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『プロ倫』を知っておきたい! #262

資本主義の構造を論じる代表作がマルクスの『資本論』ならば、資本主義の成り立ちを紐解くのがマックスウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、通称『プロ倫』です。

いつか読んでみたいと思いつつも読んでいなかったのですが、デザインの授業で「資本主義や宗教に興味があるなら、プロ倫を読んでみるといいかも」とアドバイスをもらいました。そこで、まずは解説本を読んでみることにしました。この記事では以下の2冊をもとに、『プロ倫』の概要をまとめてみます。

問題設定:禁欲と成功のパラドックス

『プロ倫』は「なぜ16世紀頃のドイツではプロテスタントが多い地域と経済的に豊かな地域に相関があるのか?」という疑問から始まります。「禁欲的に生きなさい」と教えられるはずのプロテスタントが「お金を儲けたいという欲望を肯定する」資本主義で成功しているというパラドックスを明らかにしようとするという壮大な試みです。

資本主義を支えるような精神態度の起源は、そうした利益追求の動機とは別のところに求められるのではないか、むしろ直接に利潤を目的としない精神、利潤追求そのものを拒絶するような精神態度に由来するのではないか、これが「資本主義の精神」をめぐるウェーバーの問題設定だったのです。

新書で名著をモノにする 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 40ページ

ただし、『プロ倫』は「プロテスタントが資本主義の誕生に欠かせなかった」という直接的な因果関係を唱えているのではなく、プロテスタントの教えが資本主義の発展に寄与した部分もあるという親和関係を示しているという点に注意が必要です。


ルターの天職とカルヴァンの二重予定説

『プロ倫』では詳細にプロテスタントと資本主義の関係を分析しているのですが全てを紹介すると煩雑になってしまうので、この記事ではプロテスタントの教えが資本主義の精神にも引き継がれた代表例としてルターの天職の概念とカルヴァンの二重予定説に触れることにします。

さて、資本主義の発展における大きな障壁は、「必要以上にお金を稼いでも意味がない」という伝統社会における常識でした。もちろん「お金を稼ぎたい」という欲は資本主義以前からあったものの、それが近代資本主義へとつながるまでの原動力にはなっていませんでした。ウェーバーはこの点に注目しました。

伝統主義を克服するのは、大変である。「どうしたら楽して稼げるのか」などと人々が考えているうちは、生産性は上昇しない。そうではなくて、多くの人が、とにかく自分の仕事に専念することができなければならない。ウェーバーによれば、そのような変化は教育のたまものだという。

解読 ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 97ページ

つまり、資本主義社会は産業革命等で生産性が上がれば自然に実現するものではなく、人々が「生活に必要以上のお金を稼ぐために働きたい」と思うようになる必要があり、その変化をプロテスタントの教えが担ったのではないかということです。

天職

「自分の仕事に専念すること」を促す一つ目の要因は、ルターが唱えた天職の概念です。天職とは、あなたの仕事は神が与えた使命であるという考え方です。これにより、仕事がある種の宗教的な行為とみなされるようになり、一生懸命に働くことが「正しい」という考え方が広がりました。

つまり「使命としての職業」という観念はルターにはじまる宗教改革とそこで行われた聖書の各国語への翻訳の過程で形成され定着していったのであり、その意味において宗教改革の精神の所産であるとウェーバーはいうのです。

新書で名著をモノにする 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 56ページ

カルヴァンの二重予定説

「自分の仕事に専念すること」を促すもう一つの要因は、カルヴァンの二重予定説です。これは「神はあなたが天国と地獄のどちらに行くのかをすでに決めている。そして、天国に行くような人は天職に打ち込んでいるはず」というものです。こうして、「神は自分が天国に行く人に選んだはずだ」と自分自身に言い聞かせるために真面目に仕事をするという考え方が広がりました。

