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ジャマイカ専門書執筆に人生かけてるチャレンジをしている人

クラファンチャレンジ回です!!!

いやほんと不思議で、HipHopかレゲエって視点で見ると、無名人インタビュー参加者はレゲエ好きの方のほうが多いんですよね。世界的な人気の潮流からみれば、HipHopになると思うんですが、それでもレゲエの人のほうが参加率上回っているんですよ。これはレゲエのカルチャーを反映しているのかもしれません。
音楽で言えば、実は私は毎週新曲をspotifyあさっているんですが、やっぱり新しい表現を見つけるのは楽しいですよね。
今なんかなんでこんなに山下達郎がはやってるかもわかりません。ルビーの指輪がはやるのはわかります。そうですよね、寺尾聰です。
私の場合、実は音楽と生活があんまりからんでなくて、LEX聴くからクラブにいくわけでもないし(それが正しいファン像がわかりませんが)、花譜を聴くからと言ってライブライバーではないし(でもスト鯖は見ますよ)、まあ、そういうことなんですわバラバラなんですよね。
でも、音楽と生活が一致している人もいますよね。生き方になってる人。
その彼我の差ってなんだろちゃん。
ということで無名人インタビューgo!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは 池田 太陽 さんです!

https://www.instagram.com/taiyo_glitter/


現在:書くっていうところを軸に置いてこれから先、生きていきたいっていう気持ちもあったりするので。プラスこれまで自分を支えてきた音楽に対して何か報いたいっていう気持ちもやっぱりありますし。その中で自分の人生全体っていうのを考えたときに一つの区切りというか、第一歩っていうか、そういう思いはあったりしますね。

イワナ:池田さんは現在何をされてる方でしょうか?

池田:都内のアナログレコードの制作会社で働いてまして、ちっちゃい会社ではあるんですけれども、音楽やっている方には割と有名な会社で。
レコード作りたいっていう方のご相談を受けると同時に、実際に作っていくお手伝いをしたりだとか、あとはレコードの原盤、ラッカー盤って言うんですけど、それを作ったりだとか。
あとはブログだとかSNSなんかも使いながら、レコードのカルチャー作りのお手伝いをするって感じの仕事をやっています。

イワナ:社員数はどのくらいなんでしょうか?

池田:10人もいない会社です。

イワナ:なるほど。なんか聞いてて結構営業っていう言葉ではくくれない感じなんかなって思ったんですけど。

池田:そうですね。去年から働いてるんですよ。
元々はカスタマーサポートと営業の中間みたいなポジションで入ったんですけど、基本的なお客様対応、プラス新規のお客さんを増やしていくための仕掛け作りというか、それこそウェブマーケの真似事もやったり、泥臭く足を使って会社のパンフレットをリハーサルスタジオに配っていったりだとかもやっていますし、広報的なところもかじったりしているような感じです。

イワナ:お客さんはアーティストの方っていうことですかね。

池田:そうですね、基本的には大手レーベルには所属していなくて、インディーズでやっている人もいれば、仕事をしながら趣味としてやっていて「いよいよ初めてレコードを作りたいんです」っていう方とか、A&Rといって、アーティストを探し出したり音源作りの事務的なところを担う人なんかもいたりするんですけど、そういった人とやり取りすることが多いですね。

イワナ:お仕事はやっててどうですかね。

池田:そうですね、音楽業界に入ったのがこの会社が初めてなので、いろいろ慣れない部分もありつつ、基本的には楽しみながらやってこれたかなっていうのはあって、会社も小さい分1人1人裁量が大きかったりするので、結構信頼してもらっていろんなことをクリエイティブに取り組んでみてるっていうのが、すごく充実してるかなって思いますね。

イワナ:音楽業界が初めてっていうことなんですけど、それはかねてからの希望で入られたんですか。

池田:いや、もう全く偶然というか。
元々新卒で入社した会社が人材系の営業職で、そこは名前も有名な上場企業で、3年ぐらい在籍してたんですけど体調を崩してしまって、辞めて1年半ぐらい療養していて。
そこから体も回復してきて次の会社を探そうってなったときに、最初は編集とかライティングにずっと興味があって、noteも書いてたり、大学院で研究もしていたので、そういう知見とかスキルを生かせるところがないかなって思って探していたんですけど、なかなかご縁がなくて。
後から知るんですけど、出版・メディア業界って新卒のルート以外では入っていきづらい業界っていうのがその頃はあんまりわかってなくって。
面接には呼んでもらえるけど、お断りされるっていうことが結構続いて。
失業手当もそろそろ切れるな、やばいなってなったときに、たまたまレコード関連の求人が集中的に見つかって。レコードもたくさん持ってて趣味として聞いてはいたので、そっちの道もありだなって思って拾っていただいたのが今の会社なんですね。

