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私のDisenchanted③|"おとぎ話の世界"とは何か

①はこちら>>私のDisenchanted|原題は「?」を忘れてる

おとぎ話の世界、とはどんな世界なのか。
『アンダレーシアのような世界』と一言で片づけ、いわゆるディズニーが長年描いてきた、夢と希望溢れる世界観を小馬鹿にしてはいけない。
いわば『物語の世界』ということは、登場人物たちはそれぞれ役割が与えられており、それに徹することこそが最大の役目。
モブはモブらしく、主人公は主人公らしく。与えられたレッテルに合わせて、いつまでも続く世界にいる。
多分おそらく、情報に溢れ、それらを楽しむ私たちにはとてもつまらない、決まりきったルーチンとロールモデルだけでできた世界に思えるだろう。

ただ、ジゼルはこの時モーガンに意地悪で貼られてしまった『継母』というレッテルを、自ら剥がすことさえできないまま、おとぎ話の世界に落とし込んでしまう。
もし万が一、彼女が「モーガンは”反対の言葉”を言っただけで、決して私は継母ではない」と思えていたなら、きっとああはならなかった。(もちろん世界改変魔法を使ってしまうという、大きな問題は別にあるにしても)

きっとジゼルがジゼル自身の本質的な部分を見失っていなかったなら、おとぎ話の世界が現実世界に持ち込まれてしまっても「あ、なんかやっぱ違うわ…」と感じたんじゃないかなとも思う。つまりそれほど、彼女は正気じゃなかった。
あんな願い事をするなんて。

さて、モーガン。
本作において、彼女はちゃんとジゼルとのダブルヒロインになっている。むしろヒーローの立ち位置をパパから受け継いで、ジゼルを救う方のヒロインという立ち位置になる。

前述の通り、モーガンが「妖精を信じる心」ならジゼルは「妖精」だと言える。
現実の世界にだって、ちゃんと魔法はあるよ。そうでしょう?
という問いかけに「YES」と答えられる人は、大勢いると思うがその中の一人として、モーガン、がいる。
そしてモーガンはその”きらめき”を失わない人物として、おとぎ話の国出身のジゼルに、酸素を供給するパイプのような役目を担ってきたはずだ。

しかし、月日が経ちティーンエイジャーに。
おとぎの国化したモンローヴィルで彼女が歌う中で、
「完璧でなくていい。それが私にとって完璧」
と言うように、彼女は「私の中では(In ME)」と強調する。
わりとこの、「まあ実際そうかもしれないけど、私的にはそれでいいの」という感覚は、リアルな現在のティーンが持つ価値観の中心のように思う。
それは他者のそれも尊重する、ポストモダン的な感覚かもしれない。
それを彼女はあの町娘シーンで歌い上げる。

この歌が、モーガンの”ティーンエイジャー性”を強め、
ジゼルに彼女が言ってしまった「あなたは継母でしょ」という発言が、いわゆる母親に対する「クソババア」発言であることがわかる。
そしてそれにジゼルは傷つき、取り返しのつかない事になる。
現実に母親が我が子に心無い言葉を言われ、わかっていても深く傷つき、取り返しのつかないことになる事があるように。

また、この歌の中ではみんな役割があるとも歌うので、先に言った「おとぎ話の世界とは物語の世界。与えられた役に徹する”キャラクター”が永遠に存在する——ループする世界」という説明にもなっている。

ここまで見ていくと、この映画を最近流行りの「母と娘」という軸で見るのはとっても不本意なんだけれど、多少なりともその描写がある、というのは事実だろう。
そして、この二人の間に、この二人の間だからこそ存在する強い魔法がある。

『思い出の魔法』だ。

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