ひとつの経験
甘やかそうとおもっても、
まだ自分には厳しいらしく。
過剰に(´・ω・`)ってなってたのです。
『どんな事でヒトは悩んだり落ち込んだりするのか、氣になるから触れてみたい👀』という方、かまわないよ〜って方は、このまま読み薦めてくださいませ☺
元々、両親も自分にも周囲にも、とても厳しいヒト達でした。
尊敬する部分も沢山あるけれど、
『そんなに自分に厳しくして、つらくない?しんどくない?』
『もう少し、甘えたり頼ったり、やすんだりしてほしいな』
ってこどもの自分がおもうくらいには、自分に厳しい。
『自分ひとりでキチンとやらなくちゃ』
『甘えは弱さ。ズルさ。ゆるされない』
って、思考パターン。
そのまま、わたしもその思考パターンを引き継いできていて。
☝に書いた『親に伝えた言葉』全てが
『今の自分に必要な言葉』だった。
いくら、波動氣にしてポジティブ意識しても、瞑想しても、深呼吸しても、ソルフェジオ聴いても、あらゆる宣誓文読んでも、御祈りしても、何故か効果があんまりなくて。
ふと、☝からの言葉をおもいだした。
『あなたの學んだ事や、経験をどんどん発信してね』
常に高波動であろう、というのはある種の我を生んで。
しょんぼりしちゃう事もあるよね。
悩む事もあるよね。
だって、わたし達は、ヒトだから。
『ヒトは、考える葦である』って云ったのは誰だっけな。
『葦(あし)』も、キーワードだよね☺
だから、この記事書こうと決めた。
だって、くよくよ…後悔〜で
(´・ω・`)のまま
ピリオドを打つつもりがないから。
だから書く。
あのね、小さな頃のワタシは、お父さんお母さんと沢山お喋りしたかったんだ。
でも、お母さんは真ん中の妹産まれて。
末の妹は心身重度の障害があって産まれて。
末の子は、寝る度に舌が弛緩して喉に詰まって、呼吸とまって、チアノーゼになって。
毎晩、母親の叫び声で眼を醒ました。
『わたしの妹、しんじゃうのかな?』
『おかあさんが不安そうで、焦ってる』
何故か、母親と感情までがリンクしていて。
いつも不安だった。
毎晩跳び起きる日々が終わったのは、いつだったかな。
流動食ではなく、鼻からチューブでミルクいれるんでもなく、お口から食べる練習させてくれた通園施設があってね。
そこで、練習してたみたい。
3歳にはわたしの通ってた保育園に、『この子、こどもが大好きなんです』って頼み込んで入園してたから…。
チューブ外れたの、3歳くらいか、もっとはやかったのかも。
5歳違うから、わたしが8歳未満の頃の、お話。
でも、永遠のように感じた。
チューブ、イヤみたいで鼻から抜いちゃうの。
ちょっと眼を離した瞬間に、器用に素早く。
モノを掴むのもおぼつかなくて、リハビリしてる子が。
よっぽどヤだったんだろうね。
それをね、『ちょっとみてて』って頼まれるんだ。
わたしは、何故か断る事ができなかった。
いつも。
『お姉ちゃん、お母さんのお手伝いして偉いね』
『お母さんを、たすけてあげてね』
ヒトから、祖母から、病院のヒト達から云われた言葉は、わたしの中で
『お姉ちゃんなんだから、ちゃんとお手伝いしなくちゃ』
『お姉ちゃんなんだから、しっかりしなくちゃ』
『お母さんを助けると、色々なヒトに褒めて貰える。お母さんもきっと、喜んでくれているよね?』
って、こうなった。
『言うこときかないと、人食いオオカミのいる森に捨てるからな』
って父に云われ続け、ある日の晩。
『3回』。
なにか父の注意かなにかに、『従わなかったから』、夜に雑木林に捨てられちゃった。
お父さんがこわいカオして追いかけてきて、怖くてお母さんのトコロへ逃げた。
お母さん、『ちょっと、なにするの?やめてよ!』って、云ってくれたんだけどね。
両親のそんなにケンアクな声、姿、幸いな事にそれ迄みた事もなかったんだ。
だから、それにもびっくりしちゃって。
『わたしのせいで』両親ケンカしちゃった、って小さなわたしは感じたみたい。
お母さんは、『七つまではカミの子だから、夜泣きしても外に出すなんてとんでもない』という文化の島から來ヒトで。
お父さんの行動、理解不能だったんじゃないかな。
びっくりも、したとおもう。
それで、抱えられて、お母さんから引き離されてね。