イワナ:お仕事以外の時間って、どういうことをされてることが多いですか。

池田:そうですね。最近はアクティブに動くようにはなっていて。
書いている本の作業だったりとか、最近は気候若者会議っていう、気候変動に関心のある日本の10代から30代ぐらいまでの人たちが集まって、政治家とか企業なんかに政策提言をするっていうプログラムに参加していたりだとか。
完全プライベートっていうところでいくと、朝にパンが食べられるカフェに行ったりとか、そこで本を読む時間を過ごすっていうことだったり。
週末の夜なんかは基本的にお酒飲んでますね。1人で宅飲みって感じでレコードを聞きながら飲んだりとか。あとは外に飲み歩きに行って、音楽聞けるバーとか知り合いのいるクラブに行って飲んだりしていて、たまに朝までになることもあったりしますね。

イワナ:音楽はどういう音楽がお好きなんですか?

池田:書いてる本にも関係するんですけど、一番思い入れが強いのはレゲエ。高校生ぐらいのときから聞いていて、大学院でも研究テーマにして、いろんな人と繋がるきっかけになって、自分の中で大きい割合を占めてる音楽ではあります。
あともう一つ、大きいとこでいくとビートルズ。仕事休んでいた時期にnoteに解説記事を書いたりもしていて。ビートルズの方は小学校一年生のときから聞いているのでだいぶ長い付き合いなんですけれども、最近新曲なんかも出たりして、ここ数週間は聞く比重が大きかったりしますね。
他にはソウルだとか、昔のブルーノートのジャズなんかを勉強したいなと思っていたり、シティポップも最近レコードの再発が多かったり、お金を出して買うものはそこら辺のジャンルが多かったりしますね。

イワナ:いろんなジャンルを聴かれてますが、どういう「音楽」がお好きなんでしょうか?

池田:そうなんですよね、ちょっと振れ幅が大きくて自分でもうまく説明できるかわかんないんですけど、曲のノリっていうところでいくと、中心になるのはブラックミュージック的な黒いノリというか、ビートルズも元々は黒人系のロックンロールがルーツですし、レゲエにしても、元々はアメリカのR&Bとか、アフリカ系の土着の打楽器系の音楽だとか、そういうものが混ざり合ってできた音楽なんですよね。
なので一口にレゲエっていってもジャンルは様々あるんですけど、根っこにあるのはそういう感じで。
レゲエってサウンドシステムっていうのがあって、壁一面に巨大なスピーカーを積んで大音量で楽しんだりするんですけど、それぐらいのリスニング環境で聞いたときに、その曲の本当の面白さがわかるというか。
重低音と、聞き終わった後に鼓膜がキーンってなるぐらいの音圧・重さで聞いたときに、自分の中で何かを解放できるような、グルーヴって言ったら曖昧ですけど、体が勝手に動いてしまうような、そういうものは感じますね。
ソウルとかシティポップも根っこは黒人音楽だったりするので。
聞こえ方はだいぶ違うにしろ、通じてる部分はあるのかなとは思ってますね。

イワナ:そういういろんな音楽を聞くときって、どういう気持ちになりますか?

池田:そうですね。1人で聞くときとみんなで聞くときで違うのかなと思っていて。レゲエの場合はみんなで聞くんですよ。スピーカーもあってお酒もでて、お客さんもたくさん集まって、そういうお店で聞くことが基本的に多いんですけど。
いい曲やみんなが好きな曲がかかると、手を上げて歓声を上げたり、ライターで火つけたりとか。あとは、興奮して机バンバン叩くとかカオスな雰囲気になったりすることがあるんですけど、そういうときって頭の中で不安事とか悩みとか吹っ飛んじゃうっていうか。
お客さんもいろんな人がいて、仕事も世代も様々で、そういういろんな人たちが一つの音楽で塊になって騒いでる感じがすごく心地がいいなって思うところが、まず一つかなっていうのもありまして。
それとは逆に他のジャンルは1人で聞くことが多いんですけど、部屋の中でお酒とか飲みながら。その場合はいろいろですよね。ぼーっと考え事をしていて、感傷的になって人生振り返ることもありますし、それこそ今日のインタビューじゃないですけど、過去現在未来みたいなことに考えを飛ばしちゃったり、そういうことが多いかもしれないですね。

イワナ:近しい方からは性格についてなんて言われることが多いでしょうか?

