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episode4. 被害相談窓口につながる


(※ 学校名称や人物は仮名で、役職は当時のものです。)

ハルに付き添われて相談センターに入ると、相談員の木谷さんが「どうぞ座ってください。」と温かく迎え入れてくれた。ずっと誰にも話せなかった事件の詳細をつい先ほどハルに打ち明けたばかりで、まだ心が落ち着かない。木谷さんの「何があったの?」という穏やかな声に背中を押され「実は、先ほど友人に相談したばかりのことなんですが…」と緊張しながら、ハルに見せた資料をそのまま木谷さんに差し出した。

木谷さんは静かに受け取り、その資料に目を通す。途中で顔を上げ「被害から一年ほど経っているけど、ずっと一人で我慢していたの?」と私に尋ねた。「はい。でも、私がついて行ってしまって…。それで、そういう目に遭ってしまったので誰にも言えませんでした。」と答えながらも、乱暴されそうになった詳細を打ち明ける惨めさに声が震え、涙が止まらない。

うつ向いたままの私に「あなたは悪くない。」と木谷さんが言った。

…え? 私は顔を上げ、木谷さんを見た。すると、もう一度、私の目をまっすぐに見据え
「あなたは悪くない。」と静かに、力強く言ってくれた。その時、ずっと胸の奥に抑え込んできた何かが堰を切ったようにあふれ出し、あの夜から初めて声を上げて泣いた。

「今回のことは、職場での上下関係を利用していて、立場が対等じゃない。それに管理職としての自覚がないことも問題です。もし、あなたがこの教頭に好意をもったとして、あなたから食事に行きましょうと誘ったとしても、管理職であれば『2人きりでは行かないよ』と断るべきだし、あなたがアパートに行きたいと言ったとしても絶対に連れて行ってはいけないのだから。」

この時の木谷さんの言葉は「こうなったのは自分のせいだ」と、ずっと自分自身を責め続けていた私の心を救ってくれた。

それから私は、契約の年間700時間の授業時数をすべて終了したこと、明日の午前中には教室を片付けるために学校へ行こうと思っていること、その時にこの資料をA教頭と校長先生に提出して、自分が辞める理由はこの事件が原因だと報告しようと思っている旨を伝えた。

すると木谷さんは「A教頭ではなく校長先生一人に話しましょう。そして話す時にはきちんとこのことを延岡市教委と宮崎県教委まで報告してもらうこと、A教頭とは直接話をしないことを伝えましょう。」とアドバイスをくれた。頭が真っ白になって伝え忘れたらいけないと、私は手帳を取り出し「もう一度言ってください。」とメモを取った。

「何かあったら動画でも音声でも何でもいいから残しておいてくださいね。そして、すぐに連絡してください。夜遅くても朝早くても、いつでも。時間は気にしなくていいから。」
そう言って木谷さんの携帯電話の番号を私にそっと渡してくれた。

ハルと木谷さんに話せたことで気持ちが高ぶっていたのか、その夜は少しも眠れなかった。明日になったら、今までずっと言えなかったことを校長先生に報告するんだと自分に言い聞かせた。

2017年3月21日。
午前10時頃に学校へ到着した。一度教室に荷物を置いて、資料を手に校長室へ向かった。ここまで来たら、あとは話すだけだ。自分自身を落ち着かせようと深く息を吸い、不安な気持ちと一緒に吐き出す。校長室の戸をノックする手も、校長先生へ呼びかける声も震えていたが、被害を報告する覚悟は決まっていた。ノックをすると、校長先生がいつものように「どうぞ」と答え、校長室に入る。

机で書類に目を通していた校長先生に
「私が来年度の非常勤講師を辞退した本当の理由はこれです。」と資料を差し出した。
それに目を通した校長先生は驚き「嘘でしょう…。」と、うなだれたように頭を抱えた。
私はその場で、木谷さんのくれたアドバイスのメモを見ながら、このことを市教委と県教委まで報告してほしいこと、A教頭とは直接話をしないことを伝えた。

途中で、何も知らないA教頭が校長室に入ってきた。「子どもたちから先生に手紙預かったよ。」そう言って、私に子どもたちからの手紙を渡し、すぐに退室した。

校長先生はその場で受話器を取って延岡市教育委員会に電話をかけたが、学校教育課のD課長が離席しており「また後でかけ直します。」と言って、すぐに切った。私は教室の片付けに戻ると伝え、校長室を後にした。ずっと心臓がどきどきしたままだったが、今まで押し殺してきた、鬱屈した気持ちから解放されるかもしれないという期待のようなものを感じ、後悔はしていなかった。

10分程して、校長先生が小走りで教室にやって来た。「事実確認のためにA教頭と3人で話せませんか。」と尋ねたが、私は「3人でも、直接A教頭とは話しません。」と断った。

それから1時間くらい教材や掲示物を整理したり、ごみを出したりと教室を片付けていた。

本当に私はここからいなくなるのかな。

まだ信じられない気持ちのまま机の上のプリントや教材を整理していると、教室のガラス戸をノックする音が聞こえた。「はい。」と返事をすると、ガラガラッと戸を開ける音がした。子どもかと思い視線を向けると、立っていたのはA教頭で「Aです。謝りたくて来ました。すみませんでした。」と言い、頭を下げた。

校長先生にもA教頭とは直接話さないと伝えていたのに、まさか1人で来るなんて!

