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すべての形あるものが楽器だという意識で世界をみた。

全ての形あるものが楽器だという意識で、世界をみた😄✨🎶

夜の帳がおりた道。

橋の欄干と融合してみたくなって、欄干の世界に、静かに融けた。

彼らは、どこかから響いてくる音を反響しながら、ずーっと細かく振動しているように感じた。

実際の、その上を通るものたちの振動。

それだけじゃなくて、その金属の波長に合った世界の音を反響しては、振動して、そのように世界に現れている。

それは、わたしが奏でる弦の楽器や、太鼓を叩いた時の振動みたいだと思った。

途端に、その橋の欄干から広がる全ての世界が、それぞれの振動と、反響の音で、世界に音を奏でているのをみた。

普段なにげなく歩いているアスファルトの道路も、標識の金属も、あたりを走る車や自転車も。

家も、電線も、全てのものが。

樹々や、花や、星や水や土、火や人や生き物たちだけじゃないんだ。

わたしの愛する自然界の物質は、言葉にならない、形になる前の世界の音を奏でて世界に在るけれど。

人間もまた、物を通して暮らしのなかに、言葉にならない世界の音を、反響のように奏で続けているんだ。

そんな風に世界が見えたら、建築や、街づくり、という概念が、一新されたみたいにかんじた。

いったい、人が国や時代をつくり、そこから、それぞれの独自の音と文化や気質が生まれるのか、国や時代の音が人の営みをつくり、その時代に生みだされる街や物を通してその音を世界に"再現"させているのか。

こんなにつくられた反響の音のなかで、それでもわたしたちは、生命と魂の音を肉体に持って、生きようとする。

自然のなかから、空間と成り立ちと時の音を聴いて、それを可視化し、再現しようと試みる。

まるで目には決して見えない地図に、みんなで導かれているみたい。

今日、袖を通す服も、足と共にある靴も、それは様々に絡みあって織り成されて生まれたひとつの楽器で、それは生まれた時にひとりひとりが授かった肉体という楽器とともに、地球のうえを歩き回る。

わたしたちは、歩き回り、言葉を話し、様々な自然の音をこの世に現そうと再現し、そうして地球にも宇宙にも単独では存在しないような、そんな音の境界を壊しては調律し続ける、天と地の図表を宇宙に描くための楽器なのかもしれない。

と、そんなことを橋の上の世界の意識で考えて、それから少しだけ、'楽器"として人類によって建設される、これからの地球の都市について妄想をして(それは人類から宇宙や地球への、最高のヘイトスピーチにもなるし、最高のラブレターにもなるなぁと思った)、それから、そのままじゃ人間として暮らしにくかったので、小さなわたしのなかに、戻ってきた。

だけど戻ってみれば、わたしの肉体もまた、楽器で、人間には、肉体と、魂という、目に見える楽器と目に見えない楽器が存在していて、それを生命の力が揺り動かしては音を奏でているのだなぁ。

それが、人生を織り成して、言葉となり、わたしたちを結びつけたり分離させたりしながら、生命の輪を生きて表現しているのだなぁと、そんなことを思った。

倍音と、重奏と、合奏と、綺麗に旋律がまじりあって生まれるハーモニーだけを人は求めるけれど、ぶつかり合ってギスギスと緊張したなかから生まれる金切り声みたいな不調和が生み出す全ては、やっぱりわたしたち人間の、いのちの声に他ならないのだとわたしは思う。

それは、その、叫ぶような不調和の音は、ひょっとしたら、人間が持つ"伝えたい"という欲求の根源なのかもしれない。

移ろい、認知で姿を変える言葉だけじゃ足りなくて、変異し、進化してしまう遺伝子だけじゃ足りなくて、確実に、今の音を遺すためのなにかを、死んでいくことを知ってしまった生命は、必要としたのかもしれない。

人間がつくった全てが楽器だとしたら、世界には今、どんな歌が流れているんだろう。

人間は、どんな歌を世界に歌っているんだろう。

きっと聴くのは難儀だけれど、聴いてみたいな、と思った。

2020年2月11日 日本

地球に暮らすさやかより♪

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