雑木林のフェンスの中に、力尽くで押し込められたの。
ずっと、能面みたいなカオしてた。
おとーさん。
何が琴線に触れたのか理解もできないまま、息できなくなるくらいに『ごめんなさい』『もうしないから』『ゆるして』って、泣き叫んだんだけどね。
フェンスにしがみついて、繰り返したんだけどね。
大人になれば、ただの道一歩跨いだだけの、『雑木林』。
ちいさなわたしには、『人食いオオカミがいる森』だった。
父が去って暫くは、呆然としてた。
少し泣き止んで、息ができるようになったら、フェンスよじのぼって。
裸足で道路を渡って、駐車場の砂利が、足に刺さって痛くて。
こどものカラダには、とても大きくて重たいドアを開けようとしたんだ。
多分、それまで親が開けてくれてたのかもね。
そしたら、鍵、しまってた。
まだ、保育園にも行ってない年齢。
世界=家庭だった
家に入れて貰えない事は、世界に拒絶されたも同じだった。
そこに、『捨てられた』ということは。
わたしは『わたしのセカイのカミサマ』たる両親に捨てられ、『わたしのセカイに拒絶され、捨てられた』事とイコールだった。
その日から、ワタシは、とても『イイコ』になった。
鍵がかかっていると理解してから記憶がないが、祖父母の家に自ら行ったらしい。
その日から、いつも、親の声色、顔色伺っていた。
寝室で眼を瞑って、両親の声がリビングから聴こえてくると不安になった。
『ケンカしてるの?』
何度も起きて、リビングに行ったそうだ。
『普通の会話してただけだよ』って、聴いてようやく、安心して眠った。
あれから、怒られる事がとても怖かった。
少し注意されただけでも、優しく云って貰っても、自分で自分を責め苛んで泣いた。
3歳頃から、保育園で泣きたくなると我慢して。
夜、母と真ん中の妹にみえないように、壁をみつめて、声もなく泣いてた。
『泣くのは恥ずかしい』
『そんな事くらいで』
もう、云われたくなくて。
『親や祖父母がヒトに褒められて喜んでくれるようなイイコ』
『しっかりもので、優しいお姉ちゃん』
を、演じ続けた。
自分誤魔化して、ウソついてた。
そうせずにいられなかったんだ、あの頃は。
小學生になって。
男女でわけられた刻の違和感がそりゃもう凄かった。
『茶色か緑か靑のランドセルがいい』
と云ったら
『目立つとイジメにあうから』
『おばあちゃんからお金貰ってるから(おばあちゃんの氣に入るモノにしなさい)』
と、云われた。
モノをタイセツに扱う方だったけど、周りの男の子を真似てランドセルをぺちゃんこにしてみた。
名札の針で手の皮を剥くようになった。
爪を噛む癖は、保育園の頃から。
先生達も氣にしてくれてたけれど、母親は『大丈夫です』とイヤそうな声を出してた。
小学校一年生で、小児喘息を発症。
二年生で、常に100点をとれなくなってきて
三年生で、班長になった刻に、班のヒトがビーカーを割っただとか、ヒトに何か迷惑をかけた、だとかで何故かわたしが毎回叱られた。
『もう無理です。班をかえてください』
先生は、『○月になったらするよ』と云った。
来る○月、待ち遠しかった。
ワクワク登校したけれど、席替え班替え、して貰えなかった。
『今学期いっぱい我慢して』
無理だった。
やすみがちになった。
保育園から仲良しだった男の子、バレンタインのチョコその年渡さずに、友人の付き合いで違う子に渡したらイジメにあった。
今おもうと、彼はわたしからチョコ貰うの樂ししていてくれたのかも。
毎年、丁寧に御返しをくれていた氣がする。
親御さんにまで、氣にいって貰って。
靴揃えたり、その年で偉いねって褒めて貰って。
『将來、お嫁にきたら?』なんて冗談を云って笑ってた。
彼のおウチもとても親御さん厳しくて。
彼は、ケンカ(?)してわたしが泣いたり怒ったりすると、『謝るからお父さんにだけは言わないで』って、刻には泣いてたっけ。
そうおもうと、『期待したぶんガッカリ』して、でもスナオには言えなくて、『イジメ』になってもおかしくはないよね。
ある日の通学路。
ひとりで歩いていたら、突然後ろから
『○ね。○えろ。』って云って、睨みつけて去っていった。
中學生になってやっと理由がわかった。
