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8. 生きる権利を保障する—赤ちゃんからお年寄り、どんな人も「生きているだけでいいんだよ」

(書きかけの項目です。ご意見などありましたらunitekyoto2020@gmail.comまでお寄せください。)

「働かざるもの、食うべからず」という言葉、皆さんはどう思いますか?
「働いて収入を得ないと食べていけないよ」と思いますよね。でも私たちは何かの事情で働けなくなってしまうかもしれない。病気やケガ、解雇、出産・育児・介護、加齢……。そもそも子ども時代や老後など、私たちは人生の多くの時期に「働けない」状態にあるのではないでしょうか? 

♧「生活保護」や福祉は私たちの「権利」、国の「義務」

 実は私たちには「生存権」という権利があります(憲法第25条)。

【日本国憲法第25条】 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 私たちは「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を持っており、国はそれを保障する義務がある。つまり国は、私たちが「働いていても、働けなくても」私たちの「生存」と「生活」を保障しなければならないのです。そもそも、私たちが選挙で議員を選んで、税金で彼らの活動を支えているのは、国や自治体に私たちの命や生活を守るために精一杯頑張ってもらうためだと言えます。
 この「生存権」を守るために、生活保護や福祉、年金や医療保険などの社会保障制度があります。「生活保護」や福祉は、私たちのとても大切な「権利」で、国の「義務」です。
 しかし、国はこれらを受給するに際して多くの制限を設け、受給することがまるで「恥」であるかのような印象を与えています。これを<スティグマ stigma>と言います。スティグマの語源はギリシア語で奴隷、犯罪者、反逆者などにつけられる烙印のことで、生活保護や社会福祉を受給することによる社会的スティグマとは、差別や偏見の対象として使われる属性、及びにそれに伴う負のイメージ、「負の烙印」のことを意味します。
 このようなスティグマの問題を解決し、個人の生活の規制をできるだけ少なくして基本的人権を尊重するものとして、「ベーシックインカム(基礎所得/最低所得補償、Basic Income)」や「ベーシックサービス(Basic Service )」という考え方が出されています。これは「性別や年齢、所得水準で制限することなく、すべての人が個人単位で、最低限の生活を営むために必要な一定の金額(ベーシックインカム)や、保育・教育・医療・介護・障碍者福祉などの基礎的なサービス(ベーシックサービス)を、国から定期的・継続的に受け取れる社会保障制度」です。
 ベーシックインカムだけでは膨大な財源が必要になるけれども、ベーシックサービスとセットにすることで、より少ない財源で生存権を保障できる可能性が高まります。

♧「ベーシックインカム」ってどういうもの?

 コロナ禍やAI化での雇用減少が心配される中、世界各国でベーシックインカムの給付実験も行われ、国連でも事務総長ほかがベーシックインカムの必要性に関して言及するようになっています。
 BIEN(べーシックインカム地球ネットワーク)では、ベーシックインカムを次のように定義しています。

  • 定期的 一回限りで一括でという形ではなく、(たとえば毎月などのように)規則的に支払われる。

  • 現金給付 給付を受けた人がそれを何に使うかを決められるように、適切な交換手段で支払われる。従って食料やサービスなどのような現物での給付ではないし、使用目的が定められたバウチャーでの給付でもない。

  • 個人  個人単位で支払われる。従って、たとえば世帯単位ではない。

  • 普遍的 資力調査なしに、すべての人に支払われる。

  • 無条件 働くことや、働く意思を表示することを要件とはせず、支払われる。

そして定義にはないけれども前提とされているのが次の二点です。

  • 一定の額 社会サービスと組み合わせることで個人が生活を維持できるかそれ以上の額であるものを「完全ベーシックインカム」、それを下回るものを「部分ベーシックインカム」という。

