本能を知性で乗り越えろ

向こう側へ堕ちる感覚がある、所謂ダークサイド。

その度に思い出し私を深淵の底から救い出してくれるのは、『本能を知性で乗り越える』という言葉。

バイリンガルニュースというPodcastsのホストである1人、Mamiさんという方の言葉です。

Mamiさんが引き合いに出していた例の一つは、セフレを好きになってしまったというもの。

例えばセフレに好意を寄せてしまい悩んでいるという人は少なくないが、これは誰かを好きになるという感情であり本能の部分。自分のコントロールの及ばない場所。

けれどあなたがもし好意が発生するメカニズムを知っていたとしたら?

性行為の際に分泌されるオキシトシンが発生している状態の脳感覚が、恋愛をしている時の脳感覚と似ているという事をあなたが知っていたとしたら?

「セフレを好きになってしまった、どうすればいいんだろう」と必要以上に思い悩む必要は無くなる。

漠然としたものを言葉として落とし込む、この本能を知性で乗り越えるというプロセスは凡ゆる場面で応用可能であり、漠然とした何かを抱えた時にいつも思い出す言葉でもあります。


話変わって、好きな人のSNSを何処まで遡る事が許されるのか、考えた事はありますか?

度を超えればネットストーカーと名の付く行為であると知りながら、私はずっと好きだった人の事を知りたくなり、抑えきれない好奇心から彼の過去へとタイムスリップした。

タイムマシーンはぐんぐん進み、元きた入口の小さな引き出しはずっとずっと向こうの彼方へと消えてしまった。

もうここら辺で引き返そう。

犯罪を犯した訳でも無いくせに後ろめたい気持ちになるのは、本当はこれが良くない事だと自覚しているからだろう。

好奇心との狭間でそれでも止まらないスクロールの手が、彼のある呟きで止まった。

なんだか覗いてはいけない、けれど何の躊躇いも無く羅列された彼の過去を、私は片目を瞑りながら見たのだった。

過去に書いたnoteに登場するその彼は、機能不全家族の中で育ってきた。

内容の詳細は個人的かつセンシティブな内容の為勿論書くつもりは無いが、『あんな親だったからろくにご飯も食べられなかった。』という様な内容だった。

この1行より本当はもっとリアルで逼迫した現実。

だというのに、そんな現実を「今日の朝ごはんにはパンを食べました」と同じ程度の重さでさらっと書くところに彼らしさが垣間見えた。

けれど私の胸をえぐったのは彼の過去そのものでは無い。

それは彼の過去へと投げつけられた彼の友達からのコメントとそのやり取りであった。

「あんな親なんて言うんじゃないよ、なんだかんだ良い親だったじゃん。」

「嫌な思い出の中にちょっとでも良い思い出があると、自分の中で折り合いをつけないといけない。それが面倒なんだよ。」

過去に折り合いをつけられずずるずるとここまで来てしまった私にとって、耳にタコが出来る程何度も繰り返し聞いた言葉たち。

「あの人も良い人じゃん」、「所詮一人の人間なんだから間違いの一つや二つくらい誰にだってあるよ」、「良い歳していつまで引きずってるの?」

そんな言葉たちを前に、辛かった過去が無かった事にされただ立ち尽くすしかないその歯痒さを私は知っている。

彼に向けて直球で投げかけられたその球の鋭い痛みを想像するだけで、私の胸はいとも簡単に張り裂けそうだった。

蔑ろにされた彼の気持ちを思い、私の心は自分勝手に深くえぐられた。

落ち着き払った彼の言葉に宿る温度は、あの日彼が少し困った様な顔をしながら私に投げかけた「人と上手く話せないから」という言葉のそれと同じだった。


過去に後ろ髪を引かれる度に大声で叫び続けてきた。

本能を知性で乗り越えろ。

''あんな親''も親である前に人間なのだから。

私の目の前で起こった全ての事に理由を探し、意味付けをし、どうにか自分が納得出来る形で無理矢理落とし込もうとした。

もう冷め切った怒りが絶望に変わる、その絶望が私を深淵の底へと引きずりおろそうとするその時、ダークサイドに片足を突っ込んだ私と平凡な日常とを繋ぎ止める為に。

本能を知性で乗り越えようと。

向こう側へ堕ちそうになる度に意味付けをし、幼かった頃の私の感情を無かった事にしようとした。

そうやって乗り越えられた夜がいくつあったか分からない。

けれどそれとは引き換えに、私の中の何かが音も立てず静かに死んでいった事を感覚として知っていた。

それは自分を守る為に知性で乗り越えてきた本能であり、じっくりと時間をかけて鈍化したそれは、最終的には何も感じなくなってしまう程だった。


遊びに夢中になっている限り、私もあなたも膝小僧に出来た擦り傷の痛みを感じない。

けれど一度見てしまえばなんだかチクチクしてどうしようもない。

なんだか痛くて鬱陶しいからもう少しだけ遊んでいこうか。だってその間は痛かった事を忘れられるから。


そうやって自分を騙す事は、この長い人生を生き抜くための処世術かもしれない。

自分に尽くせるだけの手を尽くし、行ける所まで行く為の。

けれどそれはあくまでも一時的なものであり、空いた穴はいつかどこかで埋め合わせなければ、いつだって私達を奈落の底へと誘い込む。


解を求めて彷徨い途方に暮れた時、その時は本能を知性で乗り越えろ。

けれど理屈で固められた温度の無いものでは乗り超えられないものがある事も覚えておきたい。

私達は人間だから。

「あの時は辛かったね」

説明のつかない愛情でこそ救えるものがあるという事を。

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