あのときはただ、なんで幼馴染にそんな事を言われるのか、男の子三人でからかわれたり虐められたり絡まれたりしてたのは、なんだったのかって感じてた。
イジメとすら、おもってなかったかも。
先生にも、親にも、
云わなかったのか、云えなかったのか。
突然教室で、『ハサミって手首きれるのかな』って試した。
バレずに、薄っすら切れてなんかスッキリして。
小6まで、誰にもバレないまま、段々深く多くなっていった。
小3から、不眠不登校やって、眠れない夜は決まって『森に捨てられた』記憶が繰り返しよみがえる。
考えたくないのに、思いだしたくないのに。
そのうち日中もそうなった。
あれは、フラッシュバックだったんだって、自傷行為だったんだって、あとになって識った。
爪を噛む癖、家族にものすごく注意されて。
頭髪抜くようになってから、安全ピンになって。
リスカやアムカになって。
ODになって。
学校に行きたくなかった。
二段ベッドの、足に、足でしがみついてまで嫌がるワタシを、母や父や祖父母が学校に引き摺っていった。
『ちゃんと』『普通に』『将來の為に』
『人生のレールを外れるな』と。
『どうして、行きたくないの?』確か、聴いてくれた事もあった。
云わなかったのは、わたし。
もう、否定されたり拒絶されたりがイヤで。
『どうせ、云ってもわかってくれないじゃん』
親に一切自分のキモチ伝えなくなったのは、何歳からだったかな。
TV、家事、介護、オヤツ…わたしの『お喋りしたい』『聴いてほしい』ってキモチ、こどもの頃は満たされた事はなかった。
保健室の先生達だけが、いつも手当てしてくれて、話聴いてくれて。
刻には『叱られる』じゃなく『怒られる』こともあった。
会食恐怖症になってからも教室で食べなさいと云われ、卒業式にはリハーサルしてなくても出なさいと云われ、修学旅行で具合惡くてしゃがみ込んでても『団体行動』の為に掴んで起こされ、写真キライなのに撮られ…。
でも保健室の先生達、スキだった。
話、沢山聴いてくれたから。
その頃わたしの家族は、みんな大変で。
家族(大人たち)から家族間の愚痴や不満、ひたすら聴いてた。
わたしはもう、話すこと諦めてた。
伝わらないから。
だから、『わたしは話すのがへた』
『つたえるのが』ニガテって想ってきた。
友達は、『話し上手で聴き上手』って褒めてくれてたのに、受取れずにいた。
『家族も会話のキャッチボールができないし、わたしもできないだろう』
って、ただの思い込み。
単に『出來る刻、できない刻、あるだけ。』
『傾聴、全肯定、出來るひと少ないだけ』って識らなかった。
やれば、『キャッチボール、出來るときもある』
ヒトは『心にゆとりがないと、それができなくなる』
それだけ。
わたしが話すと、おとうさんはいつも『ふーん』『へー』『凄いじゃん』しか云わなくて。
まともにこっち、視てもくれなかったあの頃。
お母さんは忙しいし、ばーちゃんはじーちゃんの惡口不満ばっかり。
じーちゃんもばーちゃんへの、息子への不満愚痴ばっかり。
今おもうと、あの頃のアレはなんだったのか。
幻みたい。
真ん中の妹は負けん氣強く、卓球に誘われてつきあうと『負けて泣く』『手を抜かれても泣く』。
こどもの2歳差、小さいようで大きいのわかってたから、『どうしろと…』って困ってた。
ちいさな頃の妹、よく怒りよく泣いた。
髪を引っ張り、噛みつき、背中にまで噛みついた。器用だね。
いつも、やりかえさなかった。
最初はやりかえしてたけど、妹が泣くとわたしもかなしくなって。
おとうさんは、『やれやれ〜○○もやりかえせよー』って、見物してた。
なんか、嬉しそうに。
お母さんは、お父さんと妹を留めた。
『たまにはやりかえしていいんだよ』
って、云ってくれたけど当時まだ、『やられたから、やりかえす』をした刻のなんとも言えない罪惡感とか、『誰かが泣くと、何故かわたしも泣きたくなる』て、うまくいえなかった。
『共感覚』じゃんね。
『平和主義者』じゃんね。
ヒトにもモノにもあたる選択をしなかった。
褒められたことではないかもしれないし、選択肢が他になかっただけなのかもしれないけど。
『偉かったね』
『沢山我慢して、辛かったんだね』
『いっぱい、頑張ってきたんだね』
『ずっと、寂しかったんだね』
って、あの頃の自分を抱き締めて撫でて、氣のすむまで話、きいてあげたくて。