池田:そうですね。やっぱり変わってるって言われることはありますね。それでも、顔を出すコミュニティごとにキャラが違ったりするので、よく喋ったりとか自分が何か場を引っ張っていかないといけないっていうことが多いコミュニティの中では、親しみやすいとか喋りやすいとか言ってもらえることはあります。逆に口数少なくて済んじゃうコミュニティもあって、そこら辺の人からは、物静かで「瞑想してる」じゃないですけど、内々に物を考えてるよね、みたいな風に言われることもありますね。
でも、どっちの場合でも、自由な雰囲気は感じてもらってるのかもしれないです。

イワナ:ご自身ではどう思いますか?

池田:どうですかね。どっちかっていうと内向的な方の自分が素に近いのかなって思っていて。おちゃらけようと思ったらガンガンおちゃらけちゃうんですけど、割とエネルギー使うんですよね。
3時間ぐらいみんなで食事して自分が喋って引っ張る、ていうような場になると、もうすごい気疲れするんですよね。
仕事でもお客さん対応するときは、営業としての自分をちゃんと出すっていうところもあって。だいぶ神経を使ってる方だと思いますね。

イワナ:今書かれてる本はどういう感じの本なんですかね?

池田:これは出版社の方からもOKいただいてるので言ってしまうんですけど、明石書店の「エリア・スタディーズシリーズ」っていうものがあるんですね。
20年ぐらい出ているシリーズで、要は世界の各国や各地域について、1冊で何十章とかに分けて徹底的に解説するよっていうシリーズ本で、そのジャマイカ版なんですよ。今決まっている題名は『ジャマイカを知る65章』っていうもので。
僕はそのうち自然環境の章についての章を1章、80年代と90年代のジャマイカの政治に関しての章を1章、最後に日本におけるレゲエの需要とか発展について1章書くんですね。
元々は大学院で研究指導をしてくださった先生がいて、その方が編著をされるんですけど、元指導教員・指導学生っていう縁で執筆手伝わないかって呼んでいただいて、今年の頭から本格的に文献調査や、本文作るためのメモ作りを主に週末を使ってやっていて。
原稿の締め切りが来年の1月末で、そこから修正して、最終的なものに完成させるのが春頃なんですね。
初回の締め切りを終えてから最終的な形にしていく修正期間の間に、ジャマイカに現地調査に行きたいって考えていて、そのためのクラファンをやっているって感じです。

イワナ:現地に行ったらどういうところに注目して、調査をしていきたいですか?

池田:これはもう決まっていて、ジャマイカって例えばレゲエダンサーになりたい人とか、レゲエのDJとして活躍したい人とか、そういう人たちが武者修行に行ってたりするんですよ。その中でコミュニティを作って生活している人がいるので、そういう人たちをまず取材したいなと思ってるんですよ。日本でも知名度のある人たちが滞在してたりもするので、約1週間の間にそういう人たちに当たって、レゲエをやるっていうことを通じて、「日本とジャマイカを行き来しながらどうありたいのか」みたいなことだとか、「ジャマイカのレゲエ・日本のレゲエのシーンについてどう思ってるのか」だとか、そういったことも聞いていきたいなとは思ってますね。
実際にどんな暮らしをしているのかだとか、そういったところは実際に現地に行かないとわからない部分もあるので。

イワナ:本の執筆とかそれに関する活動に対する、今現在の気持ちとか意気込みってどんな感じの熱量ですか?

池田:「これをちゃんと完成させないとこの後の人生ない」ぐらいの。それぐらいの気持ちですね。
65章の中でたった3章、プラス巻頭の地図なども手伝うんですけど、貢献としては微々たるものでも、自分でしか書けないものっていう意味でその先生も声をかけてくださったっていうのもありますし。
書くっていうところを軸に置いて、これから先生きていきたいっていう気持ちもあったりするので。プラスこれまで自分を支えてきた音楽に対して何か報いたいっていう気持ちもやっぱりありますし。
その中で自分の人生全体っていうのを考えたときに一つの区切りというか、第一歩っていうか、そういう思いはあったりしますね。

過去:音楽、レコード、文章を書く。あとは好きなものにまっすぐになる。共通してるところでいくとそんなところなのかなとは思うんですけど、なんというか、何か無理やり繋げていかないと自分の中で納得できない部分があるのかな、ってことは思ったりもしていて。

イワナ:小学生ぐらいの頃ってどういうお子さんでしたか?