まず第一に信ずることは義務であること、疑いをもつことそのものが悪魔による誘惑であるからこれを退けること。確信の不足は信仰の不足、恩寵の働きの不足だというのです。第二にそうした迷いを打ち消して自己確信をつくり出すための方法として、不断の労働、職業労働が勧められたのでした。

新書で名著をモノにする 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 67ページ

このように、ルターの天職とカルヴァンの二重予定説のおかげで仕事をすることが「正しい」という常識が生まれ、その常識がそのまま資本主義にも引き継がれていったと言うのです。こうして「真面目に働くことは正しい=稼いだお金は働いたことの証=お金をできるだけ増やすことが正義」という図式が生まれました。ここまでの話は以下のようにまとめられます。

禁欲的プロテスタンティズムが生み出した「資本主義の精神」は、営利活動を「天職」とすると同時に、職務に忠実で勤勉な労働者を起業家が搾取することを「合法化」することによって近代資本主義の前提条件をつくりだしたのでした。

新書で名著をモノにする 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 80ページ

ちなみに、仕事をすることが「正しい」ということは、仕事をしないこと(できないこと)は「悪い」という考えにもつながります。結果的に「儲けていない人=仕事をしていない人=悪い人」という図式が生まれることにもなったようです。お金持ちが尊敬されて貧困者が蔑まれるというのもプロテスタントや資本主義の仕組みから説明ができそうです。

プロテスタントにとって、貧困者に対する慈善は怠惰と堕落を助長するものとして厳しく批判される一方で、勤勉な労働者はまさに禁欲の鑑として賛美されることになります。

新書で名著をモノにする 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 79ページ


鉄の檻とニーチェの超人

プロテスタントが資本主義の発展に貢献したとしても、今ではプロテスタンティズムの倫理を意識して働いている人は少ないでしょう。自分が信じている宗教にかかわらず、資本主義社会の中で生きているはずです。

つまり、プロテスタンティズムの倫理や資本主義の精神は、「資本主義」というシステムとして受け継がれており、現代人はこのシステムから逃れることはできません。このことをウェーバーは「鉄の檻」という言葉で表現しました。

そこでウェーバーが引用するのがニーチェの唱えた「超人」の概念。資本主義の精神がキリスト教由来なのであればルサンチマンを引きずっているとか、資本主義は形骸化していて倫理なき社会だけが残っているといった「鉄の檻」から抜け出せるのは超人のような存在かもしれないと締めくくられます。

『精神なき専門人、心情なき享楽人。この無に等しい者たちは、自分たちこそ人類がいまだかつて到達したことのない段階に到達したのだと自惚れることになるだろう』と。

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』


日本と資本主義

『プロ倫』は、16世紀から19世紀までのヨーロッパやアメリカの歴史をもとに、プロテスタントから資本主義へと支配的な概念が変遷していった理由を紐解くという壮大な内容でした。自分の知っている知識を総動員してもまだわからないこと(特に世界史関連)があるので、また知識が増えてから読み直したいと思います。

個人的には、ウェーバーの理論を日本に当てはめるとどうなるのかが気になりました。日本はプロテスタントではなくて仏教、朱子学、神道などが広まっていた中で明治維新以降に資本主義を欧米から輸入したため、プロテスタントから資本主義へという流れに当てはまらない珍しい国です。

ということは、プロテスタント由来の倫理からではなくて資本主義システムという鉄の檻だけを採用したとも言えそうです。ならば、ニーチェの言うように超人を目指すことがより必要なのかもしれません。


まとめ

ルターの天職とカルヴァンの二重予定説によって一生懸命働いてお金を稼ぐことが模範的とみなされることが資本主義の発展につながったこと、今では一生懸命働くことを前提とした社会になっていることなどが分かりました。

資本主義という鉄の檻の中でどう生きていけばいいのかは答えがないという状況が『プロ倫』が発表されてから今も続いているというのも、なかなか示唆に富む話でした。

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