今の自分に、もうそれはあまり必要ないと感じていたけど、もっと要るんだろうな。
傾聴しようとして我が入るのは、そういう事。
あの頃のわたしに、他にも云う事がある。
死は、終わりではなく新たな生のはじまり。
死は、安寧の救いだと、唯一の救済だと考えていたね。
あるヒトにとってはそうだけど、アナタにとってはそうでなかったよ。
沢山のしんどい経験から、自分救いたくて、なんとか救われたくて山ほど読んだ夲達が、『文才がある』と云ってもらえる自分を創った。
活字依存と云っても差し支えないくらいには、常に何か読んでいたね。
また、ある頃からは、『絵の中でなら、善悪も、優劣もなく自由にしても怒られない』と絵ばかり描いていたね。
依存して、『スランプなので○にたい』と言いだす程に。
クラスでひたすら絵を描いていただけ、夲を読んでいただけで、友達が自然にできたね。
それは、とても幸せな事だったよ。
好きな事に夢中なヒト、やっぱりすてきだよね。
友達のほとんど、わたしのこの『自分でも扱いづらく、面倒』と感じてきたあらゆる特徴に慣れてくれたね。
『何故、友達で居てくれるんだろう』ってずっと首を傾げてたけれど、『友達』ってやっぱり『なんとなくあう』『なんとなく惹かれる』『なんかスキ』だから続くんじゃないかな。
つまり、『あの頃のわたし』だって
『ステキ』だったんだ。
完璧にならなくても、イイコにならなくても、だいぶ変わってても、喋りすぎても、傾聴過ぎて急に泣きだしても、不登校でも、何度も自傷や未遂繰り返してしまっていても、絵に依存し、サイトのアクセス数に一喜一憂し、興味があること好きな事多すぎてとっ散らかっていても、小難しくても、屁理屈云ってみても、いつでも。
『タイセツ』だって
『スキ』だって
言ってくれるヒト、常にどこかしらに居てくれたね。
宝物だよ。
君が君を『ダイキライ』でも、『消えたい』でも、『○したい』ほど自分を責めていた刻でさえ、
『わたしはひとりぼっちだ』
『寂しい』
『誰もたすけてくれない』
と、そう感じていた刻でさえ
あらゆる存在に、目にはみえない存在にすら
『愛されていた』
『たすけられていた』
『みまもられていた』
『ずっと、傍にいてくれた』
これに氣着いて、君は泣いたね。
嬉しくて、愛おしくて。
その優しさに、有り難うって
声を出して、
恥も外聞もなく
泣いたね。
泣き疲れて、赤ちゃんみたいに安心して、
眠ったね。
毎日、一瞬一瞬、生まれ変わっているけれど
あの日は、なんだか懐かしくて。
ずっと『還りたかった』故郷に還って、逢いたいヒトとようやく逢えたみたいにさ。
あらゆる経験、出逢、宝物だ。
辛かった、腹がたった、○えたかった、悲しかった、寂しかった、苦しかった。
そんな経験すら、今は宝物みたい。
あの日々があったから、今こんなにも大きな幸せを感ぜられる。
褒めて貰って『いえいえわたしなど、まだまだで…』って相手の言葉否定して自分下げるような事を云わなくなれた。
『有り難う、嬉しい💗✨』
って、受け留められるようになった。
カップの底の穴、やっと、ふさがったね。
これでもう、惜しみなく自らを愛して、ヒトに愛されて、溢れた幸せや愛や優しさを人のコップにわけてあげられるようになったんだよ。
『満たされない』日々は、もう終わったんだ。
ここからは、廣く高く羽ばたいて
深く何処までも、泳いでいけるでしょ?
あの日々を耐え生き抜いた貴方は、偉い。
ただ生きてるだけで、とっても偉い。
今日も息しててえらい。
御飯食べられて偉いね。
善々、よしよし( T_T)\(^-^ )💗✨
みんな偉い。
みんな凄い。
そう云えるわたしも、エライんだよ。
そんなに自分をいじめなくていいんだよ。
どうしても『ごめんなさい』したいなら、コッソリ早めにすればいい。
なんなら、今。
最近、無職と言えないくらい『光のお仕事』頑張ってたんでしょ。
寒くない?眠くない?
御飯、もう少し食べておかない?
副交感神経、鈍るから。
過去のわたしを愛するように、
常に我が子のように自分自神を慈しんで、愛して、柔らかく包んであげようよ。
配るばっかりじゃ、そりゃしんどいさ。
惜しみなく、自らにも
與えて、どこまでも赦してあげよう?