池田:自分の興味を持ったものに対してまっすぐだったというか、運良くそういうものが許される環境にあったなとは思ってますね。
小学校一年生の時の担任の先生が印象に残ってる方で、今でも年賀状のやり取りをしてるんですけど。
さすがに記憶も曖昧なんですけど、毎日宿題が配られるじゃないですか。大体の子供は普通に宿題やるだけで提出するんですけど、僕はその裏紙に、自分が好きなキャラクターの絵を書いたり、調べた歴史上の人物とかについてまとめるっていうのをよくやっていて、それがその先生にとってすごい印象的だったらしくて、宿題の採点したついでにコメントしてくれてたんですよ。
その先生は退職されてだいぶ長いんですけど、「30年以上教員やっててああいうことをしたのは太陽くんだけだった」って、手紙や年賀状のやり取りするたびに言ってくださっていて。自分としてもそれが嬉しくて、ほとんど毎日のようにそういうことやってたと思うんですけど、何気ないことではありつつ自分の大きいルーツっていうか、そこはすごく感じますね。
3、4年生でもそういう感じで、あるときから漫画家になりたいって思い立って。小学校5、6年になったときに、自分でプロ用の漫画の原稿用紙と、インクを浸して書くタイプのペンを買って放課後とか書いてたりしたんですよ。とにかくその頃は漫画家になりたくてしょうがなくって、実行には移してないはずなんですけど、書いた原稿を出版社に送って「プロになれますか」って聞こうと思ってます、って誰かに喋った覚えがあるんですよ。
周りの子たちがテレビに出るようなアイドルとかゲームとかに夢中になってる中で、自分だけそういうことをやってたので、変わったやつって言われてましたね。
ただ、だからといって仲間外れにされるとかそういうこともなくって、だいぶ楽しい小学校時代だったんじゃないですかね、全体的に見ると。

イワナ:では、中学・高校ぐらいはどうでしたか?

池田:そうですね。中学校になるとまたちょっと変わって、水泳を始めたんですね。
小学校の頃は全然スポーツはできないやつだったんですけど、あるきっかけで泳ぐのが得意だっていうことに気がついて、本格的に始めてみようかっていうことで水泳部に入って。
そこで漫画家になるっていう夢はほっぽり出したんですよね。毎回試合に出るたびにタイムが縮んでいくのが楽しくてしょうがなくって、まず部活が充実してたっていうのが一つ。
あと、勉強もかなりできたんですよその時期。中学1年生からテストでは学年1位が当たり前になって。高校受験のための模試ってあるじゃないですか。他校の生徒も含めて多分1500人以上受けるやつだったと思うんですけど、そこでも何回も1位とるようになって。他校の子にも名前だけ知られるようになって、ある塾の張り紙に「打倒池田太陽!」って貼ってあったって人づてに聞いたりとか。
部活に加えて勉強もそういう感じだったんで、毎回のテストが試合みたいな感じで、「やってやるぞ!」って雰囲気だったんですよね。プラス生徒会活動もやって、3年生のときは文化祭の実行委員もやっていたので、学校がもう充実しすぎてて、今考えても自分の全盛期だったんじゃないかっていう、それくらいのものだったって気持ちはあるんですよ。
そこでも友達関係は基本的に良好でしたし、今でも地元に帰るときに一緒に飲んだりするのは、その頃の友達が多いです。

