事にしてもらえる。 これだけで、オリジナルで価値のあるものは作れる。オリジナルで価値のある行為が生まれる。 別にこれは人に勧

          オリジナルであるとは?

          ピアノ手遊び2

          ピアノ手遊び2

          世界と拮抗すること。

          本当に芸術にとって、売れる・売れないは関係なくて、「やりつづければいつか誰かがみてくれる」とか「あの素晴らしい作家も生前には評価されず死後に有名になった」とかも関係なくて、売れる・売れないという人や世間の評価に囚われてしまって、本当は描けたはずのいい絵が、人の評価軸の中での作品、その中での創作過程になってしまうというのはこの世の中できっとたくさんあって、すごく悲しい。 それでも、やはり人が何かを続けるにあたって、何らかの評価を求めてしまうのは必然だし、当然のことだ。だから、

          世界と拮抗すること。

          ピアノの手遊び

          手の赴くままに

          ピアノの手遊び

          ただ在る、何かと比べて ではなく、そのものとして在る。

          研修で、長野から栃木へ。 高速を走る間、いい気持になる瞬間もあったけれど、前を後を走る車、トラック、バス、隣りに来たり行ったりする車の数々に疲れていた。碓氷峠を下りると、山道は霧の中で、妙義の巍々たる岩峰も見えず、ただ山麓の集落が光って見えた。 途中、太田の里山を横目に眺める。曽祖父の実家はその山の上にあったらしく、祖母は戦争末期疎開をして、麓の飛行場に落ちる花火のような爆撃をみていたというが、そのどれとかはわからず、ただ横目に流れてゆき、また山間の道へ。 曇り。 曇っ

          ただ在る、何かと比べて ではなく、そのものとして在る。

          和綴の作業をしながら

          久しぶりに、和綴の作業。 和紙に、手績みの大麻糸。 和紙は自分で漉いたものだが、大麻糸は松本のクラフトフェアで買った。中国の何とか省産のもので、まだまだ手づから大麻を育てて、繊維をとり、糸に績む。そんな仕事がなされているのだろうか。 それにしても、自然の糸はやりにくい。少し力をいれると切れるし、変に筋ばっていたりして撚りづらい。 でも、段々と馴れてくる。それも、こっちの体の側が馴れてきて、すると何とか上手くいく。 ぴしっとはいかない。やわやわと糸の機嫌を聴きながら、やわ

          和綴の作業をしながら

          むしろ時代の流れに合わせないこと。変化しないこと。

          クラシックなものを廃れさせないために、時代に合わせて新しいことを取り入れていかねばならないという意見は、誤りなのではないか? これはずっと心の中にわだかまっていた疑問だが、今、ミケランジェリとチェリビダッケのコンサート録音を聴いていたら、はっきりと自分の中で答えが出た。誤りだ。 この意見はおそらく、「古典が生まれたとき、それは時代の最先端であった、今は時代が移って、大衆の趣味嗜好が進化したので、それにあわせて古典も変化していかなければならない」ということなのだろうが、今の

          むしろ時代の流れに合わせないこと。変化しないこと。

          オリジナリティがない、なんて

          表現にオリジナリティなんてない、だとか、全ての言葉は人からの借り物だ、というような言葉をきくと、びっくりする。 自分に対してオリジナリティを求めない人なんだろうか、あるいは求めることを諦めている人なんだろうか。でも、それら、自分については言及していないつもりなのかもしれない。 私も芭蕉の真似をし、ゲイリー・スナイダーの真似をしているが、オリジナリティはある。なぜなら、自分は一個の人間だからである。 自分は一個の人間である、当たり前の話ではないだろうか。 ありきたりな臭

          オリジナリティがない、なんて

          在る、それだけの明るさ

          昨夜、ミケランジェリとチェリビダッケの演奏する、ベートーヴェン『ピアノコンツェルト3番』を聴いた。 音楽は、観客の咳払いや物音とともに始まり、舞台までの距離も感じさせるコンサート録音だった。それが、本当に、そのときそこで演奏が行われているという実感。 今まさに、舞台上から音楽が生まれてくる感じと、ある実在する劇場で、そのときいた観客たちが耳を傾けている感覚、その実在感がものすごくて、あるときは笑みが、あるときは泪がこぼれるようだった。 1981年12月5日、ミュンヘンでの

          在る、それだけの明るさ

          この日々の中で

          いつまでも消えない、、

          この日々の中で

          この日々の中で

          雑文とも日記ともいえ6

          6.19 昨日は、相生座にイオセリアーニの中短編映画3本をみにいった。 50年代後半から60年代にかけてのもので、戦後グルジアにもソ連社会主義の主導する近代化政策、都市化、工業化の波が東欧の中世におしよせていたのだろう。矛盾への反骨と意想外な芸術的発想をもちながらも、随所にあらわれるのは「滑稽」で、チャップリンだとか天井桟敷の人々にみるのと共通なものだった。それと同じ質のものを、落語や俳諧にも感ずるし、あるいは漱石や太宰くらいまでの文学もその滑稽的な世界を生きていたように思う

          雑文とも日記ともいえ6

          雑文とも日記ともいえ5

          6.11 詩を書き、芸術を愛することを自覚したとき、言い知れない孤独がある。この土地には、師と慕う人も、友と親しむ者もいない。ひとりもいない。それが今、芯に堪えるようになってきた。 理解されなくてもへこたれない。理解されない方がいい。いいものを作るというのは、人にとって受け取りやすいものを作ることではなく、この世界において美しいもの、正しいものを作るということだ。 百年も千年も前の俳諧や歌を受けとった。百年後、残るものは、自分が大衆に受ける人間でないとしたら、本当に美しいもの

          雑文とも日記ともいえ5