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【UniTreat-DX-journey】#5.ACP〜アドバンス・ケア・プランニング〜前編

1.ACPとは


出典:「人生会議」してみませんか|厚生労働省より

本日はACP(アドバンス・ケア・プランニング)について考えてみます。
来る11月30日(木)は「人生会議の日」です。

厚生労働省では、11月30日(木)「人生会議の日」に先立ち、11月29日(水)にイイノホールにて、人生会議(アドバンス・ケア・プランニング)を知り理解するきっかけの提供を目的としたシンポジウム「あなたが望む生き方 今から始める人生会議(ACP:アドバンス・ケア・プランニング)」が開催されるようです。下記のリンクも是非ご覧ください。

令和5年度人生会議(アドバンス・ケア・プランニング)シンポジウム開催について

みなさんは、ACPという言葉を聞いたことがあるでしょうか。

ACP(Advance Care Planning)とは、将来の変化に備え、将来の医療及びケアについて、 本人を主体に、そのご家族や近しい人、医療・ ケアチームが、繰り返し話し合いを行い、本人による意思決定を支援する取り組みのことです。
 死期のいかんではなく、最期まで尊厳を尊重した人間の生き方に着目した最適な医療・ケアが行われるべきだという考え方により、厚生労働省は、平成27年3月に「終末期医療」を「人生の最終段階における医療」という表現に改めました。

出典:日本医師会HPより アドバンス・ケア・プランニング(ACP)

人によっては、人生会議というワードから厚生労働省のポスター騒動を思い出す方もいるのではないでしょうか。2019年の11月に、タレントの小籔千豊さんが病院のベッドに酸素吸入器をつけて横たわり、心電図が止まるようなデザインで描かれたポスターが、物議を醸しました(NHK:“人生会議” ポスター騒動が問いかけるもの)。

この取り組み自体は非常に有意義で、社会的にも一部肯定的な意見を持つ方も多かったにも関わらず、お蔵入りとなり、ACPに関する本質的な議論が広がっていかなかったことが非常に残念でなりません。

先日、私たちは、医療DXに関連した話題を扱い・勉強を行っていく中で、このDXの流れの中で、いささか技術的な側面や現場の労働環境、国庫や予算等のインパクトばかりが大きく取り上げられている一方で、真の医療DXによる貢献をうけるべき患者さんへの影響に注目が集められていないと感じました。

私たちUniTreatのメンバーには、臨床現場で活躍する医師も多く、患者さんと接するからこそ感じる、苦い思いや歯痒い現状を痛感しています。また、学生の中にもこのテーマに関心を持つ人も多いです。

そのため、UniTreat内外の学生や、交流のあった病院の院長先生や、他のご興味を持ってくれていた方々も含めて、DXという切り口でACPという重要なテーマについて話し合う勉強会を企画しました。

今日の記事は、その時の勉強会振り返りも兼ねています。この記事を通じて、読者の方のACPへの理解の深まりと、あなた自身やあなたの家族の人生のあり方についても、考えてみてください。

2.ACPの議論をやってみて感じたこと

人生の最終段階については、多くの人が向き合いたくも考えたくもない問題でしょう。しかしながら、現実的には多くの問題も指摘されています。その中でも私たちは特に、問題意識を知識としても、肌でも感じているのは意志決定のあり方です。
例えば、治癒が不可能な化学療法中のがん患者の70-80%は治癒が不可能であることを理解していない(Jane C Weeks et al. N Engl J Med2012)とされ、終末期においては約70.3%の患者で意思決定が不可能(Silveira MJ et al. N Engl J Med 2010)とも言われています。

このデータは臨床現場で働く私たちの感覚を裏付けるようなデータだと感じます。人生100年時代、高齢者社会、多死社会を感じる場面は日常的になりました。こんな、現代日本においては、患者さん本人は90代で、その息子・娘も60代後半から70代ということも珍しくありません。そんな状況の中では、例え命に今すぐには関わらない状況、例えば、

・病気がキッカケとなり、体力的に自宅ではこれ以上生活できない

・緊急検査の説明を聞いてからの判断(受けるか、受けないか)

・病状の経過に応じて、医師から提案しうる手術の理解(メリット・デメリット)