イワナ:高校はどんな感じだったんですか。

池田:高校時代はだいぶ迷走していて、まずスポーツの方は、水泳から水球の方に切り替えたんですよ。球技スポーツでは左利きがいると有利っていうとこがあって、自分が左利きだったもんで、ふとしたきっかけで高校の監督に左利きの競泳経験者がいるって知られて。
半ば強制で始めさせられて、球技もチームスポーツもちゃんとやるのは初めてだったんですけど、初心者で始める人が多いスポーツなので、まずはちゃんと立ち泳ぎをする・顔を上げて泳ぎながらボールを運ぶみたいな、基礎的な動きから始めていくんですけど、1年ぐらいでやれることってどんどん増えていくんですよね。
それが楽しくて、比較的強い代ではなかったとはいえ、結構試合にたくさん出られるようになって、県の選抜チームに入れてもらったりもして。
競技だけじゃなくって、その高校って夏に水泳大会っていう全校でやる行事があるんですけど、そこでシンクロをやったんですよね、「ウォーターボーイズ」みたいに。それで大歓声を浴びたり。
部活の方は充実していてすごい楽しかったんですけど、教室での自分の立ち居振る舞い方みたいなものがよくわかんなくなっちゃって。中学が居心地が良すぎて、高校になると勉強ができる子たちがたくさん集まってきて、また雰囲気も違うんですよね。
その中で自分どう振舞ったらいいんだろう、みたいなのが全然わかんなくなっちゃって。
高3のときなんか、毎日1人で教室の中で弁当食べたりもして。表面上はそんなにあからさまに嫌われるとかそういうことはなかったんですけど、積極的にどこかのグループに入っていく気もしなくって。
はたから見るとなんかよくわかんない奴がいるみたいな、そういう感じだったんじゃないんですかね。
悪い思い出もなければ、そんなに印象的な思い出も部活以外にはあんまりないなっていうのが正直な感じでしたね、高校生活っていうのは。

イワナ:では、大学はどうでしょう。

池田:地元は熊本なんですけど、初めて大阪の大学に行って一人暮らしを始めたんですね。大学生になってから一気に人生が動き始めたなっていう気持ちがあって、最初の1年ぐらいは慣れるのが精一杯な感じだったんですけど、2年生になって、ポピュラー音楽について研究をやっている先生の授業を受ける機会があって、大学で特にこれがやりたいんだっていうこともあまりなかったんですけど、その方の授業を受けたときに、「自分の好きなものを学問としてやっていいんだ」っていうのに初めて気づいて。
その方のゼミに積極的に出るようになって、その時期にはもうレゲエをたくさん聞くようになっていたとはいえ、高校時代はあんまり趣味の合う友達もいなくて1人で悶々としてた感じだったのが、その先生がレゲエについてもよくご存知だったので、「卒論でレゲエについて書いてみようか」って思い立って。
その方と連絡を取りつつ、ポピュラー音楽について学問的に書かれた文献をたくさん読むようになって、必然的に読書量も増えていくわけですよね。
で、勉強するのは面白いっていう、中学校のときとはまた違う勉強の楽しさっていうか、むしろ大学の方が「本来的な」勉強みたいなもんだとは思うんですけど、その面白さに目覚めて、卒論書く段階になって「大学院に行こう」って思い立ったんです。
もっとレゲエについて専門的に考えられるところがないかなって考えてたときに、今度は神戸の方に、カリブ海の文化やジャマイカの音楽に詳しい方がおられるっていうのを知って、その先生にメールを送って、「一回面談させてください」と。そこでいろんな話をして、ここで勉強してみようかって自分の中で気持ちも定まってその大学院に行ったんですね。そのメールを送った先生っていうのが、今書いている本の編著をやっている方で。その縁が今まで続いている感じなんですよ。

イワナ:それから大学院を卒業されて、新卒で人材系の会社を選んだのってどうしてだったんですか?

池田:勉強も面白いし研究って性に合ってたので、本当は博士課程まで進んで大学教員を本気で目指そうかなと思ってたんですけど、「ポスドク問題」と言って、博士課程を出た特に文系の研究者って、なかなか正規のポストを得られない現状もあったり。
あとは熊本で大きい地震があって、そこで何もできなかった自分が情けないなって思って、もう夢ばっかりも見ていられないなって思って。
周りの人に何かあったときに、ちゃんと手差し伸べられる人にならないと駄目だな、そのためにはちゃんと自分でお金を稼いで自立しないと駄目だなって思ったのがあります。
就職活動はあんまりいいイメージじゃなかったんですけど、あえて飛び込んでみようかっていう気持ちでやってみて、その中でご縁があったのがその人材会社の方で、幅広い業界を見ながらビジネスを覚えられるっていうことであれば、ひとつやってみようかっていう気持ちになってその会社に入ってみたんですね。

イワナ:で、今に至るっていう感じですね。

池田:その会社に入ったのはいいんですけど、風土があんまり合わなかったっていうか、そこでメンタルを壊してしまって。そこで体調崩して休んだっていうさっきの話になるんですけど、そういうことがありつつの今っていう感じなんですよね。

イワナ:なんか所々に今にも通じるご友人がいたり、レゲエの話があったりとかでちょっとずつ繋がってるなっていう感じがしたんですけど、今までの人生って一言にしたらどんな感じですかね?