一気に心臓が飛び出そうにどきどきし始めたが、とっさに木谷さんの「何かあったら動画でも音声でも何でもいいから残しておいてくださいね。」という言葉を思い出した。「直接お話しすることはないので。」と下を向いたまま答え、動揺しながら携帯の動画ボタンを押す。一時沈黙が流れた後、ガラス戸が閉まる音が聞こえた。

渡り廊下を歩き去っていくA教頭の後ろ姿を確認すると、すぐに木谷さんに電話を掛けた。頭が真っ白で、声が震えて言葉にならない私の様子に「大丈夫ですか?今からこちらへ来ますか?来れそう?大丈夫?」と電話の向こうから心配する木谷さんの声が聞こえた。「今から行ってもいいですか。」それだけ伝えると、急いで荷物をまとめ、そのまま相談センターへと向かった。不安でどきどきしながらも、助けを求めて駆け込める場所を得たことを心強く感じていた。

早速相談センターを訪ね、学校で起こったことを話した。木谷さんは少し考えて、私の生活状況を整理する。私が一人で生活していて、管理職のA教頭が住所を調べられること、A教頭も単身赴任中なこと、直接話さないと伝えていても突然現れたことから「念のため、警察署の生活安全課に相談したほうがいいかもしれません。」と提案し、直接警察署に連絡をして、警察相談の必要性の有無を含め確認してくれた。警察署も「そのまま警察署に来てください。こちらでも話を聞きます。」とすぐに引き受けてくれた。

相談センターにいる間、延岡市教委のB課長補佐から連絡が入った。「今日、校長先生から報告があり、去年の3月にA教頭先生から食事に誘われ、海野さんがついて行ったということで間違いないか。市教委としても事実確認のため話を聞きたいので、明日都合がつかないか。」との連絡だった。時間を調整し「午前10時30分に伺います。」と言って電話を切った。電話口の対応は丁寧で優しい口調だったが「ついて行った」という言葉が耳から離れない。自分自身をずっと責め続けていた「ついて行った」ことが、電話を切った後も胸に重くのしかかっていた。

警察への連絡と同時に、木谷さんは私が削除したA教頭からのメッセージを一通でも復元できないか、知り合いに当たってくれていた。「警察署が終わったらそのまま、ここに持って行ってみてください。先方もやるだけやってみます、と言ってくれていますから。」そう言って一枚の名刺を渡し、警察署へ向かう私を見送ってくれた。私は相談センターを後にして一人で警察署へと向かった。

警察署では1年前の事件の相談ではなく押しかけ不安の相談で受理してもらった。
なるだけおおごとにしたくなかった。

ハル、木谷さん、校長先生に見せた資料をそのまま相談受付担当の職員に渡し、その資料を見ながら時系列とともに起こったことを話した。
対応してくれた職員は、私の心情に細やかに配慮しつつ丁寧に話を聞いてくれた。

「日時は約束できませんが、自宅近くにパトロールを増やすよう連絡しておきます。」
「今後は決して直接会わず、弁護士や第三者を交えて話してください。」
「何か気になることがあったり、押しかけてくることがあったりしたら迷わずに110番通報してください。携帯の電話帳の一番上に警察署の番号が出てくるように『あ』と入れて、警察署の番号を入れておきましょう。」
「相手からの着信は拒否設定にしておいてください。」とアドバイスをくれた。

そして「被害届を出すことは本当に考えていないのですか。」と何度も確認された。

一年前の事案は強制わいせつ(*2017年当時)行為に該当すること、私が小さな擦り傷など、少しでもケガをしていなかったかどうか、強姦未遂も親告罪から非親告罪に法改正されたという説明等、私の今後の選択肢を分かりやすく提示してくれた。

もし時間を戻せるなら、この時に戻って、私は迷わずに被害届を出す。私が被害届を出し、すぐに警察の助けを借りてさえいれば、その後のA教頭や教育委員会とのやり取りがこんなにも私を傷つけ、こじれ、長引くことはなかったと思う。

ただこの時は、乱暴されそうになったのは自分のせいだという思いと、受けた行為をとても恥ずかしく感じる気持ちが勝ってしまった。「ついて行った」自分を責め、性被害に遭ったことを誰にも知られたくなかった。 もしもこの事が公になったら、家族、学校の子どもたちや先生方を混乱させ、傷つけてしまうと思い、そうなることが怖かった。私は事の重大さを考えることもできず、なるだけ人に気づかれないよう終わらせたかった。
 

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