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晩夏を知らせるコンサート

子どもの頃、夏の終わりに気づかせるのは網戸の隙間から聞こえてくるツクツクボウシの鳴き声だった。ミンミンゼミだかニイニイゼミだかわからない夏の蝉の声が、ある日を境にツクツクボウシに変わっていることに、ふと気づく瞬間があるのだ。

ツクツクボーシ、ツクツクボーシ、ツクツクボーシ、ツクツクボーシ、のあとにツクツクボウシは鳴き声を変える。その鳴き声が、「もういいよ、もういいよ」に聞こえていた。

ツクツクボウシが鳴き始める頃には虫の音も響き始めていて、森を開拓して作ったニュータウンに、まだまだたくさんの虫たちが生息していることがわかる。スズムシもマツムシもコオロギも、わたしの耳にはどれがどれやらわからない。けれども、晩夏から秋の夜にかけて鳴く虫たちのつかの間のコンサートは、夜をより穏やかな時間に変えてくれる好ましい存在だった。

エアコンいらずになった部屋のなか、夕方から夜にかけて虫たちの声を聴く。同時に、夏が終わる一抹の寂しさも感じた。その終わる感覚が、いつの頃からか、夏ではなく「今年」になりつつある。年々、残酷なほどに時間の経過が早くなる。ああ、今年も気づけばあと4ヶ月しかない。

今住んでいるエリアでは、あまり蝉の鳴き声を聞くことがない。特にツクツクボウシの声はご無沙汰だ。そもそも、ここ何年かはいつまで経っても暑さが和らがないため、窓を閉め切ってエアコンをつけっぱなしの生活ではあるのだけれど。

季節の移ろいを感じられる生活は、少しだけ気持ちにゆとりが生まれる。むしろ、ゆとりがなければ気づけすらしない変化も多い。ああ、もうすぐ満月だなあ、とか。刻々と変わりゆく日没の時間帯だとか。

ツクツクボウシの鳴き声も、夜に開かれる虫たちのコンサートも、このところ記憶に残っていないのは、もしかしなくともわたしの問題なのかもしれない。今晩は、少し耳をすませてみようか。今年も、秋がくる。


【今回のお題】「晩夏」「コンサート」

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