池田:一言、なんなんだろうな。全然一言じゃなくなっちゃうんですけど、バラバラにしていたもの、バラバラだったものを無理やり繋げていって何とか形にしていってきた30年というか。そんな感じはあるんですよね。なんなんだろう。
音楽、レコード、文章を書く。あとは好きなものにまっすぐになる。
共通してるところでいくとそんなところなのかなとは思うんですけど、何か無理やり繋げていかないと、自分の中で納得できない部分があるのかな、ていうことは思ったりもしていて。
何となく流されながら生きていく人もいて、それはそれでいい生き方なのかなと思うんですけど、なんなんだろうな。多分、多分なんですけど、「ひとつ自分には実現しなきゃいけないものがある」ってことを何となく思ってるんでしょうね。
自分を外から見てみたときに、「昔こうだったから自分はこうなのかもしれない」みたいな、理由付けをして「次はこっちに向かわないといけないな」っていうのをちゃんと考えないと気持ちが悪いなって思ったりするんですよね。おそらくそれを1回放棄しちゃったのが最初の会社にいたときで。
それをやめちゃったから自分の中でバランスが取れなくなって、仕事も休まないといけなくなったっていうのは、もしかしたらあるのかなって思う。
「道を自分で作っていくっていう実感」がないと、自分の人生を責任持って生きていけないのかなっていうのは、このインタビューの時間で整理してみて思ったとこはありますね。

未来:人間の営みのあり方の根っことか、資本主義にとってみればどうでもいいことっていうか、そういうものにシンパシーを感じて追い求めたいっていう気持ちがすごく強いので、それを追求しながら、自分にしか見えない景色とか聞こえない音を形にしていくっていう、そういう方向に人生進めていくんだろうなって感じていますね。

イワナ:ご自身の10年後とか、あるいは死ぬときぐらいまで一気に想像してもらったらどんなイメージを持たれてますかね?

池田:そうですね、今まで積み上げてきたものは変わらず、割とあんまり10年後も20年後も「自分が年を取った」っていう実感を持たずに生きていくのかな、って思っていて。
大学時代に日本と韓国の学生交流団体に携わっていたことがあるんですけど、そこの後輩たちと食事に行く機会が今年になってからあって。その子たち、10個ぐらい歳でいうと離れてるんですけど、本当はあんまりよくないことなのかもしれないんですけど、大人としてちゃんと距離感を持てないというか、自制しておかないと友達感覚で接しちゃうっていうところがあって。
それだとやっぱりまずいのでわざと敬語を使ったりとか、そういうことは気をつけてるんですけど、多分なんかそれって、「自分があんまり年を取った実感がないからだな」っていうふうに思ってて。基本的に人生に対して思ってることもあんまり変わってないなっていうのは思っていて。
それこそさっき言った、自分で独立して何かを成し遂げるのが自分の人生なんだ、みたいなのを子供の頃から思っていたりするので、それを追い求めていく人生になるのかなっていうのは思っていて。
何かビジネスをやってお金を集めるっていうよりは、それこそ「カルチャー」ですよね。
人間のその営みのあり方の根っことか、資本主義にとってみればどうでもいいことっていうか、そういうものにシンパシーを感じて何か追い求めたいっていう気持ちがすごく強いので、それを追求しながら、自分にしか見えない景色とか聞こえない音を形にしていくっていう、そういう方向に人生進めていくんだろうなっていうのを感じていますね。

イワナ:結構過去の話とかでもそういう日韓の交流の団体に所属されてたりされていて、そういう場所に参加することとかも、何かを見つけたいという思いがあって参加されているんですか?

池田:それはあると思いますね。それも小学生の頃から、夏休みとかに他の小学校からも子供が集まるようなサマーキャンプに、すごい積極的に行きたがってたなっていうのを今思い出して。
コミュニティをたくさん持ってないと、なかなか落ち着けない性格なのかなっていうのは思いますね。
基本的に、所属するコミュニティが一つだけだった時期はなかったですね。

イワナ:それってどうしてなんですかね?