このような日常の診療の中でも、医療者として時間をかけて一生懸命説明したにも関わらず、患者さんやご家族からの完全な理解を得るのは容易ではありません。医療者として、100%理解してもらえていると心から感じられることは少ないです。こんな現状の中では、ACPや人生会議だと言われても、なかなか、そこまでは辿り着けません。

令和6年度の同時報酬改定に向けた意見交換会(第3回)資料-1参考

この問題に関して、我が国の医療制度の本丸の厚生労働省はどのように考えているのでしょうか。勿論、深く考えてくれています。先に物議を醸したポスター事件の黒歴史も、その中で伝えたいメッセージは、とても本質的で、社会的にとても意義あるものだと思います。「令和6年度の同時報酬改定に向けた意見交換会の資料」の中で、示されているように、本人だけでなく、家族や医療者、その周囲のすべて人が意思決定に重要な役割を果たすと伝えています。

人は一人で生きている訳ではありません。唐突ですが、綺麗な事を言いたい訳ではありません。事実として、本人の生きていく中では、本人の気持ちが一番であるものの、差し迫った状況では家族や他のキーパーソンがその意思決定をしなければならない場面もあるかもしれません。

例えば、生命に重大な影響が生じた際に、意志決定がどのようになされていくのか、具体的なイメージをみてみましょう。


重篤な基礎疾患(既往症)を持つご高齢の方がいるとします。かかりつけ医の先生の所にも定期通院していて、自宅では独居ですが、近所の住民とも顔見知りで、少し離れた都市部に家族も住んでいます。この方も、普段から「もう、私はよく生きた。突然倒れるような事があったら、そのまま逝きたい。それまでは元気に生きたい。」そう、かかりつけ医にも伝えていたとしましょう。さらに、家族もそれを聞いて、「そうだねー。でも、そんな事いわないでよ。」と笑顔で会話していたとします。ある日、日中に、自宅で倒れているのが発見されました。近隣住民より速やかに救急要請されて、地域の救急病院へ運ばれました。連絡を受けた家族は動揺しています。検査の結果、救命のためには唯一の治療として緊急手術が必要な状態とわかりました。けれど、手術自体は可能でも、その後に人工呼吸器が外せなくなったり、ご飯を食べられなくなったり、会話して動くことができるまでに回復する可能性はどちらかと言えば低い。そのように、医師から言われたとします。本人は朦朧としていて、意思表示はできません。かなり悪い状態であるため、救命のためにリスクのある意思決定を本人の意志が不在の中、短時間の内に下さなければいけません。


医療には不確実性が存在し、医療者はパッケージ化された商品やサービスを提供している訳ではありません。このケースでは、どうするのかに正解はありません。誰が悪いとか、何が悪かったなどということもありません。

けれど、このケースのように、日頃から患者さん本人の気持ちを知る機会はたくさんあり、患者さんと向き合う人たちにも、もっと多くの機会があり得たと思うのです。そして、こういったケースは日常診療の中で、よく見る光景のように思えます。

人生100年時代の現代、私たちは高齢になるにつれ、突然に予期しえない生命への重大な影響を及ぼす事態に遭遇しやすくなったとも言えます。しかしながら、それは想定できないことではないのです。誰しもが、死期のいかんではなく、最期まで尊厳を尊重した人間の生き方に着目した最適な意思決定をする日がおとずれるということです。ACPについて考えることは、「死に屈服する」のではなく、「残りの人生をどのように生きるか、自分らしい人生は何かを考える」という、非常に前向きなものなのです。

次回、後編で触れていこうと思いますが、医療DXがうまく行った世界で、どのような事が可能になるか、考えていきたいと思います。

3.まとめ

・ACP(Advance Care Planning)とは、将来の変化に備え、将来の医療及びケアについて、 本人を主体に、そのご家族や近しい人、医療・ ケアチームが、繰り返し話し合いを行い、本人による意思決定を支援する取り組みのこと。

・ACPについて知り、人生の最終段階であろうがなかろうが、自分らしく生きるとはどういうことかを考えよう。

※よく、意思決定や終末期という切り口で、ACPとDNARがごっちゃ混ぜにされていたりするケースもよくみられます。他には、心肺停止症例でのDNARの議論と、尊厳死の議論も持ち出されて、海外の法改定等の議論が出ている記事を目にしますが、本邦と海外では医療へのアクセスや医療制度そのものが異なることもあり、そういった前提の違いを無視した議論は不毛であるため、今回は扱いません。あくまでACPという切り口で説明しました。

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