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「品出しの少ない町の文房具店」の、はなし。#16

先日久しぶりに実家へ帰った際に、駅から家までの長い道のりを、徒歩で行ってみました。

小学生の頃お世話になっていた美容院はとうの昔に無くなってしまい、
最近できたと思っていた接骨院もいつの間にか空き家になり、
テナント募集の貼り紙が、申し訳なさそうにドアにくっついていました。

ここに帰ってくるたび無くなってしまったものは一つずつ増えていき、
見慣れない新築の一戸建ては、狭い町の中に所狭しと並ぶようになっていくなぁと、一歩ずつそんなことを思いながら歩いていました。

そんな中で通りがかった、古びた文房具屋さん。
それは形を変えずに、昔と同じように静かに佇んでいました。

小学生にとっては、一歩足を踏み入れれば宝の山。
かつて、町の文房具屋はそんなキラキラした存在でした。

手帳に貼る可愛いシール、消しゴムで色が変わるラメ入りペン、プロフィール帳、こげぱんのメモ用紙、斬新だったロケット鉛筆。。。
記憶に残っている中で、はじめて私をワクワクさせてくれたのは、
可愛い和柄が珍しい、折り紙のセットだったと思います。

当時の小学生にとって文房具は、
言ってしまえば流行を何よりも敏感にキャッチするものだったので、
どんなモノを持っているかはすなわち自己表現であり、
彼女たちのセンスを見極める、分かりやすいアイテムだったのではないでしょうか。
(今の小学生たちは文房具だけでなく、もっと色んなアイテムでそれを表現するのかもしれないですが。)

お店に足を踏み入れたのは、実に20年以上ぶりでした。

まず不思議に思うのは、その商品棚の背の低さ。
当然、私が大きくなっているだけなのですが、こんなにもこじんまりとした場所だったかと、
お店自体が年老いてしまったような、そんな気がしました。

と同時に、目に入るのはその商品棚の中でぽっかりと空いてしまう、随所の空白。
売り切れているのではなく、元からモノが置かれる予定のない空間。
これで経営が成り立つのかと不安に思うほどに、当時と比べて圧倒的に品数は少なくなっていました。

今や、ネットでもコンビニでも文房具が買える時代に、
この棚にモノを置く理由は無くなってしまったかもしれません。
このお店にとっての稼ぎ口も、きっともうここにはないのでしょう。

ひと昔前、この棚向かって足を運ぶワクワクがあったこと、
この棚に鎮座する文房具たちが、みんなの憧れの存在だったこと。
しばらく帰らない間に、それはもう、
誰かとシェアできるものではなくなってしまいました。

きっとこの文房具屋だけでなく、生まれ育った町の中で、
これからも色んなものとそんな決別をしていくのだろうと思うと、なんとも心許なくなってしまいましたが、
いつまでもずっと懐かしい景色として、エモく深く、私の記憶の中に残しておきたいと思いました。

また近いうちに、
記憶が薄れてしまう前に、
まだ小学生時代が心の近くにあるうちに。

また、実家に帰ろうと思います。

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