「舞姫」課題創作 「ねこの日」に添えて

遥か彼方昔、高校3年生の頃、森鴎外の「舞姫」を使って、小説を書くという課題をやりました。

わたしはこれを「ねこから見た舞姫」という設定で全編を書き換えるという「おいこら受験生」ということをやらかしました。……授業中に終わらなかったものね。

「ねこの日」ということで、久しぶりに発掘。晒します。なお、途中からは有料にします。……ええと、諸々、念のためというか。

もの好きな方は、どうぞお読みください。


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 僕が少し隙間の開いた扉から中へ入ると、いつもは怖いお母さんが、一人椅子に腰掛けていた。

 組んだ両手に額を預けて下を向いているからか、いつもならすぐに僕を追い出すのに、今日は中に入ってきたことにすら気付いていないようだった。

「ニャア」

 試しに、小さく一度鳴いてみる。……やっぱり、気付かない。

「ニャアー」

 今度は、もう少し大きく。……。……わ、ちょっと動いたっ。
 お母さんは少しピクッと動いたけれど、またそのまま止まってしまった。

「……?」

 そういえば、今日はお母さん一人なのかな。お姉ちゃんはどうしたんだろう。

「エリス……」

 ふいにお母さんが口を開いたから、僕はびっくりして思わず少し跳び上がってしまった。このお母さんには何度も『お仕置き』を受けているから、僕は少しだけ苦手だ。箒で叩かれそうになったこともあるし。……丁度良い所にあった柱で、爪を研ごうとしただけなのにな。

 僕は少し身構えてしまったんだけど、お母さんは再び黙り込んでしまった。一体どうしたんだろう。

 じっとお母さんを見ていると、少しだけ、ほんの少しだけ、体が震えているのがわかった。本当にどうしたんだろう。寒いのかな。おなかが痛いのかな。それに、本当に、お姉ちゃんはどこに行ってしまったんだろう。

 僕は勇気を振り絞って、お母さんにそっと近付くと、足に体をすり寄せた。
 お母さんはビクッと大きく動いたあと、やっと顔を手から離して、足元の僕を見た。

 お母さんは、泣いていた。

 お母さんは、僕の瞳をじっと見つめた。僕も、少し不安になりながら、お母さんのすっかり赤く腫れてしまった目をじっと見つめた。
 しばらく経ったあと、お母さんが、僕に向かって震える唇の間から紡ぎ出した言葉は、僕を本当にびっくりさせた。
 
「エリス……」

+ + +

 
 僕は、お母さんやお姉ちゃんが住んでいるこの家の階段下に居候している猫だ。人間が言うところの、野良猫とかいうものらしい。

 僕がお姉ちゃんに出会ったのは、僕の母さんが冷たく動かなくなってしまった日の夕方だった。母さんにニャーニャー呼びかけている僕やお姉ちゃんやお兄ちゃんを、ふいに背後から影が覆った。

「……あれ、こんな所に猫がいたんだ」

 僕が恐る恐る振り返ると、そこにはお日様みたいに輝く色をした髪の毛で、目は晴れの日の青空の色をした女の子が僕らを見ていた。

「野良猫か……。どうしたの? 何を鳴いてるの?」

 そう女の子は言いながら僕より奥、僕らの母さんを見ると、さっと暗い表情になった。

「そっか……お母さんが、死んじゃったのね……」

 女の子は、そのまま地面にしゃがみ込んだ。ぽた、ぽた、と地面に染みが出来る。
 僕がびっくりして女の子の顔を見上げると、女の子はその大きな空色の目から、滴を落としていた。

「ニャー」

 僕はおろおろしながら女の子に近付くと、地面に置かれていた片手を遠慮しがちに舐めた。母さんが僕にしてくれたみたいに、優しく、優しく、何度も、何度も。

「……はは、くすぐったいよ」

 女の子は震える声で小さくそう言うと、そっと僕の頭を撫でた。

「心配してくれたんだね……。……ありがとう。……私もね、お父さんが死んじゃったんだ。お葬式、挙げなきゃいけないんだけど……」

 そこまで言ってまた暗い表情になると、女の子は突然大きな声で、

「そうだ。あなたたちのお母さんも、お墓、作ってあげなきゃ、ね?」

と言って、さっと立ち上がった。
 しばらくすると、女の子はどこからか太い木の枝を持って戻ってきた。

 じっと見ている僕らの前で、女の子はざっくざっくと固い地面を掘っていった。
 穴が深くなった頃、女の子は僕らの頭を順番に撫でると、優しく笑った。その顔は、すごく綺麗だった。

