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34. 初のオーストラリア(その2:仕事もしましたよ)

さて、翌日からは仕事で、Salesforceの新社屋(54階建て)の現場に行ったりしました。
でも毎日こんな景色を眺めながら、お仕事できるんでしょうか、なんて余計な心配も…。
“ I would be lazy if I have my desk here.”
(もしここに机があったら怠けちゃうかも)
とか言って案内してくれた同僚にアキれられましたけどね。

そこの17階から撮影した景色。手前にハーバー、右手にオペラハウス、左側は旧市街。

 
街中はトラムも走っており、地下鉄もあるのですが、全部がシドニー中心部に向かう路線でいわゆるサークルライン(山手線の様な)がないため、結局みんな通勤には車かバスを使うことが多い由。

ここだけ見るとヨーロッパのどこかと言う感じもしますが


対してうちのオーストラリア支社があるところはSydney(シドニー)のDarling Harbor(ダーリング・ハーバー)から川を遡ったところで、何とオフィスまでは船で来なさいと言う指示(渋滞がないからとうことらしいですが)。
 
高速船で50分ほど(途中で10か所くらい止まるので直行便だと30分程度)だったのですが、本数は30分から1時間に1本程度です。

こんな感じの船着き場が8つありました


途中に2000年に開催されたシドニーオリンピックの会場(ホッケー)や選手村があるところも通りました。
旧オリンピック村のアパートは日本円で一億(ほとんどが100㎡以上の物件)だし、高級住宅街の一軒家は日本円にすると4-5億するらしいです。

船から見た旧オリンピック村


その当時選手や観客のために開発された交通システムを、今は地元の方々が通勤などに使っているようで、船着き場で待っているとかなりの人数が降りて、オフィス街を目指して歩いていきました。
 
入れ替わりにガラガラの船に乗り込みながら、でも一時間に一本じゃあ、毎日帰りの時間が気になるだろうし、大体最終便が19時台で大丈夫かなぁ、とか思うのは日本人的な発想なんでしょうね。

オリンピック公園の船着き場


旧オリンピック村のその先は急に川幅が狭くなり、ジャングル・クルーズの様相を呈してきた先に、うちのオーストラリア支社の最寄りの船着き場。
 
ちょっとこんなところにオフィスなんてありそうにない感じがしたので、降りるところを間違えたかと不安になりましたが、Google MAPには出てきたので一安心。
行って見れば色々な会社と倉庫が集まっており、そこで働く人のための保育所やカフェテリアもあるような地域でした。
 
今回も仕事で色々な方に会いました。
息子さんが父親から継いでいるファミリービジネスのオフィス兼工房を訪問した際のこと。
 
社長である息子さんはずっとオーストラリア在住で英語しかしゃべれないのですが(因みに、「話さない」ことを “I don’t speak”と言いますね。まあこの辺も日本的な感覚だと”I can’t speak “「話せない」と言ってしまうのですが)、なんとその父親はエジプト生まれ、レバノン、シリア経由でマルタの学校に行き、オーストラリアでオランダ人の奥様をめとったという方で、今でも5か国語は話せるコスモポリタン。
 
“ He is multi-lingual, but I only speak English…”
(彼はマルチリンガルだけど、ボクは英語だけ)
とかボヤいていましたけど、今回会った人たちの中では一番聞き取りやすかったのはこの方でした。
ご両親も英語が母国語ではない環境で育ったからかも、なんて気のせいかもしれませんけどね。
 
今回我々を案内してくれた、うちの社のMohamed(ムハマド:あだ名はモモで、大の日本好き。今度日本に家族で来ます。「“You can be my neighbor if you need to work while you will be staying in Japan, although can’t see Harbor.”「来日中、もし仕事がしたくなったら、何時でも僕の横が空いてるよ、ハーバーは見えないけどね」って言ったら嫌がってました)さんは、アルザス地方出身のアラブ系のフランス人で、うちのオセアニアのセールスマネージャーとフランス語圏(ニューカレドニアなど)の担当も兼任。
 
子供のころ(1960年代になりますけどね)、オーストラリアは白豪主義って社会の時間に習いましたが、それ以降は移民を幅広く受け入れてMulticulturalism(マルチカルチャリズム:多文化主義)を実践して、それが国力の維持につながるっていることが実感されたのでした。

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