池田:それ、そこなんですよね、なんでなんだろうな。

イワナ:中学のときとか高校のときって部活っていうコミュニティがあったと思うんですけど、そのときは1本で大丈夫だったんですか?

池田:いや、中学のときもそういうことはなくって。中学校は全盛期の自分だから行けたことだと思うんですけど、2年生のときに夏に県内の各中学から代表が1人選ばれて、九州の他県の中学生たちと交流するっていうプログラムに送っていただいたことがあって。そこでのコミュニティで連絡を取り合ったりとかもやってましたし、あとは生徒会活動もですよね。
括りっていうところでいくと中学校のときもありましたね、塾とかもそうですよね。

イワナ:それってやっぱり普通にプライベートの友達といるっていうのとまた違ってそこに行く意味があるってことですよね。

池田:そうですよね。何か魅力を感じると飛び込みたくなるみたいなところがあるというか。レゲエについてもそうですけど、特に大阪にいた時代なんかは1人で常連だらけの店に飛び込んで、そこに何度も通って友達作って。それは東京来てからもそうですけどね。

イワナ:新しいコミュニティを見つけて飛び込もうって思うときって、例えばそのコミュニティに何か爪痕を残したるぞ!みたいな感覚なのか、何かこれを得るために!みたいな感覚なのかって言ったら、どうでしょう?

池田:あんまりそういう目的みたいなこともなくって。なんか楽しそうだなとか勉強になりそうだなとか、本当に何となくで行っちゃってますね。
飛び込むときはあんまり何も考えないんですよね。飛び込んでから頭巡らして考えたりとか、そういうことが多い気がしますね。

イワナ:まずはもう動いちゃうって感じですか。

池田:そうなんですよ。でも結局それが何でなのかっていうのはわかんないんですよね。
あーでも1個考えたときに、小学校何年生のときか忘れたんですけど、あんまり友達とうまくいってない時期があって、学校行くの楽しくないなと思ってたんですよ。
その時期ぐらいからなのかな。逃げ道を他に求めなきゃみたいなのが、それだけではないですけどあったのかな、っていうのはふっと思ったりもしますけどね。そこで飛び込んだ場所がすごく楽しくって、「あ、今うまくいかなくても違うところに行けば何か変わるかもしれない」ってのをそこで学んだんじゃないですかね。

イワナ:原体験かもしれないですね。

池田:そうですね、タイミングって言えばタイミングなのかもしれないんですけど、その時期ぐらいはわかれ道だったかもしれないですね、確かに。

イワナ:今までに触れてきたものを集めて何か成し遂げやなあかんと思ってるっておっしゃってたんですけど、その成し遂げるものって今のところ何か欠片は掴めてますか?

池田:その一つが本だと思ってますね。大学院の修士論文って、学部の卒業論文からすると分量や質も一気に上げて書かないといけないものなんですけど、大体それが字数にして8万字ぐらいになったんですよ。ページにして100ページとか。それを作ったときの達成感ってすごくて。
それを完成させたときに、たかだか大学の学位を取るためのものだったとはいえ、何かこれから先の自分の人生の指針になるのかもなって、そういう気持ちがすごくあって。
「もしかしたら進んでいくのはそっちの方なのかもしれない」ってのを何となく思い出したのはそれなんですよね。加えて、興味があってやってみたいことっていうのは山ほどあるんですよね。本はそうですし、DJにも興味ありますし、あとは学術的なものだけじゃなくて小説みたいな文章を書きたいなって気持ちもありますし、趣味的なとこで言ったら楽器を覚えたいなとか、料理ももうちょっとできるようになりたいなとか。
すごく何か、自分が未完成だっていう気持ちが強いからかもしれないんですけど、これから覚えたいな、やってみたいなっていうものは山ほどあって、やっていくうちにまたそれが、それこそ欠片になっていくのかもしれないし、ならないかもしれないし。
それが10年後20年後ぐらいに、どんな形になってるのかなってことは楽しみには思ってますね。

イワナ:もしも新卒の就活のときに、自分の興味とかに振り切って決めてたらどういう進路を辿っていたと思いますか?

池田:二つあって、一つは就職活動を一切やめて、博士課程に進んで学問の道を究めるっていう道ですよね。もう一つは、企業に就職するっていうことを選ぶのであれば、その時点での自分の興味関心っていうのを大事にして、規模が大きくなくてもいいので、カルチャー系のメディアに携われる仕事とかを選んでたのかなっていうのは思いますね。

イワナ:今からもしかしたらそっちに行くことになるのかもしれないなって可能性はありますか?

