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となりのお客さん

今日は休日。親子連れや、カップル、学生が遊びに出かけて、みんなが楽しい時間を過ごす日。そんな中、タッピーは今日も目的地まで、みんなの移動をお手伝い。

あるバス停で、お母さんと2~3歳の子どもが待っていた。お母さんは左手て子供を抱っこし、右手には折りたたまれたベビーカーを掴んでいる。つまり両手が塞がっているのだ。実際、車内は混んでいたので、ベビーカーが乗るスペースはなかった。ベビーカーに子供を乗せても、結局じっと座っているのが出来ないので、ベビーカーをあらかじめ畳んでからバスに乗車する人は多い。

「おまたせしましたー。」タッピーがバスのドアを開ける。お母さんが乗車しようとした時に、後ろにならんでいた40代ぐらいの女性が、ひと声かけた。「これもっててあげるから。」そう言ってベビーカーを持ち上げてバスに乗せるのを手伝ってあげていた。お母さんは「あ!すいませーん。ありがとうございまーす。」と会釈。

発車して、しばらくすると、あのお母さんと、手伝ってあげた女性の話し声が聞こえた。あまりよく聞こえないけど、たぶん子育てについて話をしている。まるで親子だなと思った。


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時はさかのぼり、昭和40年頃までは路線バスには車掌が乗っているのが普通だった。当時は運賃の収受は車掌さんの仕事。ドアの開閉も自動ではなかったので、車掌が手で開け閉めする。バスの誘導や乗客の乗り降りの補助も行っていた。車掌さんの「発車オーライ」の一言でバスは発車していた時代。

◆◇◆◇

終点まであと少しの所までくると、あの子どもがぐずりはじめた。大きな声で泣いていると、手伝ってあげた女性が「あと少しだよ。あの信号をすぎたらつくからね。」と子供に話しかけている。終点に到着すると、降りる時も「これ、持ってくよ。」なんて言ってベビーカーを持って降りる。「あ、すいません。ありがとうございます。」と言いながらお母さんも笑顔で降りる。

経営の合理化で、今では路線バスに車掌さんの姿はない。運賃の収受やドアの開閉も電動化されたからだ。いわゆる「ワンマン」化されたのだ。もう今は車掌さんはいないけれど、お客さん同士で助けあうことで、気持ちのいい車内にすることは出来ると思う。運転士はお客さんを目的地まで安全に届けるのが一番重要な仕事。手伝いをしたくても手伝えないこともある。そういう時に、周りの人が気遣い、一時的に親子のような関係で助けあう。昭和の車掌さんがいた時代にあった温かい雰囲気が令和の時代にも残されていることに気付いた瞬間だった。

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