人に優しく出來るんだから、出來るさ☺☺
ちょっと久々にゆっくりのんびりまったり
好きな事だけすればいい。
籠もるの、ダイスキなんだから。
ひとりの時間確保できないとしんどくなるタイプって、忘れてたでしょ〜🤣
夲々、忘れんぼさんだもんねぇ🤣
だいじょうぶ。
誰に見捨てられようと、見限られようとも
わたしがわたしを拾うからね。
わたしがわたしを救うからね。
自分が自分の神サマ。
自分自神✨
みんながみんな、神サマ。
護られてるんだ。
貴方がそんなにも焦ることないんだよ。
廣く云えば、死すら『ひとつの経験』。
未遂も自傷も『ひとつの経験』。
だから、どうしても!と感じるなら、ムリには留めない。
でも、死○だけは今の生で『學んでくるね!!』て生前に建てた自分自神の學を終えられないから…
多分、氣着いてあげないと今世や来世や他の次元でカタチをかえてまた…って
なるんじゃないかな〜?とおもったら、つい…。
常に『それもまた、ひとつの自由』
『ひとつの経験』
て落ち着いていられたら、わかった筈。
あの頃の自分にそんな風に伝えたら、むしろ追い詰めちゃうって事も、氣つけたはず。
まだまだ學んでいく氣満々みたいね靈が🤣
闇側のイタズラやインプラント、あるの識ってたんだろうにまぁ
この時代のこの星に望んで來たわけでしょう?
しかも、あえてのハードモードを選択したのだとしたら……
靈の方は随分とやり込み型ゲーマーで、それもそれなりにベテランなのかな🤣
まだ、さっぱり前世の記憶も戻らないし、
真名(靈の名前)もわからんし、
守護天遣さん(ガイドさん)のお名前も星もわからないけど
不思議な事は沢山起こるし
不思議なチカラは若干使えてる感あるし
…どういう初期設定で🌍に遊びに來たんだろ?
や、仕事しに來てるんだろうけども。
今日とあるメルマガで、『人生大変なヒトは宇宙由來の靈かも』って書いてた。
『使命をおもいだす為に、あえてのハードモード』らしい。
『地球に要請され、仕事をしに來た』
ちょい、休暇を嬉しんだらまた神氣一点、お仕事するかぁ🤣
まぁ…必要な刻に必要なぶんだけ、わかるシステムな氣ィするし、いっか🙌💖
とりあえず、攻略状況。
繩文時代は多分居たの確定。
レムリアもやたら氣になってるから多分居た。
あと天遣時代があったのか、天界的な雰囲氣のところの景色を夢の中で一度みた。
あとは、シリウスってめっちゃ云われるしおもう。
地球に來る為にシリウス経由するらしく、シリウスB時代とA時代あったような。
で、宇宙猫族で龍族。
黃龍さんがワタシの銀龍さんの内のひとりと夫婦らしい。
ツインソウル?とかツインレイ?
『自分には無縁、ヒトとヒトとしては出逢わんやろ』
と思っていたが、どうやらヒトの身としての御相手も彼らしい。
年齢差が親子ほどあるけど、全く氣にならん。
女性と男性…というようなパートナー関係でなくとも、胸オペで皮膚がエライことになってても、いっこうに構わないらしい。
こども、とても望んでくれているけれど、わたしが嫌ならそれでいい、って。
こんな不思議な縁感じるヒトはあった事なかった。
縁ある地域、習慣…きりがない。
この世に偶然はないなら、この出逢も必然で運命なのだろうか?
多分、ソウルファミリーなのかな?と感じる方々とも出逢えました☺💗
使命を行うと色々齎される…との事なので、きっと今の進んでいる方向は◎なんですね👀
沢山の出逢いに、あらゆる存在に、天地に万物に、目には視えない存在にも、常に感謝と愛を😌💖
ねぇ、前半の記事の(´・ω・`)てしてたの、どこに消えちゃったの?🤣
確かに龍族も猫族もお地蔵さんも玄武さんも、心優しいからスタッフさんとして福祉やっていて。
ハードモードだから、入所者さんとして此処で逢ったわけで…。
やたらトントン拍子で入所決まったの、それでかぁ🤣
ちょっとクリエイティブ方面に行って、TwitterやNoteと暫くは離れようとすら考えたけど、この強烈に(´・ω・`)て経験も更にわたしを育みより善き仕事をする為にも學んでおかにゃならん事のひとつだったのかもしれないからね〜👀✨
お目々ぱっちり醒める日が、待ち遠しい😌✨
ワクワクだわ🤣
✨
では、皆さま夲日も
『おはようございます☺✨☀』
かむながら たまちはえませ
弥栄(彌榮?)ましませ〜😆💖✨
灰龍つ💖🐉🐉🐉❗
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