池田:大学に戻りたいっていう気持ちは何となくは。日本ではなく海外の大学に、チャンスとお金があれば行きたいなっていう気持ちは今でも持ってますね。
仕事で何かを書くっていうところは、結構現実的に考えていいのかなって今は思っていて。それこそ、今やってる本のプロジェクトを踏み台にして、これから先、道を広げていくこともできるのかなとは思ってますね。

イワナ:今の執筆作業が終わって、本に対するやらなきゃいけないことが終わったら、次って何される予定でしょうか?

池田:そうですね。予定っていうか希望なんですけど、今度は単著を出したいなっていう。今やってる方は共著なので、十何人とかで章を振り分けて書いてるんですけど、今度は、自分1人で1冊書いてみたいなっていう、それは思ってますね。社会人になったときも、目標として30代が終わるまでに本を出すっていうのを立てたんですよね。体を壊してもうそれどころじゃなくなって、その目標は半ば捨ててたんですけど、それが今回の話になって、現実味のある目標としてまた考えてもいいのかなっていうふうには思ってて。
ちゃんと自分で企画も立てて、書いた修士論文の内容をアップデートして、新書ぐらいのサイズ感でもいいので、何か一つ出せたらいいなっていう。
そのために何ができるかなっていうのを今考えてますね。

イワナ:すごいわくわくしますね。ありがとうございます。
インタビューとしては以上になるんですけど、何か最後に読者の方向けとか、自分に対する独り言とかあればお願いします。

池田:「読んでる方に対して」っていうのと「自分に対して」って一つずつ挙げるとすると。
読んでくださる方に対しては、自分のチャレンジの内容について知ってほしいっていうのと、どれだけこのインタビューで伝えきれたかどうかわかんないんですけど、知り合って日が浅い方・もしくは完全に面識のない方からもご支援いただけているので、自分の人生とその思いっていうのを知ってほしいなっていうのと、プロジェクトに対しての理解の助けになってくれれば嬉しいですっていうところ。自分のnoteの方にもプロジェクトについての文書をあげてるので、ぜひ読んでいただいて、周りの人にもよければ広めて欲しいなっていう気持ちがあります。
文字通り人生かけてるチャレンジなので、その気持ちをぜひ買っていただけたら嬉しいなっていうふうに思います。
自分に対しては、思っていた以上に、今日初めて言語化できたなって気持ちもあったりして。以前から無名人インタビューを読ませていただいて、過去現在未来って、そういう整理の仕方が面白いなって思ってたんですけど。振り返って言語化して…みたいなのは普段からやってるつもりだったんですけど、人と喋って考えを整理するっていうのはあんまりやってこなかったので、そこが自分の中でも新しい体験だったし、それこそ自分の今取り組んでることに対して、何か新しい見え方が増えたなっていうのがあったりもして。
すごく有意義だったなって思ってます。

あとがき

池田太陽さん、ありがとうざいました!

今までのカケラを集めた何かを人生で成し遂げたいっていう生き方、すごく共感しました。
いろんなタイプの人がいますが、私も同じ雰囲気を夢見ている状態です。
今この瞬間も私の時間は流れているので、確実に何かを積み上げてはいると思うんですが、最終的に何になるのか?は今のところ雲ぐらいふわふわとしていて、
なのでカケラに手が届いている池田さんのような方にとても憧れます。
世の中もの・ことで溢れすぎていて、人生のパートナー同様、自分の生きがいといえるまでのものに出会えない人もたくさんいると思います。
無名人インタビューで出会っている方たちは、現在から見るとではありますが、今・この瞬間に打ち込める何かを見つけた方が多くて、そんな人たちってキッラキラしてますよね~。

ところで、インタビューの後に実はビートルズのおすすめの曲を教えていただきました。
わたしは『I Want To Hold Your Hand』が一番好きなんですが、池田さんに教えていただいた2曲もめっちゃよくて度々聴いています。
そのうちの一曲は先日まで読んでいた伊坂幸太郎の『チルドレン』の話になんと出てきて、わー、繋がったー!って感じです。
カルチャーって巡り巡るんですね。楽しいです。

今日も読んでいただきありがとうございました✿

【インタビュー・編集・あとがき:イワナ】


#無名人インタビュー #インタビュー #レゲエ #ジャマイカ

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