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生かすか死なすか、それが缶詰だ。 【短い小説 #2】

「お父さん!」
 入り口のムシロを剥ぎ取る勢いで、ミスミが飛び込んでくる。
「……そのムシロ、最後のやつなんだぞ。もう少し大切に扱え」
「そんなのどうだっていい、コタが死んだ!」
 コタはミスミの弟で、俺の息子である。人でなしの穀潰しで、“地道”や“真面目”のような言葉はその存在も知らないであろう、じつにどうしようもない男だ。
 だが、息子だ。
 そして俺たち家族3人のうちのひとりだ。
 いや、だった。となるのか。今は。
 俺は鼻の奥がきゅっと痛くなるのを忌々しく思いながら、靴となる干し草を編んでいた手へ目を戻す。
「そうか。なんで死んだ」
「……雨で」
 その一言に俺はカッとなった。想像以上にカッとなり、立ち上がると同時に干し草の乗っていた小机を手で跳ね飛ばし、すぐ横にあった木箱を蹴り飛ばした。その側に積んであったガラクタを掴んで、地面に叩きつけた。割れた。砕けた。俺の顔はおそらくさぞかし紅潮しているだろう。熱かった。
 足裏を地べたに叩きつけるように歩いて、ミスミの前に立つ。唇を噛み締めたミスミの顔は泥だらけだった。涙の跡が頬の上に白い枯れ枝のような模様を描いている。
 俺はミスミから目を逸らすと、ムシロを毟り取って足元に投げ捨て、外へ出た。眩しい光が目を刺す。雲ひとつ無い空の真ん中で照る太陽が皮膚を焼く。「雨なんか拾いに行くからだ。莫迦め」

 すでに誰もその数字を気にする者などいないが、西暦2191年。
 今日もまた人が死んだ。とは言え、それは珍しいことでもない。珍しくないので、人々は絶滅しかけていた。半径500キロのエリアに唯一残る俺達の集落の人口は今日、87人となった。
 病死に事故死に餓死、やわらかな皮膚でくるまれただけの俺たちは、ちょっとのことでたやすく死んだ。廃墟あさりの途中で崩落する足場から落ちては死に、大量の化学物質が染みた地面でなんとか育てた僅かな食料、その蓄えを食べ尽くしては死に、古釘を踏み抜いては死んだ。

 だが“缶詰雨”で死ぬやつは莫迦である。どうしようもない莫迦である。

 缶詰雨は、集落から5キロほど離れた平原に降る、その名の通り缶詰の雨だ。茶色く錆びた缶詰が中空から降ってくるのである。缶詰は地面に激突して半分は破裂して飛沫となって飛び散り、辺りに様々な匂いとなって広がった。破裂しなかった残りの半分は、平原に埋もれ転がる甘美な誘惑となった。

 桃、ミカン、パイナップル。あるいはツナ、コーン、時にはカニまでも。滅多に味わえないその強い味を求めて、危険とは知りながらも何人もが平原に入り込み、唐突に降りはじめる缶詰に頭や背骨を打ち砕かれて死んだ。
 たかが缶詰程度。だが日常では決して手に入らないその強烈な味、特に甘味は、口にした瞬間脳を直撃するような衝撃をあたえる。舌が蕩けて痺れる。以前コタが拾ってきて俺に得意そうに寄越した桃缶を、俺も捨てることは出来なかった。

 その日の夜。俺は貯蔵庫の奥にしまっておいた桃缶を出してきて、ノミを使って開けた。
「食べるの?」ミスミが聞く。
「ああ」
 ミスミの皿と自分の皿に、白く輝く桃をのせる。つやつやと濡れて艶めく半球を俺たちは黙って眺めた。
「くだらんな」
「そんなことないよ」
「いや、くだらん。こんなもんで……」
 言い掛けたが、止めた。
 箸で突き刺して、口に押し込む。うまいまずいを通り超えた強烈な刺激。俺は目眩を覚える。
「コタ、好きだったね桃缶」
 こんなもん好きになるから、死ぬんだ。莫迦め。


