わたしの傘

道をよく尋ねられる。他に何人も歩いていても、両耳にイヤホンをしていてすら声をかけられるから、ものすごく道に詳しそうな振る舞いをしているのか、あるいは見るからに「なんか聞きやすそう」という顔をしているのかもしれない。自分自身がとにかく人見知りで、面識のない方にうまくものを尋ねられずに立ち往生しがちな人間なので、あ、あの人なんか聞きやすそう、と思える人がいるのは良いことだと思う。なんならすこしうらやましい。



かなり前の話だが、連日23時過ぎくらいまでは仕事をして、駅まで走ってどうにか終電で帰るみたいな日が続いていた。終電が早めなのが逆に救いだった。
その時期わたしが住んでいたマンションはやたらと坂の多い街にあって、自宅から最寄り駅までをつなぐ道は、あとから知ったのだけれども都内でも有数の急勾配だったそうだ。そうだなあ、例えるなら、品川駅からステラボールに行くときくらいの坂道。建物の階が変わるくらい、しかも1階から3階とか、そういうくらいの坂。山あいの旅館とかでよく1階じゃない階にエントランスがある、あれみたいな感じ。距離にすれば歩いて5分程度、それが坂のせいでもう少し長くかかるくらい。しかもわたしが好んでヒールのある靴ばかり履いていたせいで、さらに時間がかかった。
タスクの多さ、業務負荷の偏り、待遇の悪さ、職場で受ける理不尽な色々、まあたいていの人が抱えているような不満をそのときのわたしもしっかり抱えていて、この世の誰よりもつらいめに遭っている気がしていたし、自分のこの苦しみを誰もわかりはしないと思っていた。毎日疲れ切ってそういう気分で帰宅する自分にとって、帰り道が下り坂なのがせめてもの救いだった。上り坂だったら帰れてなかったかもな、とけっこう本気で思う。

その日、すでに0時近くか、あるいは過ぎていたくらいの時間、最寄り駅から外へ出ると大雨が降っていた。地下鉄だから降り出していたのがわからなかったのだ。会社を出たときはまったく雨の気配はなかった。わたしは傘を持っていなかった。それでもうほんとうに色々と嫌になってしまって、どうせ5分、ずぶ濡れになるにしたって自宅に辿り着いてしまえばなんでもいいと、そのまま雨の中を歩いて坂を下った。走って下るのにはかなり不安な急坂だったし、いつものようにかかとの高い靴を履いていたし、そもそもいくらか走ったところで濡れ方に変わりはないくらいのひどい雨だった。コンクリートが雨でつやつやしていて、街灯も多くない住宅街なのに、いつもよりぼんやり明るい気がした。

わたしは高校生のころ自転車通学をしていたのだが、登校途中ににわか雨が降ってきて、しかもそのせいで滑って転倒し、転倒した場所が運悪く舗装されておらず、ずぶ濡れかつ制服が泥だらけかつ膝から血を流しながら学校に向かったことがある。今でもわりと思い出すので、恐らく坂道を下りていた際もそのときのことを思い出したりしていたんじゃないだろうか。

そのとき、前方から坂をのぼってくる人影がみえた。失礼な話だけれど、人通りのない夜道ではどうしても多少警戒してしまう。しかもこちらは濡れねずみ。なにも見えていないふりをしてすれ違おうと思った。そうしてすれ違って数秒後に背後からすいません、と声をかけられて、これ使ってください、とさしていた傘をこちらに差し出された。
やや強引に傘を渡してきたその人は、わたしがまともにお礼を言う間もなく坂を駆け上がっていった。わたしの降りた駅から終電に乗るつもりだったのかもしれない。だとしたら彼もまだまだ傘が必要なはずだった。

あと5分もすれば家なんですととっさに言えなかった申し訳なさと、思いもよらぬところからもらった親切への驚きとありがたさをどうすればいいのかわからず、いつもよりもゆっくり時間をかけて坂道を下った。とっくに全身ずぶ濡れだったけれども、顔に直撃してくる雨が避けられるだけで、歩きやすさはまるで違った。
もう10年以上昔のことで、その人の顔も背格好もなにも覚えていない。でも、その出来事は何回でも思い出す。

わたしが趣味で小説みたいなものを書くとき、こういう経験が原動力になっているように思う。
ほんのちょっとしたことでほんとうに心が救われることがある。人生が変わる。生きようと思える。
なにかの作品を見たり読んだりしていてもそういう場面に心を打たれるし、自分もそういうものを進んで書きたいと思う。
その後何年も経って、まあまあそれなりに長く生きていると、同じように思いもよらない親切に助けられる機会というのも何度かあった。
旅先で雨に降られたとき、トラックに乗せてくれたおじいちゃん。
店でごはんを食べていたらゲリラ豪雨になって、わたしが何も言わないうちに傘を貸してくださった店員さん。
親切な人の記憶は雨が多い。誰も彼も顔は忘れてしまったし、きっと二度と会うこともないけど、みんな幸せに暮らしていてほしいと思う。



道をよく尋ねられる。残念ながらわたしは方向音痴だし、ふだんからいろんな道や建物の位置関係を把握しないままなんとなくで移動している。グーグルマップを見ながらですら、しばらく歩いてみないと向いている方向が合っているのかわからない。それに日本語以外の言語もからきしだ。わたしに道を聞いてくれた大勢の方々には、はずれを引かせてしまって申し訳ないと思う。
それでも、尋ねられたときは必ず立ち止まって話を聞くようにしている。旅先で道を聞かれることもわりとある。大きめの荷物を持っているし、その土地の人間じゃないことは分かりそうなものなんだけど。そういうときはせめて行き方を調べるのに付き合うようにしている。旅の思い出はなるべく良いものであってほしい。

海外からきたという壮年の男性に駅で声をかけられたとき、まるで説明ができず、彼が乗るべき路線の乗り場までつれて行った。コロナウイルスが猛威をふるっていた時期で、医療系のなにかの仕事でここに行きたいのだと言っていた気がするけど、聞き間違いの可能性もかなりある。言葉がわからなくて、路線図を何度も指さして、とにかくここでトレインをチェンジしなさいよ、と伝えた。去り際に、あなたはとても親切、というようなことを言ってくれたのは、さすがにちゃんと聞き取れたと思う。テイクケア、くらいはどうにかわたしでも言えた。わたしが親切なのではない。わたしがあなたを案内したのは、あのとき傘をくれた人がいたからだ。


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