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大学院授業一歩前(第1講)

はじめに

 ご無沙汰しております。社会人大学院を目指す奮闘記を作成するつもりが、色々と変化がありました。さらに、仕事をして思ったこともありそれらをまとめてみたいと思います。

大学院進学について

 社会人大学院(土日夜間)は正直言って、私には無理だなと痛感しております。なぜなら、仕事を一日8時間程行った後に研究を行える程、私自身に体力が無く(その理由は後述します)、進学しても中途半端な修士論文を作成して、博士課程への進学に耐えうるものを作れる自信が無いです。
 加えて、院の内容が中途半端ならば、言わずもがな仕事も中途半端になり、二足の草鞋を履いたは良いが、それを履いても上手く歩くことはできなない。そう判断しました。なので、仕事については3年を目途に一度離れ、全日制の大学院への進学を今後の目標とし、キャリア形成を行っていきます。本当に、放送大学や専門職大学院を含む社会人大学院生の皆様、その準備過程を含めてすごいとしか言えません。

研究内容について

 今後の研究内容ですが、まちづくりに関わる仕事をする中で「まちは誰にでも開かれた空間であるべき」という信念が強くなってきております。もう少し、政治理論の言葉で表現をするならば「まちは住民を含む、その関係者を排除すべきでない。そのまちに住まう人々の生活を安定させ、貧困や差別をそのまちという空間から無くすべきである」と表すことができるかもしれません。あくまで、現時点での私の信念であり、これを何とかして政治理論という道具を使いながら立証していきたいと考えております。
 その際に政治理論に加えて、都市社会学における貧困や寄せ場の研究の蓄積や、土木工学における都市計画史の研究といった政治理論の以外の分野の知見も活用できるのではないだろうかと考えております。特に、社会学における質的調査(特に参与観察や生活史)を手法を用いてドヤ街をフィールドに研究を行いたいとも考えています。
 仕事から離れて研究をするので、国際協力や開発援助といった枠組みにもう縛られる必要は無い(開発援助も都市計画も、ある一定の地域に対して、外部者が介入を行うという形は変わらないので過度に分ける必要も無いかもしれませんが)ので、学部の頃からやってきたまちづくりに主戦場を戻します。 また、仕事をする中で「私達の行っている行為は、地域の人の声を聞けているのだろうか」といった自分の中でも批判的見方が大きくなっており、一度真剣にまちの課題や、そのまちに住まう方々の声を聞きます。
 加えて、あくまでサブフィールドとしてですが、健康についての倫理的研究もしてみたいと現時点では考えております。前述の通り、私自身体力が無いのですが、その理由にコロナの後遺症に約一年苦しめられており、常に倦怠感と喉の痛みと闘っております。このような体調の中で「体調管理もできないのか」や「筋トレとかしないからだ」といった体調への自己責任的発言を多く言われ、中々精神的にも辛い毎日を過ごしています。
 ですが、能力にも人それぞれ差異があるように、体力にも人それぞれ差異があるのではないでしょうか。アフターコロナという言葉さえ聞かなくなった今ですが、苦しみ続けている一人として、言わば体力のメリトクラシー批判や健康面における過度のマッチョイズム批判も同時細々と研究したいです。こちらはあくまで、サブフィールドにはなってしまうとは思いますが。

おわりに

 まとめると、今の内に仕事で身に付けることのできるスキルは身に付けて、その後は本格的にアカデミアに戻ります。研究テーマに関しては若干の変更は有りますが、今後も継続してあくまで政治理論を軸に「在野研究」を2年半ほど進めて参ります。もちろん、時々フィールドにも足を運びつつ。

 


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