 一方、西暦9245年。
「教授…… なんですか、この請求書は」
 モニターシートをぺらぺらと揺らしながら、ウェティ君が部屋に入ってくる。
「なにって、いつものアレだよ」
「ちょっと高額すぎませんか? レトルトフードならもっと簡易な包装でもいいでしょ」
「簡易包装で時を超えられるか、ばかもんが」
「に、したってですよ。わざわざこんな特殊な形状にしなくてもいいでしょう。なんですか缶詰って。古代ですかロマンですか」
「わかっているじゃないかウェティ君。イエスだロマンだ」
「ロマンじゃ研究費は増額されませんよ、もう!」
 ウェティ君は研究室の奥できらきらと輝く何本もの銀柱をため息をついて眺める。積み上げられた様々な缶詰だ。
「それで、ちゃんと向こうに届いてるんですか? この缶詰は」
「そのはずだ」
「僕らの過去じゃないんですよね?」
「無論だ。ほら、この前見つけたこのラインの過去だ。2025年の分岐で世界がだいたい破滅しちゃってるやつ」
 そう言ってわたしが発見時に記録に成功した画像をメインモニターに出すと、ウェティ君は眉をしかめた。
「うわ、えっぐ〜。僕本当、こういうラインに生まれなくってよかったです」
「だから缶詰を送ってるんじゃないか。きっとすごい喜んでるぞ、このラインの住人は」
「なんですか、恩着せがましい。物質送付実験の一環じゃないですか」
「たまに思うんだが君、恩師に対して口悪すぎないかね」
「恩師じゃなくて上司です、ただの」
「上司に対してだったら余計無しじゃないのかね」
「それで? 何回送ったんです?」
 ウェティ君はわたしの小言を無視するのがうまい。腹立たしい。だが研究について話すのはそれ以上に快い。
「都合2回だ。それぞれ3000個ほど」
「それまた随分な量を……」
「向こうには一度で現れるわけじゃないぞ。時差つけて50個ずつくらいだな」
「なんでそんなことを?」
「長期間に渡って供給されなきゃ意味ないだろう。食品だぞ?」
 わたしは自分のデスクの上にあった桃缶を叩いた。
「実験だからそういうことはどうでもいいと思うんですが、まあ確かに。じゃあ向こうのラインでは50個くらいの缶詰が時々、玄関先に届けられてるみたいな?」
「ああ、まさにわたしのイメージはそんな感じだ」
「それもまた古式ゆかしい……サプライズですねえ」
「風流だろう。もうじき計算が終わって、缶詰が届き終わった頃にアクセスできる。なにがどんな風に変わっているか、見ものだ」
「なにも変わってなかったりして」
「そんなことはないだろう。それこそ宗教だって生まれているかもしれん。救いの缶詰教、とか」
「そんなこと期待してるんですか」
「おもしろそうじゃないか。向こうにも利益があるし、いいだろ」
 ウェティ君が黙って肩をすくめる。
「恩師、ではないな……恩人くらいには思われてるだろう」


「ねえ、雨が降らなくなったら、どうする?」
 ミスミが空いた缶を覗き込んで聞く。
「どうもしない。降らなくなるなら、それが一番だ。殺すために降ってるんだ、あれは」
「殺すために?」
 ミスミが少し驚いたように眉をひそめる。
「じゃなきゃ、あんなに旨いはずないだろう」



おわり


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缶詰って重いですよね。冷たくて硬いパッケージなのに、その手にした時のみっしりとした重みが食べ物で出来ていると思うとギャップかわいい。

わたしは桃缶ファンタジーを持っていないので、スキな缶詰と言われて思い浮かべるのはホタテとトマトと鯖です。ホタテは卵と細ねぎと炒めるとおいしいと思います。というかホタテ缶に関してはそれ一本槍です。ふ。


おかしかっていいですか。ありがとうございます。