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きっかけの令和

子どもにテレビを壊されてしまい、テレビのない日々を長く過ごしている。だから、平成最後の日だろうが明日から令和だろうが、そんな雰囲気は我が家にまったくない。いつもどおりに休日の1日が過ぎ、いつもどおりに明日を迎える。それだけだ。

年末年始と同じように、元号の変更はひとつの節目だ。元号は「〜時代」と時代の名前になってゆく存在だから、年末年始より区切り感を抱く人もいるかもしれない。

「平成に置いていきたい」「令和だからアップデートしよう」という言葉をTwitter上で見かける。元号が変わることが何かを変革するきっかけになるのなら、それはとてもよいことのように思える。

ただ、ここにいる「わたし」は昨日も今日も同じわたしだ。明日のわたしも、今日の地続き上の存在でしかない。突然異世界に召喚されることなんかないし、魔法学校から入学の知らせが飛び込んでくることもない。明日、戦う美少女になれるだなんてこともないのだ。(すでに少女ではないというツッコミは不可で)

「ちょっとずつマシな自分になる」を合言葉に、少しでも前に進めていたらいいなと思う。わたしは永遠にわたしだけれど、わたし次第でどうにだって変われる。そこに改元は関係ない。

令和になったからといって、自動的にすべてが清算されたり、いきなり素敵な人になれたりなんてしない。当たり前だ。

自分の成長や人生を外の変化頼みにするのは、あまりにも悲しいことじゃないかな。ほかでもない、自分の生きる道なのだから。

ただ、ひとつの節目を迎える今、外の変化にかこつけて何かを始めてみたり変えていく決意を固めてみたりすることは、とてもいいことだと思う。

きっかけは、大きい。「きっかけがないと変われないなんてダメだ」なんて思わない。よりよい自分になろうともがき動こうとしている人にとって、きっかけの有無なんて些末なことだからだ。結果的に変われることの方が重要だ。きっかけは、大切なのだ。

迷っていることがある人は、改元にかこつけて一歩を踏み出してみたらいい。

やめたいことがある人も、改元にかこつけて踏ん切りをつけてしまえばいい。

人間は強いばかりではいられない。だから、外の変化から力を得て動いてみてもいいんじゃないかな。うだうだ管を巻いて隅っこで三角座りをしているより、「いい機会だ」と飛び込んじゃうほうが、いい景色が見られると思う。


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