 女の子は、しばらくそうして僕らを見つめたあと、奥に動かないまま寝転がっていた母さんをそっと持ち上げた。そうして、さっき掘った穴の中にそっと寝かせた。

「さ、お母さんとお別れよ」

 僕らは、女の子の言っている意味も、今からしようとしていることもまったくわからなかった。
 すると、女の子はさっき掘った土を、そっと母さんが寝たままの穴の上に被せだした。

「ニャー!」

 僕らは、一斉に鳴き声を上げた。
 待ってよ。そこには母さんがいるんだよ? 土で隠したりしないでよ。そんなことしたら苦しいよ。ねえ、やめてよ!
 僕は思わず土を被せ続ける女の子の手を引っ掻いた。

「痛っ」

 女の子はそう小さく叫ぶと、悲しそうな目をしながら僕を撫でた。

「……しょうが、ないのよ。このままお母さんを放っておいても、もうお母さんは目を……覚まさないのよ」

 大人しくなった僕らに、女の子はそっと微笑むと、作業を再開し、とうとうお母さんは土の中に見えなくなってしまった。

「……本当は、飼ってあげたいんだけど……。今は、私も私のことで精一杯だから……。ごめんね。頑張って、生きてね。ごめんね」

 女の子は『ごめんね』という言葉を何度も言うと、静かに立ち上がり、階段を登っていった。
 女の子の笑顔は、笑っているのに悲しそうな顔だった。
 それが、お姉ちゃんと僕との出会いだった。
 
 その後、お姉ちゃんとお兄ちゃんは、
「僕たちは他の場所に行くよ。ここにいてももう母さんはいないし、食べ物もないし」
と言って、階段下の僕らの住処だった所からそれぞれ出て行ってしまった。

「行かないの?」
 僕は何度も聞かれたけど、
「行かないよ。僕は、ここにいる」
そう答えて、動かなかった。

 母さんと過ごしたこの場所から、僕は離れたくなかった。それに……あの綺麗な女の子に、また会いたかったんだ。

 心配そうにしながら出て行ったお姉ちゃんお兄ちゃんもいなくなってしまうと、僕は突然寒くなって、クシュンと、一つ小さくくしゃみをした。
(寒いよ……おなか空いたよ。母さん……)
 
 そうして、丸二日間、僕は何も口にせずに過ごした。
 空腹で気を失いかけていたそのとき、あの女の子が視界に入った。

 ……とっても、暗い顔をしてる。どうしたんだろう。それに、女の子は今日は一人じゃなかった。誰か、男の人と一緒にいる。あの人は、誰なんだろう。
 二人は、ゆっくりと階段を上がっていく。僕はそんな二人を見上げると、力尽きて眠ってしまった。

 
 ……あたたかい……。何だろう、何だか懐かしいな……母さん……?
 

 気が付くと、僕は女の子の腕の中にいた。女の子の白い肌が、黒い服の色に映えている。

「……ニャー……」
「あ、目、覚ました! ……良かったあ……」

 微かな僕の鳴き声に気が付くと、女の子はほう、と溜息をついた。

「他の子たちは? どこかに行っちゃったの? ……そうだ、おなか空いてるでしょう? これ……」

 そう言って女の子が僕に差し出したのは、小さなチーズの欠片だった。
「ごめんね、これだけで。うち、貧乏だから……」

 申し訳なさそうに肩をすくめる女の子に、僕は小さくニャアと鳴くことで答えた。

「ちょっと、エリス、エリス! 何やってるの、早く戻ってきなさい!」
「はーい、今行きます!」

 階段の上から聞こえてくる声に女の子は大きく返事をすると、僕をそっと地面に下ろした。
「じゃあ、ね」
 女の子は、僕の前にチーズを置くと、小さく手を振って階段を上っていった。

 僕はしばらく階段を見つめると、もう一度小さくニャア、と鳴いて、小さなチーズをそっと齧った。
 久しぶりの食事は、量はとても少なかったけど、今まで食べた中で一番美味しかった。

 あの女の子、優しいな。
 僕は、女の子のことが大好きになった。


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「舞姫」課題創作 「ねこの日」に添えて

卯岡若菜

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卯岡若菜

「舞姫」課題創作

森鴎外「舞姫」を猫視点で全編書き換えたもの。
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