  • 権利性 権力者・政府による恩寵や恣意ではなく、受け取る側の権利として。

 これらに照らすと、選別基準や制約の非常に多い日本の生活保護や、また定期性がなく世帯主の口座に支払われたコロナ禍での特別定額給付金も、それぞれベーシックインカムから外れることが分かります。
 歴史的には、資本主義勃興期に資本家が共有のコモンズ(入会地)を囲い込んで勝手に「私有」していったことに対して、コモンズを取り戻す抵抗運動としてベーシックインカムの要求が出されてきたました。そのなかでもとりわけ女性解放運動のなかで「すべての人が最低限の所得を保証されるべきだ」という保証所得を求める要求が出され、ベーシックインカムという発想が生まれました。女性たちはケア労働などのアンペイドワーク(無給労働)を強いられているのに、有償労働の場では低賃金を強要され、さらに世帯の所得の把握のために屈辱的な調査を強いられるなどしてきました。その経験から導き出された、あるべき所得保障の制度だったのです。
 現在の日本でも、私たちの生活の基盤である医療や水などのコモンズ=公共部門がどんどん勝手に私有化・民営化され奪われようとしています。また、保育、看護、介護など女性が大きな比重を占めるベーシックサービスにおいて不安定で低賃金の働き方を迫られています。それに代わる社会のあり方を考える際に、ベーシックインカムは重要な示唆を与えてくれることでしょう。

♧にせものの「ベーシックインカム」

 近年、ネオリベラリズム(新自由主義)の立場から、既存の社会政策・社会保障などを全廃してベーシックインカムを入れようとする大変危険な動きがあります。先ほどあげたBIEN(べーシックインカム地球ネットワーク)は、ベーシックインカムの水準は「他の様々な社会サービスと結びつくことによって、物質的貧困を根絶する政策戦略の一部となり、かつすべての個人の社会的文化的参加を可能にするに十分に高いものである」ことが必要と唱えています。また、「ベーシックインカムの導入と引き換えに]社会サービスや権利を削減することには、もしそのような削減が、相対的に不利益な状態に置かれている人びと、脆弱な状態に置かれている人びと、低所得の人びとの状況を悪化させる場合には、反対する。」
 これに対して、「規制緩和」を主張してきた竹中平蔵氏などが提唱するベーシックインカムは、「例えば、月に5万円を国民全員に差し上げたらどうか。その代わりマイナンバー取得を義務付け、所得が一定以上の人には後で返してもらう。これはベーシックインカム(最低所得保障)といえる。実現すれば、生活保護や年金給付が必要なくなる」というものです(『週刊エコノミスト』2020年6月2日号)。
 のちに「月に5万円」を「月に7万円」とあらためましたが、生活保護や年金給付をなくす措置と表裏一体の試みとして捉えていることに変わりはありません。まさに「引き換えに社会サービスや権利を削減する」ものであり、「脆弱な状態に置かれている人びと、低所得の人びとの状況を悪化させる」可能性の強い提案です。竹中平蔵氏の提案は、実はベーシックインカムの理念の正反対なのです。

♧「働く」ことは「所得を得る労働」だけではない

 「働かざる者食うべからず」という言葉に私たちは強く縛られ、「働けなくなったら生きていけない」という不安を常に抱えながら生きています。そして倫理観をマヒさせながら過重労働を強いられ、事実上の賃金奴隷であり続けているのではないでしょうか。この感覚が、「働けない」人の人格を否定する意識も作り出しているように思います。
 しかし「生存権」という基本的人権は、「働けなくても社会はあなたの命を支える。あなたは生きているだけで価値があるんだ」と、私たちの命を無条件に肯定してくれる。この理念を共有していくことは非常に重要だと思います。
 そもそも今の社会では、この「働く」ということは「所得を得る労働」だけをさしていて、かなりの部分が企業に雇われて行う労働に限定されています。しかし、所得を得る労働だけが、果たして人間にとって必要な労働かは疑問です。雇用や経済成長を維持するためだけに、公共事業で不要な仕事があえて作り出されたりもしています。
 逆に、人間にとって必要不可欠なケア労働や、社会にとって必要不可欠な反戦や反差別などの社会運動はほぼ無償であり、「労働」とみなされません。
 雇用され続けるために、企業に逆らうような言動や社会運動は自粛し、また所得を得る労働にほとんどの時間を取られて、本当に必要な仕事・労働ができないでいるのではとも感じます。人間が過重な仕事から解放されることは本来ありがたいことで、私たちは必要な仕事をし、人生をもっと謳歌できるようになるのではないでしょうか。技術も社会インフラも資源も環境も、人類のコモンズであり、その成果・利益は一部の巨大企業でなく、私たちみんなで享受すべきものなのではないでしょうか。
 国や地方自治体が、そして国や地方の議員たちが、私たちから徴収した税金を、私たちの生きる権利を保障するためにちゃんと使っていくように、私たちは選挙でだれに投票するかを真剣に考え、議会の動きをしっかりとチェックしていかなければと思います。

〔参考リンク・参考文献―もっとよく知るために〕

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